
昭和20年7月14日、15日。北海道東部の釧路市は、アメリカ軍の艦載機による爆撃をうけた。世にいう「釧路空襲」であるが、昭和5年生まれ、当時15歳の著者はちょっとした契機からその惨事を、身をもってくぐりぬけることになる。本書は書名にある『動輪』の名がしめすように、鉄道機関士をめざしていた少年期にめぐりあった回想記であり、「戦前・昭和」の地域と時代を記録したノンフィクション作品。
冒頭、昭和4年の世界恐慌が室蘭にも影を落としていたことから、物語は始まる。鉄管製造の工場に勤務しながら俳句を趣味におだやかな暮らしを家族にもたらしていた、いかにも文人らしき父のもとに組合結成と代表就任の話がもちこまれようとしていた。危機を察した父君は会社を辞し、家族とも別れて、室蘭を離れ釧路に移る。後に家族を呼び寄せ、旭町かいわいで生活を立てなおすことになるのだが、勤務先の艀会社でまたもや組合結成の話。一家はここでも会社を辞した父の転職から、今度は音別村尺別の炭鉱へと居を転ずることになる。まず、このあたりの一家の当面した境遇が読む人をひきつけて、くれる。
著者は尺別の高等科に進学する。やがて予科練の入学試験に挑み、同じ学校で合格した3名のなかに名を連ねる。高等科を卒業し予科練への待機の期間を池田機関区で過ごすことになるのだが、本土決戦が近づく。機関区では、海岸に面した鉄道施設で機関車を守るために防空壕建設の要員派遣がすすめられ、釧路機関区に派遣される3名にまたまた著者が含まれる。3名は7月13日、釧路に出張し、翌日から機関車を避難させる防空壕掘りに従事することになっていたが。
7月14日の市中攻撃で著者はネライ打ちにあい、見知らぬ家族の壕に逃げ込み、かろうじて難を逃れる。空襲の体験手記はこれまでにも読んだことがある。空襲の経過、避難の細部、恐怖におそわれつつも爆撃機が去っていくのを見ながら安堵する心のうごきが、丁寧に紹介される。室蘭時代を回想する「昭和一桁挽歌編」、尺別の炭鉱時代の「悲しき炭坑編」、機関区で見習いを務める「戦時の池田機関区編」。さらに「戦火の釧路編」と章がすすむが、本書の中核は、この「戦火の釧路編」の2日間にあって、デティールな記載にその思いがこめられているのかと、思う。
作業に取りかかる前に、肝心の機関車が無残な姿を見せられ、釧路に集められた機関士の見習いは自失する。著者たちは札幌の機関助士研修所へ移され、そこで玉音放送を聴く。
鉄道は北海道の経済をささえた牽引産業。漁業であれ、炭鉱であれ、厳しい労働下に身をおいてきた人は多い。しかし、その厳しい作業や労働が影響をあたえてか自ら筆をとり、暮らしと仕事へのこだわりを記録に残した方は、多くない。なかでもSLへの愛着と整備を詳述し鉄道ファンもうならせる紹介がある。著者の少年時代はもとより、時代にもてあそばれたかにみえるご一家の浮沈とあわせて、戦前昭和期の庶民の暮らしと社会観が表明され、一読しさわやかであった。(近代文藝 1997年05月 2100円)