pacific0035'写真BBS

文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

遠軽高 高校野球

2013年03月31日 16時53分33秒 | Weblog
 遠軽高 高校野球。さきに大阪桐蔭高との対戦があった。あきらかに核がちがった。

 そのときの大阪桐蔭高校。上位打線の打席にはいる姿勢、ポーズ、姿勢が気になった。「上から目線」。いささか、その見下ろす高校生の姿勢が記憶されている。

 「走者が捕手に激突 守備妨害で大阪桐蔭に厳重注意 センバツ」。広く、報道された。

 民営高校の、強いといわれる組織的な自負か。岐阜の県立高校が、3連覇に「待った」、

 いささか、考える。教育のありようというより、「強い」への思い入れと自負を。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多木浩二著『戦争論』

2013年03月31日 06時42分57秒 | Weblog
 多木浩二著『戦争論』。「近代の戦争」「軍隊国家の誕生」「死と暴力の世紀」「冷戦から内戦へ」「二〇世紀の戦争」と章建てされている。

 
 うち「軍隊国家の誕生」には「ー近代日本」の副題が付せられる。
 そこでは明治国家の誕生に、「幕府・大名家が有力商人から背負った借財」を明治政府が「肩代わりした」点を指摘する。
 それともう一点、維新政府の政策展開のその後に地主小作制度が拡大し、小作争議の頻発に軍隊は「争議鎮圧」という形で、国民皆兵で組織された軍が、国民を圧する形で対峙する構図。
 明治政府は富国強兵を政策にすえ、国際社会に伍していく国是を示した。旧幕の有力商人に背負わせた借財は政府が肩代わりしたが、有力商人にはその債務には応じなかったものの、産業育成の観点で保語と血税をつぎこむ保護政策が選択されたのだと、言いたいのだと見る。

 個人間の戦い、そして国家間の戦争は古代にもさかのぼる。
 しかし20世紀のそれは、局地の戦い、国家対国家の戦いではなく国家群と国家群の戦いとなった。それが「世界大戦」というべき結果であり、20世紀の戦略はそれまでの「陸」と「海」の覇権争いにくわえて「空」と「核」が加わったということになる。
 国民は原子力爆弾投下を忘れていないが、アウシュヴィッツも、南京もあった。非戦闘員のみならず、大量の人命が失われた。

 今日、日本国民とは遠いところで起きる戦時は発生している、とする。イラク、コソヴォ、ユーゴスラヴィア。戦いが核の時代にある今、隣国の北朝鮮にしても核保有がすすみ、本土上空を通過する兵器の実験が繰り返されている。官民の交渉と交流をこえて、なにかの触発でも攻撃をしかける自国民も人命・財産・将来への環境への甚大な被害を結果する。

 本書では、ここに注目しておきたい。
 「権力の言説の罠にはまらないこと。戦争がこれこれの理由で生じたという権力の言説に対して反論するよりもー戦争の現実を徹底的に知ることは必要だがーそれを超えて希望を見いだす言説を創造することがいっそう必要なのである」(156p)。

 著者は末尾に「可能なかぎり平易な言葉で書こうと努めた」(200p)とする。
 拙い評者として読み進めつつ。人類のどこかに、自然に対しても、人間自身にも、互いに「尊厳」なる価値を平気で踏みにじろうとした「20世紀以降」を、思わずにおられなかったのではあるが。(岩波新書 1999年)


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橋立 旧大聖寺町

2013年03月30日 08時03分33秒 | Weblog
日本一の富豪村 旧大聖寺町橋立 大正時代に発行された『生活』という雑誌に紹介された、という。

 北前船の里資料館と北前船主屋敷蔵六園が見学可能施設。

 橋立 塩屋 瀬越。北前船の船主の根拠地。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

開幕 野球

2013年03月29日 08時48分35秒 | Weblog
  開幕 野球。3月29日を迎えたが。地域内の地上波中継は札幌に拠点をくチームのビジターゲームの中継。BS朝日でも見ることができるらしいが。

 東京に根拠地をチームは入団3年目の若い投手がオープニングゲームに登場すると言う。こちらのリーグも「先発予告」に転じた、か。

 この人が選ばれるのは、やはりWBCの後遺症かも。投げる方はともかく、打つ方に影響はないの、か。 

 最初の試合がはじまると、たちまち最終戦ともなる。暦がめくられ、歳がかわる。「飼った」「負けた」とばかり、言ってはおれぬ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬華火 阿寒湖温泉

2013年03月28日 05時11分25秒 | Weblog
 冬華火 阿寒湖温泉 「3月15日まで」ということであった。白雪と氷の湖畔、その夜空に饗宴が展開



 20時台。ほろ酔いの部屋の窓から高くうちあげられ開花する光、多彩、大きさのページェント。

 室内からではなく、氷上をあるいて打ち上げ会場に案内してもらい、現場での迫力をまのあたりにすることもできるらしい。

 前夜は「今日は暖気で氷も危険」と案内があった。もちろん外にはでていかなかったが、川湯温泉の朝の樹氷は天然、湖畔の華火は関係者の努力。新しい価値創造ということ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春 樹氷

