自動車が通れる現在の背炙り峠越えの県道29号線の急峻な路肩などには、沢山の擁壁が作られています。最近に作られた擁壁は、どれもコンクリートの間地(けんち)ブロックが積まれていますが、まだコンクリートが多用される前は、天然の石材を積み上げていました。石材は地元で調達されていたようで、尾花沢市側と村山市側では全く違うものが使われています。
尾花沢市側の斜面は比較的緩やかなので、昔の擁壁は一か所だけです。畑沢からしばらく上に登ると、鉄道における「スイッチバック」のように急カーブを右に曲がり左に曲がって高度を上げている場所に石垣の擁壁があります。用いられている石材は、火山岩が河川の中で丸くなったものです。畑沢の千鳥川にはこの石材はありません。それではどこから来たのでしょう。おそらく朧気川から運ばれた物だと思われます。畑沢には、江戸時代に「ローデン」という石切り場がありましたが、この擁壁が作られたと思われる明治時代は既に石切り場としては使われていなかったのでしょうか。畑沢の集落内の擁壁にも、使われていたのは、この丸い石であり、畑沢産の石材は使われていませんでした。
村山市側の石垣による擁壁は二ヶ所で確認できました。最初の石垣の擁壁は、背中炙り峠の乳母木地蔵堂直下にあります。乳母木地蔵堂の直下の崖には、多量の地下水が湧出する沢があり、その脇を擁壁で固めています。長方形に成形された凝灰岩が整然と積まれています。
村山市側のもう一か所の石垣の擁壁は、「ビューポイント」と言われているカーブからもう一つ下ったカーブの足元を固めています。こちらは、単純な長方形ではなくて、不定型な石材を巧妙に組み合わせて積み上げています。工事の現場に石工(いしく)がいて、石材を加工しながら石を積み上げたのでしょう。村山市側には石工がいたと思われます。村山の石材は、楯山の東側に石切り場から切り出されたのでしょう。ここの石材は建築材としては良質な凝灰岩で、村山市内の塀の基礎、水路の護岸などに使われており、今でも多くを目にすることができます。