「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20090516

2009-05-16 | 矮小布団圧縮袋

○この2日間、緊急事態でテレビもラジオも全く見られない。祭りらしいのだが、とても参加できない。フジの特番なぞは最初から、それでもスペイン坂だの音楽戦士だのは留守録しとけばよかったかと後で気づいたが、そんな考えが頭から完全に吹っ飛ぶような事件だった。今、夕方家に戻ってきて、やっと思い出した。
 昨夜は20~30分眠ってすぐ眼が覚めてしまう、という状態が朝まで続き、眠れないでいる。昨日も今日も緊急対策会議で朝から夜まで電話と話し合いに追われた。何より、そういった事態を招いた不注意や裏切りや欺瞞に対する怒りで、交感神経が麻痺してしまったらしく、食欲が30時間以上無いのである。明日も対策本部で作業なので、今日は少し食べて休もうとは思う…

 連休前とは一転。昨日から今日にかけて、自分の今日までの12年間のことを思い出した。目を覚ましたら、全部今までのことが夢で、12年前の5月16日だったりしないのかなとすら。この12年間は何だったのだろうか。自分は無為に、夢を見るように12年間を過ごしてしまったのだろうか。その過ごし方の中で、所詮、何をもっともらしいことを言おうが、何が得られたのか。気晴らしは気晴らしにすぎないのか、とも思った。もちろん、それらは自分の生活を豊かにしてくれたし、それによって人生の興味も発見も広くまたは深く広がっただろうし、発想が広がることは、自分の仕事にも確かにプラスだとは思う。だが、結局、気晴らしは気晴らしである。もっと言えばオプションであり、それが無ければ心が死んで身体も死んでいたかもしれないような気分はするけれど、そのために命を賭けているかというと、少し違う。仕事を適当にして、芸事の楽しみを本筋とする、というのも、行き方としてはあっただろう。自分は最初は、難しく考えず、なにもこだわらず守る意識もなく、楽しみだけを味わうつもりだったかもしれない。しかし、仕事を続けていくうちに、歳もとり、生かしてもらっている責任も感じ、半端ではいかんのではないかと思い始めてしまっている。もっと気軽に来たはずだったのに、いつのまにか、本気になってしまったというのか自分は。
 芸能も音楽も自分の生活の基盤が築けてこそのたしなみである。今はゆっくりと落ち着いて楽しんでられる状態ではない。状況がもう少したってみてから、でないと、楽しむこともできなさそうだ。正直、来週からを、どうしようかなと思っているくらいだ。

 12年前に自分は、来た今の土地で、のんびり暮らすのだろうなと思っていた。しかし所謂「東京を愛したが、東京は私を愛してはくれなかった」の地方版、みたいな按配で、これから先はわからなくなってきた。もしまたどこかへ行くとすれば、自分がこの立地条件で得られた演芸事に対するスタンスも、今後はどうするか考えなければなるまい。まあ、娯楽の多い土地で、この年月、享楽的にずっと夢を見させていただいていたのだとでも思うか。12年間の間に、ネットだの衛星放送だの、田舎でも享受できる情報はずっと多彩になってはいるし、12年たって日本全体の娯楽の質が少しずつ凋落している今日、都会だから良いとも限らなくなってきたから、自分の「都市寄生生活」への欲求度も変わってきたし。ここらで一回り、もう一度自分の人生について考えてみたい。
 この部屋もまたしばらく、数行で済ますか、休載するかもしれないが、その場合もご了承願いたい。(※ちなみに、新型インフルエンザではない。)

本日のBGM:
・「太平記」最終回(時代劇専門チャンネル、5/14 時間拡大版81分)
この非常時に随分心慰められたのは、その「不幸」のカタルシスな内容だけではなかった。単純で子供っぽい二項対立でなく複雑でポリフォニックな戦略や思考というものを思い出させてくれたドラマだったからだ。直義の死のシーンはリアルタイム放送時もリアルで衝撃的に残った。もはやゴッドファーザーのような重さで、多くの滅亡を見、晩年に向かって「また生き残ってしまった」という尊氏の自嘲めいた悲痛さと、したたかな佐々木道誉の揶揄と軽妙さ。歴史的事実はわかっていても、展開が見え透いた予定調和では全然無いから、大人のドラマとして緊張して見られるのだ。また、改めて真田広之や大地康雄といった俳優の貴重さを思う。比べて、このようなドラマが制作できない現在のテレビ、こうした作品のレベルをわからないで適当なもので満足すると見下されている視聴者、ということを思えば、さほど今のテレビに執着する必要はなく、多少留守録が失敗しても大したことねえなと思えるのも救いだ…テレビにとっては救いの無いことだが。
・VAMPS / Life on Mars? CDでフルで聴いたのは初めて。Roentgenの時はDavid Sylvianに似てると思ったが、Bowieの歌だとこういう歌い方もできるということだと思う。アレンジ的には70年代風より重くて、80年代の「商業ロック」的にいわれた頃のBowieぽいようにも感じたが(自分も元々ファンというのと違う、多分HYDE氏もいうような「後からの」なので、これはこれでいい)。※逆にLucy in the Sky with Diamondsの時はどっちかというと、自分が中学生の時に元のSgt. Peppersのアルバムに嵌った方なので、最初「ええ?」と思い、ライブで聴いてようやく意味がわかった感じだった。今回のこっちはCDで聴いてもわりと納得かも。(20090516)

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