リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

和のすすめ(37)春凍え ヘリ離れても 頭垂れ:ha ru ko go e he ri ha na re te mo ko u be ta re

2016-03-11 21:27:58 | Weblog

春凍え
ヘリ離れても
頭垂れ

はるこごえ    ha ru ko go e
へりはなれても   he ri ha na re te mo
こうべたれ         ko u be ta re

 

頭を古い日本語では、「こうべ」といいます。

「垂れ」は、頭が垂(た)れ下がるように、つまり深々と頭をさげるということです。

ヘリは、ヘリコプターのこと


 

 

5年前の震災当日も、今日のように寒かった。

鉛色の雲が低く垂れ込めていた。

東日本大震災の日のこと。

この句は、読売新聞3月9日の夕刊の記事「トモダチ 再来日」を読んで出来た。

 


 

この記事を読まれていない方のために、概略を紹介する。

友達作戦に参加した原子力空母ロナルド・レーガンの乗組員ケニー・セベネロさんは、ヘリで救援物資を避難所に何度も届けていた。

セベネロさんは次のように話した。

内陸までがれきの山となり、建物の屋上に船が乗っていて、心を締め付けられた。

「ここは物資が足りているので、もっと困っている人たちに届けて欲しい」と言われたが、世界中で救援活動に参加してきたセベネロさんには、信じられなかった。

救援物資を届けてくれたセベネロさんが乗るヘリが見えなくなるまで、頭を下げ続ける老齢の男性がいた。
「私の人生を変えるほどの驚きだった。作戦の一部を担うことができて、誇りに思う」

と。


私の

春凍え
ヘリ離れても
頭垂れ

の句は、このセベネロさんの

救援物資を届けてくれたセベネロさんが乗るヘリが見えなくなるまで、頭を下げ続ける老齢の男性がいた。

のところを読んで出来た。

何とかこのセベネロさんの気持ちを「句」として伝えたいと思ったからだ。

 


 

 

私には、セベネロさんの気持ちも、老齢の男性の気持ちも痛いほどよく分かる。

老齢の男性は、一言で言えば、セベネロさんたちのことを「神(和の国では仏とよくいう。「地獄で仏」のように使う)」と思っただろう。

春のそれもみぞれ混じりの雪の中、極寒のなかいとわず、身体を温めるのに必要な食料や燃料などをヘリで届けてくれてほんとうにありがたいと。

何とかしてお礼をしたい。

しかし、今の自分にはセベネロさんたちに対して、ただただ頭を下げることしか出来ない。

尊敬と感謝の念を表し続けるしか出来ない。

そう思って、老齢の男性は、ヘリが見えなくなるまで、寒い中頭を下げ続けたのだと思う。

セベネロさんたちに尊敬と感謝の念を表し続けたのだと思う。

その男性の姿をみたセベネロさんは、「私の人生を変えるほどに驚いた」のだと思う。

その老齢の男性の姿をセベネロさんから見たのが、

春凍え
ヘリ離れても
頭垂れ

の句である。

 


 

 

私は、多くの日本人はこの男性のようにとても大人だと思っている。

一言で言うと精神性が高いと考えている。

いつでも、相手への敬意を忘れない。

その敬意の表し方が、この老齢の男性がとった頭を下げることである。

句では「頭(こうべ)垂(た)れ」と表現したが。

 

 


 

 

和の国へいらしたら、ぜひそうした和の国の様子もよく、観察されることをお勧めします。

日本人はよく頭を下げるというのが、よく分かります。

この頭を下げるという行動は、今回の句でもよく分かるように、相手への尊敬や感謝を表すときによく使います。

簡単に言えば 、頭を下げる時間が長いほど相手への尊敬や感謝の程度が深いと考えていいでしょう。

ですから、この老齢の男性の尊敬の念の大きさがいかに大きいか、セベネロさん達への感謝の念がいかに大きかったかが、この男性の頭を下げる時間の長さで分かります。

ヘリが避難所を飛び立って、離れるまで、もっと言えばヘリが見えなくなるまでの長い時間に値するほど、尊敬と感謝の念が大きかったのでしょう。

しかも、この老齢の男性は、自分の気持ちをセベネロさんたちに、実によく伝わるよう「頭を下げ続ける」ことで表現しています。

"thank you"

という言葉一つ言うより、頭を下げ続けることの方が、男性の気持ちはよほどよくセベネロさんに伝わります。

セベネロさんが、「私の人生を変えるほどに驚いた」 のは、男性の気持ちが寸分たがわず、セベネロさんに伝わったからでしょう。

このように、日本人は実にコミュニケーションが上手です。

英語が出来なくても、頭を下げることが出来れば、寸分たがわずに自分の気持ちを相手に伝えることができます。

 

 


 

 

日本語が出来なくても、頭を下げることを覚えると、和の国で過ごすことはとても快適です。

例えば、携帯電話を日本人に拾ってもらって感謝したいなら、笑顔で頭を下げれば、あなたの感謝の気持ちはすぐ伝わります。

また、混雑した電車の中で誤って他の人の足を踏んでしまった時にも、頭を下げれば、大丈夫でしょう。
笑顔はこの場合まずいですが、トラブルはまず避けられます。

また、ホテルや旅館で日本人とコミュニケーションを取るにも便利です。

朝、他のお客さんや従業員と挨拶したければ、軽く頭を下げれば、「おはようございます」の意味で理解してくれ、相手も軽く頭を下げるでしょう。

夕方以降なら、「こんばんは」の意味で理解してもらえます。

つまり、頭を下げる行為は、感謝でも、謝罪でも、挨拶でも使える万能のコミュニケーションツールなのです。

こんな便利なコミュニケーションツールは、世界中どこにもありません。

私も重宝しています。

例えば、一人しか歩けない山道などで、行き違いする時、軽く頭を下げて、「失礼します、先にいかせていただきます」の意味に使います。

相手は喜んで道を譲ってくれる。

道を譲った方も、譲られたほうも、ニコニコで場が和みます。

 

 


 

 

どうですか?

頭を下げる行為の万能性がご理解いただけたと思います。

和の国には、素晴らしいことわざがあります。

「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂(いなほ)かな」

意味は、稲つまりお米は、籾殻(もみがら)にお米の成分である澱粉が詰まってくるほど、籾殻が重くなって稲の穂が垂れ下がる。

つまり、 中身のある賢いコミュニケーション上手な人ほど、稲穂のように頭を下げることを厭(いと)わないで、よくするという意味です。

和の国へいらして、頭を下げてみませんか?

とっても便利だし、簡単に「あなたの思い」を和の国の人に伝えることができまよ!

和の国の人だけではありません。

セベネロさん始め、和の国にいらした世界中の方に、あなたの思いを伝えることができますよ!

春凍え
ヘリ離れても
頭垂れ

のように。