館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

お宝紹介(お宝か?)。

2006-07-07 06:54:04 | 生活雑感
ブログ仲間の記事に「お宝紹介」があった。
なるほど、お宝だった。
ふーーん、僕にはあるかな?
僕のお宝は「貴方と子供です」などと、嘘は書けない!

お宝とは?「何でも無い物でも、僕の人生に関与し、捨てられない物」
フーム???と考えて、以下の写真である。

「縄文土器」と「矢じり」。




中学生の僕は「野球少年」だった。
2年生。寒風の吹き、土ぼこりの立つ「畑」で土器は拾ったものである。
明らかな「縄文」で飾られた素焼きの土器と、口の部分を縁取った「文様の土器」は、「授業」ではあっという間に過ぎて行ったが、挿絵の印象の、そのものであった。

その後、あちらこちらに「土器」を拾いに行って、「矢じり」を見つけたのである。時を経てなお「美しい」矢じりに、僕は圧倒されたのであった。

その後、この時代の歴史に夢中になる。
「野球部」をやめて、友人達と「歴史クラブ」を作る。
顧問を探し・生徒会、学校の承認をもらってと、奔走したのを思い出す。

すべてが、この「土器と矢じり」からであった。



その後、近在の「遺跡」めぐり、友人知人で「遺物」を持っていると聞けば、見せてもらいに行ったりと、結構のめりこんだ。

この「歴史学」への興味がその後も、政治や文芸や音楽などにブレつつも、ずっと続くことになる。

「大学」もその分野を選択するのである。

この縄文土器、形式は結構古いのだ。

わずかに確認できる「縄目の紋」は素敵!(って、僕だけか?)



以降。矢じりは数十個見つけるが「完全な形」はこれを含め2個。
後のものは、どこかが折れていたりする。

この矢じりは「殺傷能力」を備えた、大型の矢じりである。
農耕の開始・余剰生産物の備蓄・階級の発生、その時代を待って「戦争」が始まる。
この時代の変化に合わせるように「矢じり」は大きく・鋭くなって、殺傷能力を向上させていったのである。

のどかな「農村風景」の印象と、僕の義務教育時代に「教わった」弥生の風景はすでに「ストーンエイジ」の考古学である。

この「矢じり」明らかに「弥生」の遺物である。
完全な形は「人を殺さなかった」矢じりか?

人類が地球に現れて、450万年、農耕社会に戦争の起源を置けば、8000年の戦争の歴史がある。
翻訳すれば、4.5メートルの中の8ミリである。
戦争・神が創り給うものではなく、人間の仕業であるとわかる。そして僅か8ミリの先端に僕らはいる。であれば、その終結に僕らの目標を置かなければならない。

大学では「土地制度史」・時代は「階級発生の前後」であった。
指導教官S教授は今も、ご健在。
年に1度の挨拶のみであるが、このお方に学んだことは、ぼくの「お宝」である。

その後「学んだ物を生かすべく」・学校に勤めるが、「職員室」がご幼少より苦手だった僕は、ドロップアウト、いまの職業になる。

年を取ると「思い出話」が長くなっていけない!

この「縄文土器」と「矢じり」その後の僕を形成する、きっかけのブツである。
学びは今の職業には、全く、生きていない。
が、からだのどこかに「宿っている」と思う。

手放せ無い、大事なものである。

コメント (15)
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