2013年03月27日 07時17分39秒 | Weblog
 春 樹氷 3月27日朝。カーテンを開いて、春の装い。



気温が上昇、気化した水滴が急激に冷却されたか、朝、枝・枝に氷片。

 カメラにおさめて、今年の春到来の一枚に。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加賀 北前船

2013年03月26日 06時53分25秒 | Weblog
加賀 北前船。月曜日からシリーズで放送。函館、下北、秋田、新潟、加賀とむすぶも、最後は加賀と小樽の紹介であった。

 加賀は橋立、瀬越と銭屋五兵衛が紹介され、大家・広海・西出などの諸家の全盛時と、その後が紹介された、が。

  

 転機は汽船、鉄道の輸送革新に電信という通信手段の普及。地域による価格差が解消し、全国相場が形成されては輸送と売買の兼業が成立しなくなった。

 小樽の住吉宮に大家家と広海家が寄進した大鳥居が現存。小樽あたりが北陸廻船が直接乗り込んだ境界ということかも。

 

 写真は網走神社に伝来の絵馬。施主は近江・松前。北陸廻船の出先ということかも、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟 北前船

2013年03月22日 07時07分06秒 | Weblog
 新潟 北前船。シリーズでの放送北前船。秋田の昆布、酒田の米につづいては新潟。

 新潟は佐渡への渡り口ながら、それは直江津や柏崎が優先、天領経営としては出雲崎がさきかと記憶するが。

 新潟と北前。ここは信濃川水系に阿賀野川水系の河川輸送と北前船の日本海買い積み輸送の結節ということか。

 中心街の古町。花マチとしてのそれは実感がないが、税関とあわせて、どうも安政の開港以降のことではあるまいか。

 番組ではむしろ会津で集められた米を越後に、信州の米を新潟に送る河川輸送に、河川型北前取引(売買+輸送)の様式津川=河港などが成立していた点の紹介が有意義であった。

 木曜日の放送では、モノ、ヒト、文化の交流に「おけさ」と「塗り物」の伝搬と普及。そこのところを丁寧に紹介していたが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

財力 胴海舟船&川崎舟

2013年03月21日 08時31分04秒 | Weblog
 財力 胴海舟船&川崎舟。前浜漁業で回遊魚を漁する東北出身漁業者の漁船を胴海舟と整理しておこう。動力は櫓である。

 4-5里さきの沖合に出漁し、通年にわたり生息する定棲する資源を漁獲するの越後出身者が導入した川崎舟である。動力は櫓もあるが主力は一枚帆に風力をうけての帆走舟。

 どっちに元手がかかるの・、聞かれた。答えに窮したが、その違いは江戸時代の、越後と東北の米の付加価値の違いと考えることにした。

 微妙ではあるが、前浜数百メートルの地点で操業する漁業と、沖合数里に出かけて漁業をしながらも、鮮度に差異なく漁業で肩をならべていく経済的根拠はといえば、それは微細なのかも知れない。

 ただ、わずかに越後漁業者の生産力をささえていたもの。そこになると、越後の米出荷をマーケットにもつ漁業者と東北の米作りをマーケットにもつ漁業者にとって、背後圏の経済力。それが決め手になったのではと、思いめぐらしてみた点ではあるが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿寒湖荘 阿寒湖温泉

2013年03月20日 14時57分29秒 | Weblog


阿寒湖温泉。湖畔に広がる温泉街。湖上から眺めると雄阿寒岳を背中にして阿寒湖荘は位置する。

 しばしば訪れることがあるのは、この宿。
 宿からはフップシ岳を最高峰とする山並みをのぞむ。最上階に「展望大浴場」を据えており、湯船からその山並みと温泉街を一望できる。
 湯船からみえる山には名称がないらしい。惜しい。

 泉質は、「単純泉。効能は神経痛やリューマチ。段々畑のように高さの違う三つの浴槽が、源泉100%掛け流しの証しです」というのが、なによりありがたい。

 山を見にゆき、湯につかりにゆくのではなく、「山に見せに行き、湯に包んでもらう」。これ、「客が何度でも足をはこぶための屁理屈」。

 昼間、アイヌコタンの「丸木舟」さんに足をはこび、キーコーヒーに「サルルンカムイ」のCDを一枚。
 宿のとなりの土産店「くまの子」さんで、木製印箱+鹿角のマッサージ用ハンマー。2泊3日の休息。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千日墓 道頓堀

