r:maroon;"> 「名所」=釧路川舟運の「道標」 釧路川機械船就航と「二股」230525
大正五年四月、釧路川に機械船が就航する。釧路合資会社の釧路丸と、正置運送部のみゆき丸である。みゆき丸は七トンの動力船。正置運送部の正置 幸は釧路で鉄工場を経営し、折からの漁船動力化に備えて動力船を作ったものの漁師には買ってもらえず、使用させても利益があがらず、川運送に就航させればと考えたと『標茶町史考』にある。
石川氏の回想記(註 石川◆氏 標茶町市街で「十字堂菓子店」を経営)の回想記には、午前六時にモシリヤを出帆し午後四時に標茶へ到着。川舟で三日間の道のりが動力船で一〇時間。「当時としては革命的な輸送機関」とある。(舟は)“経済も文化も、家庭の備品から家屋の木材まで運ぶ”標茶の生命線との思いが石川さんには強い。
氏はまた、荷物の揚げおろしと進路の用をなす「名所」という場所の指定があったことを記し、かますはぶり・一の萩・塘路・二股・岩保木・クチョロ・二本松・千葉牧場・冷水・二ツ山・五十石・終点、などを挙げている。二股は◆頁で説明した。二本松は国道から分かれた久著呂への道がJR線を過ぎ釧路川を横切る橋のところをさすらしい。
(佐藤宥紹著「釧路川の汽船輸送時代」 『釧路川文化論』 37p 釧路短期大学・標茶町教育委員会発行 1996年)。
大正五年四月、釧路川に機械船が就航する。釧路合資会社の釧路丸と、正置運送部のみゆき丸である。みゆき丸は七トンの動力船。正置運送部の正置 幸は釧路で鉄工場を経営し、折からの漁船動力化に備えて動力船を作ったものの漁師には買ってもらえず、使用させても利益があがらず、川運送に就航させればと考えたと『標茶町史考』にある。
石川氏の回想記(註 石川◆氏 標茶町市街で「十字堂菓子店」を経営)の回想記には、午前六時にモシリヤを出帆し午後四時に標茶へ到着。川舟で三日間の道のりが動力船で一〇時間。「当時としては革命的な輸送機関」とある。(舟は)“経済も文化も、家庭の備品から家屋の木材まで運ぶ”標茶の生命線との思いが石川さんには強い。
氏はまた、荷物の揚げおろしと進路の用をなす「名所」という場所の指定があったことを記し、かますはぶり・一の萩・塘路・二股・岩保木・クチョロ・二本松・千葉牧場・冷水・二ツ山・五十石・終点、などを挙げている。二股は◆頁で説明した。二本松は国道から分かれた久著呂への道がJR線を過ぎ釧路川を横切る橋のところをさすらしい。
(佐藤宥紹著「釧路川の汽船輸送時代」 『釧路川文化論』 37p 釧路短期大学・標茶町教育委員会発行 1996年)。
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