今日(5月23日(土))の読売新聞夕刊の11面をごらんになっだろうか?
「今尾恵介の地図を歩く」で、「棚田も有数の米どころ」として新潟県の松之山温泉周辺が取り上げられていた。
記事によると、NHKの大河ドラマ、「天地人」のオープニングテーマに出てくる、見事な棚田は、十日町松代(まつだい)で撮影されたとこと。
全国でも最大級の棚田集中地区とのことである。
棚田の地域がよく分かるよう、2万5千分の1の地図も掲載されていた。
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著者(今尾恵介氏)の旅の目的は、松之山温泉周辺の「棚田」を訪れることである。
それも地元の人の案内を頼りにせず、地形図だけで「絶景ポイント」を探そうということである。
記事の下りで、こんな記載があった。
「棚田は耕地だから「自然景観」ではないが、なぜか引き寄せられてしまう魅力は、祖先から受け継いだ皮膚感覚なのだろうか。」
と。
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実は、私もその訳(なぜ棚田に引きつけられるか)が分からなかった。
しかし、ある時突然そうだったのかと直観的にひらめいた。
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前々回のこのブログの記事をお読みいただけたでしょうか?
家庭菜園で採れた大根を妻と二人でいただいていた時のことである。
妻が、
「庭がきれいね」
と突然言い出した。
私は、
「そうだね」
と、受け流した。
朝日を浴びた妻が、
「こんなにゆっくり食事できてありがたいわね」
と続けた。
そのとき私は思った。
確かにきれいになったが、1年前とそんなに変わったわけではないし、いったい何が「きれいね」とを思わせるのだろうと?
そのとき、1年前と違うのは、リビングの前の庭を菜園にしたことだということに気づいた。
そして、何が「きれい」と思わせるかと改めて考えてみたとき、それは、畑にした「畝(うね)」にあることに気づいた。
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家庭菜園をしてすぐ分かるのは、ちょっと放っておくとすぐ雑草が生い茂ってしまう。
そのまま放っておけば、見る間に雑草園に早変わりする。
昨年は、我が家のリビングの目の前は、まさのこの「雑草園」だった。
それが、今年は野菜を育てたので、雑草を取り除いた。
するとそこに出来たのは、畝と、畝と畝の間の小さな谷間。
畝にできた、野菜とその谷間の絶妙のバランス。
畝とその間の谷間の規則正しさ。
それが、去年はなかったことに気づいた。
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畝とそこで育てている野菜、畝と畝の間の谷間の規則正しさ。
これこそが、妻をして、
「庭がきれいね」
と言わしめたのだと気づいた。
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我が家の雑草園同様になってしまっていた庭。
テレビで見る耕作放棄地。
雑然としていてとても「きれいね」とは言えない。
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妻に、
「きれいね」
と言わしめたものは、耕して小石を取り除き、堆肥を与え、・・・
と力を尽くした(たいして力を尽くしていないが(笑))その努力だったのだ。
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棚田の美しさ、それは、高い傾斜地であるにもかかわらず、水を引き、しろかきをし、田植えをし、草取りをし、・・・という汗の結晶そのものが姿を変えたものであることに気づいた。
つまり、棚田の美しさは、そこを耕作している人々の努力の美しさであることに、やっと気づいたのだった。
規則正しい、畦(あぜ:注1)と水面と稲。
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棚田は、全国各地にある。
よく耕作された水田の美しさは、棚田でなくても全国各地で見ることが出来る。
私は、その美しさはそこを耕作している人々の「心の美」にあると思っている。
そして、誰かが言っていたが、「健康でなくては、畑仕事はできない」。
つまり、そこを耕している人たちの「健康な生き方」も見ている。
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大河ドラマ、「天地人」のオープニングを見るたびにそう思う。
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注1:畦(あぜ)=田と田との間に土を盛り上げてつくった土手
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「耕作放棄地」はどこにもある。
いろいろな事情で耕作を放棄せざるをえなかったり、手を入れられないことがあったりするのだと思う。
しかし、まずは自分自身の「耕作放棄地」から何とかしなければと思う、今日この頃である。
「今尾恵介の地図を歩く」で、「棚田も有数の米どころ」として新潟県の松之山温泉周辺が取り上げられていた。
記事によると、NHKの大河ドラマ、「天地人」のオープニングテーマに出てくる、見事な棚田は、十日町松代(まつだい)で撮影されたとこと。
全国でも最大級の棚田集中地区とのことである。
棚田の地域がよく分かるよう、2万5千分の1の地図も掲載されていた。
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著者(今尾恵介氏)の旅の目的は、松之山温泉周辺の「棚田」を訪れることである。
それも地元の人の案内を頼りにせず、地形図だけで「絶景ポイント」を探そうということである。
記事の下りで、こんな記載があった。
「棚田は耕地だから「自然景観」ではないが、なぜか引き寄せられてしまう魅力は、祖先から受け継いだ皮膚感覚なのだろうか。」
と。
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実は、私もその訳(なぜ棚田に引きつけられるか)が分からなかった。
しかし、ある時突然そうだったのかと直観的にひらめいた。
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前々回のこのブログの記事をお読みいただけたでしょうか?