2013年03月20日 08時51分31秒 | Weblog
 千日墓 道頓堀。大阪の繁華街。道頓堀は市中ひきまわしの刑場への道なのだそうだ。

 千日は刑場で、江戸時代を通じて200万人が埋葬されたとする。

 法善寺横丁。さびしきところに繁華街ができたものだ。出来たと言うより、そのあたりにヒトの集積の論理がある、や。

 京都・奈良をめぐるとき、大阪に宿をとることが多い。到着の日、道頓堀を歩くが、「市中ひきまわしの道」とは。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏教伝来 外交成果

2013年03月19日 06時51分58秒 | Weblog
仏教伝来 外交成果。仏教伝来をめぐる蘇我氏、物部氏の対立。

 朝鮮半島。その先端部に任那の交易拠点。日本府がつくられた。唐の圧迫をうけ、新羅の侵攻をうけた百済は倭に援軍を求める。

 倭は援軍を送るも「磐井の叛乱」があって、支援は失敗に終わる。ただ見返りに仏教の導入=寺院建立、経典の読解、教義の理解を果たして、蘇我氏は氏寺たる飛鳥寺を建立する。

 これまで仏教伝来をめぐり蘇我と物部が「対立」と受け止めてきた。そこのところを両氏の、「内政、外交の対立」と読み説くらしい。

 唐・新羅と通ずることをとく物部に、百済との親交を考える蘇我氏。大伴の勢力が停滞したあとの物部に、渡来人を組織し主導権をめざす蘇我氏。

 百済の首府にある王興寺と蘇我の氏寺たる飛鳥寺とは、建立年代が近接。王興寺の発掘で出土の舎利容器と飛鳥寺の法宝物、また蓮華の花弁の様式。それぞれ類似のものが残るとする。

 外交が武力=豪族から専門家の手に映る局面、当時、文明の主体であった仏教の伝来は、百済支援の見返りであり、内政・外交の主導権を制する事象であったとするのであるが。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野球の文化 WBC

2013年03月19日 03時17分48秒 | Weblog
 野球の文化 WBC。3連覇ならず。ネットの情報でしか知らないが。

 拙宅で中継を見ていた人の意見を聞いて考えた。「アジア的野球では、日本は強かった」、しかし「中米野球には通じなかった」ということか。

 オランダは土地こそヨーロッパに位置するも、中米に植民地があった由縁でチーム内に「中米出身者が多い」は解説者・桑田真澄氏の弁。

 日本はオランダには強かったが、韓国は敗れた。日本は予選でキューバに勝てなかった。準決勝で負けた。

 アメリカ大リーグ。実は中南米選手が多いということ。
 対戦したプエルトリコの主力選手の契約金が12億、13億所得者と聞いて、日本人メジャーよりも上回るの感。

 かつて柔道が発祥国のはずで強いと自負したら、それが通じなかった。
 「国際社会で勝つ柔道」の訓練が女子選手団への体罰となって浮上。関係者は説明に追われた。WBCでUSA国の不振と似ている。

 昔、ソフトボール選手の家人申す。
 「審判の判定が滅茶苦茶、投手の投球テンポがはやくバッターはついてゆけなかったのでわ」。

 仮に大相撲世界選手権が開催されたら、
 満を持した日本人力士は惨敗。モンゴル出身者に勝利の女神はキスをする、ハズ。

 「アジア式野球」体「中米型野球」。
 日本にも、そしてUSAにも、勝利の女神は無縁であったと、言うことなりや。


  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年03月18日 06時38分24秒 | Weblog
 蔵。 駅の館 材木町の館 大町の館とある。

 1955年前後の生活文化財を公開。「駅の館」は釧路駅のなかにありおかゆ、おやき、汁粉、あんみつなどの小食を提供している。

 17日の昼、中心街回遊の折に立ち寄った。「白玉汁粉」が480円、黒豆あんタイ焼きに日本茶で120円とかいわれ、あわてて小豆餡と黒豆餡のタイヤキを一個ずつ追加。これだけでも一人分の昼食代金かも。

 「蔵 材木町の館」の展示図録、公立学校の廊下に掲げられた美術品の一覧など「お宝探し」は可能かも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封建小農 単婚小家族

2013年03月17日 09時37分36秒 | Weblog
封建小農 単婚小家族。江戸時代の農民身分の基礎単位。

 大石慎三郎は著書『江戸時代』のなかに、「(農業用地)広さにして約一町歩、石高にすると約一〇石くらいの田畑をもち、自分の責任において耕作し(この場合耕作労働力は雇いいれた労働力でではなく自家労働力で年貢を納める存在」(223p)と書いている。

 「彼らの家族形態は単婚小家族といって夫婦と子供を中心にし、これに場合によっては夫婦の親が加わるので、家族数は平均して四~五名といったところである」とする(同)。

 単婚小家族は1965年にはいわれていたが、「核家族」なる語が登場するのはその後である。いまも歴史学では「単婚小家族」と呼ぶと思うが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする