館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ジローズ・僕の育った音楽Jの仲間達・その13。

2009-08-30 08:17:38 | 僕の育った音楽



TOCT-25108
オリジナル発売日:71/04/05

カオスのようだった、日本のフォークが(正確に言えば、アメリカからもたらされた、カレッジフォークがか・・・)爆発的に、盛り上がった時代が60年代の終わりから、70年代の初め・・・

友よ・遠い世界に・イムジン河・あの素晴らしい愛をもう一度・そして「戦争を知らない子供たち」。

アメリカ輸入のフォークに対し、日本の民謡を掘り起こしたり、大正デモクラシーの中の演歌を持ってきたり、ディランがエレキを抱えて、衣替えしたら、そのまま追随したりと・・・カオスであった。

まあその後、商品となって、様々な混乱があって、商売の側は、ニューミュージックに衣替えし、フォークは小さな場や、地方に多くは深く潜行することになるのは、僕の論調である。

んで、その「戦争を知らない子供たち」!


フォークやニュー・ミュージックのヒット曲が教科書に載るようになった最初がジローズの「戦争を知らない子供たち」だったのではないだろうか。初めて歌われたのは1970年に大阪で開かれた万博のカナダ館のイベント・ステージでだった。レコード化されたのは翌71年2月だ。歌っていたのがシューベルツを解散した杉田二郎が組んだ第二次ジローズだった。メンバーは杉田二郎と森下次郎という2人のジローさんだった。

作詞は北山修、作曲は杉田二郎。

北山修・この男は、名曲を沢山残し、軸足は今もぶれていないのである。
ちょっと、危ない(いや・・精神的に・・まあ、本人精神科の医者だから、この辺りどうにもならんか・・・)

戦争を知らない子供たち
メイビー・トゥモロウ
この胸のときめきを
愛とあなたのために
竹田の子守唄
サークル・ゲーム
心の友
朝焼けの空から
まま子
恋はフェニックス
アイ・アム・ア・ロック
鏡の中
ラバース・コンチェルト
あなただけに
君のまわりを見つめてごらん

ご覧の曲が収まっている。

杉田が、アメリカ西海岸の音楽に、ちょっと嵌っていた時代がわかりますな・・
カバー曲見るとね。

しかし、なつかしい音楽だよな~~
コメント (10)
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