アネッティワールド

日常の体験から・・・

東日本大震災のその後

2024年07月05日 23時41分04秒 | 宮城県

2011年ですからもう13年経つのですね。

この言葉に象徴されているいうか

頑張るしかないのでしょうね、生き残ったのだから。

だってこんな街だったのが

翌日にはこんな街になったのだから。

石巻に両親がいた義従姉妹夫婦は

当時ガソリンが足らなくて毎日長蛇の列と聞いて

従弟は大阪からガソリン用のタンクを車のトランクに積んで

北陸経由で石巻迄運んだものでした。

今でもこちらで手配したタンクに感謝をしてくれています。

特に被害の大きかった門脇小学校です。

被災地に住む人からの当時の証言を聞くと

耳をふさぎたくなるような事実に

戦争ほどでは無いけれど極限に置かれた時の人間の行動に驚愕しました。

 

しかし時間が経ち冷静になってからの人の行動は

報道されてたように立派としか言いようがありません。

 



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (よっちん)
2024-07-06 16:07:09
あの震災の時は
東北の人の我慢強さ、粘り強さに
感心した記憶があります。

大阪だったら暴動、略奪などが
起こっていた気がしますよ。
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Unknown (よっちん)
2024-07-07 12:54:37
もう梅雨明けしたかのように
週末の天候です。

昨日も今日もしっかりウォーキングしましたが
汗まみれになりました。
これで梅雨が明けたらどれだけ暑くなるんでしょうね。
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よっちんさん (アネッティワールド)
2024-07-07 13:52:35
なんか梅雨明けしたかのような晴天が続いています。

その中でウォーキングするとは大したものですね。
膝を痛めてから一気に歩数が減り体重が増えましたよ。
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Unknown (コタロー)
2024-07-07 22:04:55
そう、石巻はたいへんでしたねぇ。
今でも、あの頃の事は頭をよぎります。
来年は飲みに行こうかな。
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