ずっとずっと昔、まだ第一回目の東京オリンピックが開催されるとお祭り騒ぎをしていたころ、尾花沢市立常盤小学校と中学校は校舎がつながって建てられていて、グランドは共同で使用していました。子どもたちの数も小中合わせると、800人ぐらいあったでしょうか。今ならば、大規模な学校と言えたでしょう。その後、小学校は約1㎞北西に移転しました。中学校は小学校が使っていた敷地の上に建て替えられました。それでは、元々の校舎の跡はどうなっているのでしょうか。
その前に古い中学校舎の写真を御覧ください。
さて、先ずは中学校の正門跡です。階段は長年の間に土が覆いかぶさってきて、あたかも城の遺跡のようになっています。実に月日の流れを感じさせる光景です。中学生の時には、掃除当番でこの階段をほうきで掃いていました。
このような姿を見ると、土を取り除いて「発掘」作業でもしたくなる衝動が起きかかりますが、実際にやってしまったら「変なおっさん」になるでしょう。それでなくても十分に変人です。
中学生用の自転車置き場です。昔と同じ場所ですが、昔の敷地に盛り土をして地盤が高くなっています。撮影をした日は平日でしたが、自転車の数が実に少なくて10台にもなりません。寂しい数ですが、これが常盤中学校の現実です。
元常盤小学校の職員玄関へ登る坂道でした。児童たちは正面玄関へ階段で登りましたが、教員などはこの坂道を登りました。教員の中には自動車で通勤する方もいましたが、なにせまだ自家用車は贅沢品ですから、やっと360ccの軽自動車が購入できたようです。当時の軽自動車は力が弱くて、この坂をひいひい言いながら登っていました。私も押してあげたような気がします。今はこの坂道には上の方に盛り土がされていますのて゛自動車は登れなくなっています。
小学校の児童が登った階段はそのままに残されています。畑沢から4㎞の道のりを歩いてきた後に、最後の登りがありました。当時のスビタレには途方もなく高い階段に見えました。しかし、数えてみると40段ぐらいしかありません。階段の両側には何のためかは分かりませんが、側溝の様な溝があります。下校の際には、この溝を滑り台のように滑ろうとしましたが、滑り台にはなりません。階段の途中には、二つの犬走りが設けられています。
この小学校の階段も、近づいてみますと、やはり長年の月日が流れたことが分かります。沢山のひびが入り、ぼろぼろと崩れた箇所があります。
折角、この場所から新しい場所に移転した常盤小学校も、少子化の影響で学校統合になります。常盤地区の子ども達は、間もなく尾花沢小学校へ通うことになります。常盤中学校も少し遅れて、同じように尾花沢中学校へ統合されます。