家庭菜園で採れた大根を妻と二人でいただいていた時のことである。
妻が、
「庭がきれいね」
と突然言い出した。
私は、
「そうだね」
と、受け流した。
朝日を浴びた妻が、
「こんなにゆっくり食事できてありがたいわね」
と続けた。
そのとき私は思った。
確かにきれいになったが、1年前とそんなに変わったわけではないし、いったい何が「きれいね」とを思わせるのだろうと?
そのとき、1年前と違うのは、リビングの前の庭を菜園にしたことだということに気づいた。
そして、何が「きれい」と思わせるかと改めて考えてみたとき、それは、畑にした「畝(うね)」にあることに気づいた。
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家庭菜園をしてすぐ分かるのは、ちょっと放っておくとすぐ雑草が生い茂ってしまう。
そのまま放っておけば、見る間に雑草園に早変わりする。
昨年は、我が家のリビングの目の前は、まさのこの「雑草園」だった。
それが、今年は野菜を育てたので、雑草を取り除いた。
するとそこに出来たのは、畝と、畝と畝の間の小さな谷間。
畝にできた、野菜とその谷間の絶妙のバランス。
畝とその間の谷間の規則正しさ。
それが、去年はなかったことに気づいた。
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畝とそこで育てている野菜、畝と畝の間の谷間の規則正しさ。
これこそが、妻をして、
「庭がきれいね」
と言わしめたのだと気づいた。
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我が家の雑草園同様になってしまっていた庭。
テレビで見る耕作放棄地。
雑然としていてとても「きれいね」とは言えない。
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妻に、
「きれいね」
と言わしめたものは、耕して小石を取り除き、堆肥を与え、・・・
と力を尽くした(たいして力を尽くしていないが(笑))その努力だったのだ。
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棚田の美しさ、それは、高い傾斜地であるにもかかわらず、水を引き、しろかきをし、田植えをし、草取りをし、・・・という汗の結晶そのものが姿を変えたものであることに気づいた。
つまり、棚田の美しさは、そこを耕作している人々の努力の美しさであることに、やっと気づいたのだった。
規則正しい、畦(あぜ:注1)と水面と稲。
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棚田は、全国各地にある。
よく耕作された水田の美しさは、棚田でなくても全国各地で見ることが出来る。
私は、その美しさはそこを耕作している人々の「心の美」にあると思っている。
そして、誰かが言っていたが、「健康でなくては、畑仕事はできない」。
つまり、そこを耕している人たちの「健康な生き方」も見ている。
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大河ドラマ、「天地人」のオープニングを見るたびにそう思う。
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注1:畦(あぜ)=田と田との間に土を盛り上げてつくった土手
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「耕作放棄地」はどこにもある。
いろいろな事情で耕作を放棄せざるをえなかったり、手を入れられないことがあったりするのだと思う。
しかし、まずは自分自身の「耕作放棄地」から何とかしなければと思う、今日この頃である。