今デング熱で馬鹿が「きゃぁきゃぁ」騒いでいるのだが、大体「きゃぁきゃぁ」は「他人事」と言う事が多い。
本当に深刻な問題となると「きゃぁきゃぁ」じゃなくて「じっと、黙って、怒る」のである。
デング熱に限らず、名古屋では死亡率の増加は「火葬場の混雑」で分かるのである。
名古屋は巨大な集約墓地が有名だが、それよりも集約した問題が「火葬場問題」だったのである。
この名古屋の火葬場難民問題はインフルエンザH5N1の蔓延が問題となった時に最大の問題となった。
名古屋と言うと三菱のロケット・飛行機と言う三菱の凄さと強さを見せる一方で、下らない「合意を得る」ということと「損をする人間に納得させる必要経費」を出さないという、極めて三菱の色合いを見せている。
この問題は経団連と名前を変えても通用する。
つまり建前としての必要な事実、ワークはあっても、それを履行する原資・論理・そして判断が一方的で残って、非合理と言う一点で抵抗され、それが延々と保存されているのである。
そんな所だから、別の問題「原発」は1箇所しかない。
ある意味「金持ちと貧乏人の不信感」は正常な反応と異常な反応をしているのだろう。
これでも馬鹿は分からないだろうと思うが、デング熱は怖い。だがもっと怖いのはデング熱を媒介する死体を処理できない制度と設備と意志を持たない集団で問題解決の方策が科学的に出ても方法論として不可能で死を待つという時代が単なる問題そのものよりも恐ろしいのである。
そして、それをやれそうな「石原新太郎」や「田中角栄」は居ない。