白波や
蝉鳴く断崖
城ヶ崎
しらなみや shi ra na mi ya
せみなくだんがい se mi na ku da n ga i
じょうがさき jo u ga sa ki
説明は必要ないと思う。
句の通りであるから。
伊豆の景勝地、城ヶ崎の断崖に立った時、落下する恐怖にとらわれた。
蒼い海に、崖を一歩踏み外せばそのまま。
城ヶ崎は、映像や音で記録することは出来る。
言葉でも。
しかし、気持ちを伝えることは、音や映像ではなかなか出来ない。
同じ状況でも、感じ方は人それぞれだからだ。
言葉を使って、映像や音そして「思い」を伝えることが出来る世界最短の短詩型文学は、俳句以外ないだろう。
その巨星が「芭蕉」である。
芭蕉が登場して、芭蕉を超える巨星は出てきていない。
「和歌」が貴族や武家など趣味人の閉じた世界の中であったものを、一気に士農工商の最も下の階級に当たる商人を含めた町人、つまり庶民の文学である「俳句」にしたのが芭蕉である。
ざっくり言えば、和歌(短歌)の5,7,5,7,7の合計35音の上半分の5,7,5の17音と季語だけにした。
字数が制限されたことにより、表現したいことを絞らざるを得ない。
これが、大成功したのだ。
だから、師匠として招かれ、命の危険がある「奥の細道」を行くことが出来た。
そして、金字塔「奥の細道」を完成した。
その巨大な金字塔は、永久に続くであろう。
私は、断崖からの美しい海、そこから落下する恐怖、そこに立つ緊張感を句に込めようとした。
しかし私は、城ヶ崎の断崖の上の安全な立ち位置に立って鳴く、蝉でしかない。
芭蕉つまり城ヶ崎の断崖の前に立てば、誰もが蝉にしか過ぎないのでは?
恐れ多い。
芭蕉が奥の細道で作った一句、
「荒波や佐渡に横たふ天の河」
が脳裏にこびりついていた。
「白波や蝉なく断崖城ヶ崎」を作句して、この句を思い出した。
芭蕉を超えようとチャレンジすることは、今や世界中の誰もが出来る。
しかし、芭蕉を超えようと思ったら、「奥の細道」は読まない方がいいかも知れない。
脳裏から離れなくなるから。(^-^)
でも、芭蕉を超えることが出来る可能性のある人はいる。
可能性のあるのは宇宙飛行士だ。
国際宇宙ステーションや月、火星に行ったらどんな句が出来るのだろう?
「季語」の問題はあるにしても。
楽しみだ。(^-^)