「人魚」歌う
ヒカルの音楽
和の心
にんぎょうたう ni n gyo u ta u
ひかるのおんがく hi ka ru no o n ga ku
わのこころ wa no ko ko ro
宇多田ヒカルさんの新アルバムがリリースされた。
注目したのが、「人魚」だ。
今回は、なぜ「人魚」を歌う宇多田ヒカルさんの音楽が「和の心」なのか書く。
その前に、この曲を聴くには、最良の条件が必要だ。
音楽プレーヤー(アプリ)には、最新バージョンのUBiO。
そして最新のiPod touch。
イヤホンは、iPod touch付属のEarPodとの組み合わせである。
もちろん、出来れば家庭用オーディオシステムなら、最高だ。
この組み合わせなら、貴方は間違いなく、宇多田ヒカルさんの歌声と本当の音楽の美しさに癒される。
幸福な気分に浸れるだろう。
(ドトールで、ラズベリー香るコーヒーをいただきながら宇多田ヒカルさんのこの曲をiPod touchで聴いたら、貴方は幸福感一杯になる。
宇多田ヒカルさんの音楽に心から癒されるだろう。
その上、ラズベリーの香りにも。)
どうして、この組み合わせ(最新のUBiOとiPod touch)がベストなのか?
宇多田ヒカルさんの心地よい高音のかすかにかすれような音やドラムスの金属音の弱い、どとらもすぐ減衰するきれいな高音が忠実に再現されていて、歌声と器楽の相乗効果があるからだ。
宇多田ヒカルさんの声を「かすれる」と書いたが、正確には「繊細な」と書くべきだ。
イヤホンや再生プレイヤーやソフトが良くないと、ほんとに「かすれた」ように聴こえる。
かすれるように聴こえるのは、録音か、再生プレイヤーか再生ソフトかイヤホンに原因がある。
原音を忠実に再現出来ないのだ。
ノイズとして聴こえ、美しくない。
また、聴こえるべき音が聴こえない。
かすれなければ、宇多田ヒカルさんの高音の繊細な音やドラムスのか弱い金属音は、実に美しい。
繊細で、すぐ減衰してしまい、消えやすい。
だからこそ、この上なく美しい。
和の言葉で言えば、「愛(め)でたい」。
「愛(いと)おしい」と表現してもいい。
別の言い方をすると「ものの哀れ」。
この世に永遠のものはない。
「人魚」は、その自然の摂理、和の心を見事に表現している。
だから、限りなく美しい。
そうした表現が可能になったのは、高性能のマイクロホンと再生装置とソフトがやっと今になって揃ったからである。
(そうした装置のない時は、多くの聴衆には繊細さを伝えようにも伝えることができなかった。伝えようとすれば、音量を上げる(または強く歌ったり演奏する)が、上げたら弱さ、繊細さは消える。だから、繊細な表現ができなかったし、出来たとしても限られた少数の人たちしか聴くことが出来なかった。したがって、弱さや繊細さは軽視されるか無視された。宇多田ヒカルさんの「人魚」のような曲がきわめて少ないことが、そのことを如実に物語っている)
繊細な弱い音を正確に拾い、再現出来るから、和の心「愛(め)ず」を自然に表現できている。
宇多田ヒカルさんの「人魚」のすばらしさ、すごさはそこにある。
宇多田ヒカルさんがいなければ、音楽で和の心「愛ず」の繊細な美しさは、表現出来なかったであろう。
UBiOはバージョンアップしたばかりで、時々フリーズする。
バグがあるようだ。
また、「人魚」を繰り返し再生する操作法などが分かりずらい。
だが、その再現力は、コンサートホールの指揮者間近の2階S席にいるようだ。
いろいろな楽器の音が混じりけなく、ピュアに聴ける。
だから、繊細な音楽表現をそのまま感じることが出来る。
「繊細な美しさ」を心ゆくまで堪能できる。
貴方も最新のUBiOで、コンサートホールの2階S席へいらしてみてはどうでしょうか?
貴方のiPod touchの中の「人魚」はじめ全ての音楽を、コンサートホールの2階S席で聞いているように感じられるはずだ。