館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

僕の育った音楽・Dの仲間達・その1・ボブ ディラン。

2007-04-27 06:36:30 | 僕の育った音楽
やっと「C」が終わった。で、デーに入った。先は長い!
Dの最初はディランだ・・・・・深い意味は無い。



御年は既に、60を超え、もうすぐ70になる。
62年デビューからすでに、40年以上も、第一線に立っている。

フォーク或いはロックのフィールドではまさに巨人である。
しかし、その賛否は又、結構はっきり分かれる方でもある。

その声・・まさに賛否あり!か?

その作品・ルーツはしっかりし、精神性確固たる、20世紀に生み出された「音楽」の偉大なるものと思う。
が、僕は「本人の」物はあまり好きではなかった。
今もって、多くはそうである。

だが、その作品、不思議と「他人」がカバーすると、感動さえする物になる。

ニューポート・フォーク・フェスでの逸話。(以下・ウイキペディアの引用)

>1965年頃から、後にフォークロックと呼ばれるスタイルに移行し、エレクトリック楽器を取り入れた演奏をするようになった。多くのフォーク・ソングの愛好者は、この行為を「フォークに対する裏切り」と見なした。 同年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、ディランはバック・バンドを従えてステージに上がったが、従来のスタイルを希望するファンからブーイングを受けて、数曲演奏したのみでステージを降り、その後一人でアコースティック・ギターを持ってステージに戻ったというエピソードが残されている。

は、かなりの誇張。
彼はフォークを捨てた訳ではない。以降、確かに「ロック」寄りの作品は多いが、プロテストする姿勢・あからさまな「人間」の表現、毒もあって、当然の如く「権力」への擦り寄りなど微塵も無い。ウッディー ガスリーの精神を抱えたまま、音楽をやっている。

世界中のミュージシャンに多くの影響を与えたね。

翻って70年代・日本のフォーク。
あの吉田某など、ディランさながら、格好は真似たが(曲なども、パクリ多し)その深い精神性と、プロテストの心意気は、学ばなかった。
FOLKS(民衆・人々)の地平に立ってないから、平気で歌謡曲になっていった。吉田某含む、70年代売れっ子のエセフォークシンガー達の、情けなさが、ディランを聞くたびに、浮かんでくるのだ。
コメント (8)
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