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我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

鎖国の代償を144年支払い続けている国  - 徳川「軍事政権」が制限した「情報」の集積と拡散 -

2012-12-10 13:29:13 | Weblog

 

鎖国の代償とは、何か?

 

そもそも徳川幕府が鎖国したのは、他の勢力を圧倒的な軍事力で制圧して、政権の安定を図りたかったからである。

 

ここで言う軍事力とは、火薬の原料となるチリ硝石の独占である。

火薬は、当時の軍事力の中心、鉄砲の必須品である。

 

火薬を独占することが出来れば、容易に他の勢力を圧倒することができたのは、理解できる。

 

だが、私はチリ硝石とともに独占したものがあると思っている。

それは、世界情勢という「情報」である。

 

その結果、何が起こったかというと、世界情勢という「情報」がほとんど「政権中枢」に限られ、ほとんど庶民には重要な「情報」が伝わらなくなったのである。

 

だから、幕末にペリーの黒船が来航して、びっくり仰天することになったのだ。

 

この国は、鎖国(1639年)からペリー来航(1853年)までの200年以上の鎖国の代償を、明治維新以来、今日になるまで144年間支払い続けていると言っていいと思っている。

 

その間、何の責任もない我が国民と近隣諸国民を巻き込み、多くの犠牲を強いながら。

 

そして、今、東日本大震災による原発事故を起こしたのもの、もとをただせば、徳川幕府が鎖国をして、チリ硝石と「情報の独占」を図ったからだと考えている。

 

幕府が「情報の独占」を図った結果、庶民には他国の「情報」が入らなくなり、「革新」が生まれなくなり、欧米に比較して、大きな遅れをとることになったからである。

 

徳川幕府が政権の維持を図ったばかりに。

 

 

 

我が国が鎖国をしている間、イギリスでは何が起こったか?

 

産業革命が起こったのである。

しかし、私は、産業革命よりもそれ以前の農業革命の革新の影響が大きかったと考えている。

 

何故か?

農業革命によって、生産力を増した農村では、労働力があまり、余った労働力は都市へ向かった。

彼らが、産業革命の屋台骨を支えたのは言うまでもない。

しかし、それよりも大きいのは、余った労働力が手に入れた「時間」が大きかったと考えている。

 

彼らは、その時間を何に使ったか?

 

それこそが、蒸気機関や水力紡績機などさらに余った「時間」を増大させる革新的な技術を生んだと考えている。

 

実際には、農業革命がこれらの革新を生み、それがさらに農業革命を推し進めるという相乗作用を起こしながら、飛躍的な革新を生む増幅作用があったと考えている。

 

このとき、こういった情報の拡散ないしは、広がりをもっとも制限してしまうのは何か?

 

我が国では、江戸幕府という「軍事政権」である。

我が国は、鎖国により、「軍事政権」の力が維持されてきた。

それにより、情報の集積と拡散が制限されたのである。

 

ところが、イギリスでは、すでに、1641年頃からの清教徒革命の反省があった。

それは、陸軍が清教徒革命において決定的な役割を果たし、利益集団として「権勢」をふるい、多数の勢力が「粛正」された。

その反省として、「軍は政治権力」を持つべきでないとの思想が共有されたのである。

「軍事政権」ではないため、情報が拡散されやすかった。

言い換えれば、情報が共有されやすかった。

 

農業革命や産業革命が起こりやすいのは当然である。

それらの革新の根本は、情報の集積と混沌のなかから生まれる「革新」だからである。

我が国が「鎖国」の代償を未だに支払い続けているのは、この決定的な情報の集積と拡散を「軍事政権」が阻んだからである。

 

自らの政権維持のために。

 

そのために、我が国は明治維新の内乱で多くの尊い命を失った。

日清・日露戦争とそれに続く太平洋戦争へと続く周辺諸国を巻き込みながらの「暴走」。

そして、広島・長崎の原爆投下による敗戦。

 

それら、全ての根本は、「鎖国」にあったと考えている。

 

もし、鎖国がなく世界情勢についての「情報」がより多くの庶民や国民に「共有」されていれば、吉田松陰のような人物があと100人はこの国に生まれたであろうと思う。

 

そして、我が国の歴史も大きく変わっていったと考えられる。

 

いやな言い方であるが、我が国民は、「鎖国」のためにずっとあがき続けて来たと言える。

そして、今も。

明治以来、144年間も。

 

何で、間違えたのか?

 

ものの考え方が、イギリスと日本では400年も違ったからである。

イギリスでは、「情報」こそが、世界を変えていく根本であると言うことが、「清教徒革命」の時代から共有されている。

そういう国とそうでない国の差を、たかが100年や200年で埋められるはずがない。

民意のレベルで違いが歴然としている。

(具体的には、この国では未だに国に「してもらう」という人が多い。そういう人たちのよく使うフレーズは、「してくれない」である。ニュース番組の街頭インタビューを聴いているとよく聴く。よらしむべししらしむべからず(誤った意味での)の考え方に未だに甘んじている人がたくさんいる。サッチャーのように国のために何が出来るかという考え方でなくて。よらしむべししらしむべからずについては、項を改めて書きたいと思っている)

 

もちろん、イギリスを含めヨーロッパからはアメリカ大陸へその流れが引き継がれている。

 

もうお分かりでしょう?

 

ネットつまり「情報」に対する考え方が、全然違う。

つまり、「情報」こそが、世界を変えていく根本であるということが400年も前から共有されているイギリスを始めヨーロッパ。

アイホンやiPod touchがアメリカで誕生したのも歴史的必然性を感じることができる。

 

未だ、ネットを制限する多くの国。

それは、この項で述べたように、我が徳川幕府と変わりない「軍事政権」なのである。

 

「軍事政権」が続くことの代償は、長々と述べた通りである。

 

あなたは、情報の収集と拡散が制限される「軍事政権」あるいは、軍事政権もどきの下で生きていきたいですか?

 

革新がまったくないか、革新が制限された国。

つまり、アイホンやiPod touchを使えなかったり、プリウスに乗れなかったりする国で。

エネルギー利用の「革新」もなく、原発がいつまでも使い続けられる続ける国で。

 

 


 

 

 

ちなみに、5年先にどうなっているかの状態が決まっていないと言うことは、今何をするかも決まっていないと同じことだ。

 

前に、このブログで書いたが、私は5年先にどうなっていたいかを書いている。

今それは、ザウルスからiPod touchに変わったが、いくつかの目標を定めている。

 

そうしないと、今何をすればいいか分からないからだ。

 

目標を定めれば、今何をすればいいかが分かる。

 

成功している人たちは、みなそれをしている。

 

5年先にどうなっているかをイメージしてそれを書いていないということは、今から5年間何もしないこととイコールである。