「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20110320

2011-03-20 | 矮小布団圧縮袋

○一つの訃報が心を抉り、その喪失感が重くて、現実感がない。あまりに突然で、まだ日が浅いこともあるが、麻痺したような感覚がずっと続いている。過去の家族の死の時の記憶がフラッシュバックするようだ。感覚が止まっている。もしくは麻痺していて、制御も時々狂う。まだ夢の中にいるようだ、と被災者が表現するようなそれを、自分も感じる。
 自分はいつまで生きているのか、いつまで福岡に住んでいるのか、ここを去る時がいつ来るのかはわからない。でも、いつ福岡を去ることがあってもその後、もうその人の記憶なしでは福岡は思い出されないだろう。それは6年前の同じ3月20日にも関わっていて、その日にもその人は走り回っていた。ある歌の歌詞が裏返しになって頭の中に流れる、貴方に出会えて良かった(と言えるのかどうかはまだわからないが)、悲劇だとしても(むしろ悲喜劇的な悲劇というべきかもしれない)、と。いや、こんな言葉では、到底表現することができない。まだだ。
 こういう感覚を各地の人々が味わっていることはわかっている。しかし、その人のその気持ちはその人だけだ。他の何か、誰かが代わることはできない。ともかくただ、受け止めるしかない。このようなことをここに書くことは、すまない。本当なら、自分の手元のノートに書いておいて、自省すればいいのだ(実際にそういうノートは、30年前から、たまっている)。しかし、人間にはこういう気持ちもあるということ、ただそれだけを感じて、自分のノートにだけでなく、ここにもなんだか、書いてしまった。わかる人にしかわからないようなことなのに、不特定多数の人に伝えたいなどと強く感じるほどのものなのかどうかは、自分でも感覚が止まっていて、わからない。そして、それでも自分はまだ、生きている。何者かに対する強い怒りや悲しみや、痛恨や感謝や、あまりにもたくさんのものが混じりすぎて整理できない気持ちになるような、こんな生々しい感情が、自分にあったとは、その事自体が自分でも意外だったのに、それが麻痺してしまったような感覚になっている。そのことを、ずっと考えている。

 感覚は止まっていても、会議出張は容赦なくある。九州新幹線が開通していたことなど、朝に出発する際に博多駅に入った時まで、頭からすっかり抜けていて忘れていた。それほどに一日一日ずつ、うちの会社の中にせよ、災害報道にせよ、日常で毎日繰り返される出来事が、それを日常というには異常すぎて、重過ぎるからだ。だが今日のように一日移動中で外出していると、いつもと違って会社の人々ともラジオやテレビのニュースからも離れている。夜、関西地方から復路の新幹線で帰る時、車内の電字の流れるニュースをようやく見た。そこでふと気がついた。本当にぼんやりと眺めていて、気のせいかもしれないけれども、今までいつも夜帰る時に見る夜景と比べて、何か、外の夜が「暗い」のだ。もちろん、昨日の満月と違って、曇りと雨で空が暗かったこともあるし、そもそも夜は暗いものだとわかってはいるが、…広島、新下関、小倉、と来て、それを感じた。…博多、に着いて…夜22時過ぎてローカル線に乗り換えて、やはり車窓から見える国道沿いのネオンやマンションやらの、いつもなら夜目にも建物の形が浮かび上がるほど目立つ福岡市内の派手な照明も、どことなく落ちていて、高層建築の輪郭などもはっきり見えない。暗い気がする。そういえば、家にいて休んでいた先週日曜を除いて、11日から19日まで朝から夜遅くまで会社と自宅の往復だけだったから、市内の夜景を地震後も全然見なくて、今日初めて見たのである。これが日本全国的な、遅い時間の「節電」なのだろうか。それも感覚的なものなのか、今の自分には、さだかではない。

 BGM:Spilits in a Material World / The Police (「Message In A Box」)

◇東北地方太平洋沖 募金地震関連 (Yahoo!)


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