pacific0035'写真BBS

文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

経営者がマチなかで汗と投資 白老町で「歩いて巡る屋外写真展」=北海道 NEWS WEB220928

2022年09月30日 06時37分54秒 | 放送
 経営者がマチなかで汗と投資 白老町で「歩いて巡る屋外写真展」=北海道 NEWS WEB220928
 
 そこには見学者と主催者のコメント。紹介されている。
(見学者)「おもしろい企画だと思いました、漁や子どもたちの写真が印象に残った」。
(主催者)「海風浴びながらゆっくり歩いて土地の記憶を感じる体験楽しんでほしい」。

 会場には、昭和30年代から40年代にかけての町の日常を切り取ったおよそ40枚の写真。それが拡大され、倉庫や空き家の外壁に展示されている、と。
 なかでも、社台地区の海岸沿いにある倉庫に張り付けられた写真は大きさが縦4.6メートル、横8.9メートル。
 
 実に、この写真展で最も大きい作品の1つで、大勢の漁師たちが力をあわせて船を陸揚げする様子から漁業で活気があふれていた当時の息づかいを感じさせる。
 そのように伝える。

 見学者は東京から訪れた40歳の男性。「昔の人が漁をしている写真や、子供たちの写真などが印象に残りました。おもしろい企画だと思いました」。
 写真展を企画した実行委員会の木野哲也企画プロデューサー。
 こちらも40歳代をおもわせる若手経営者。
 「海風を浴びながらゆっくり歩いて、この土地の記憶を感じる体験を是非楽しんでほしいです」と話していました。
 
 写真展は、10月10日まで開催ではあるも、なかには「このまま、展示を続ける」。そうした意欲も発掘したようで、実に頼もしいでは、ないですか。
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経営者がマチなかで汗と投資 白老町で「歩いて巡る屋外写真展」=北海道 NEWS WEB220928

2022年09月29日 13時56分37秒 | 放送
  経営者がマチなかで汗と投資 白老町で「歩いて巡る屋外写真展」=北海道 NEWS WEB220928

 TVのニュース番組を横目でみながら、目に留まった。「白老町で「歩いて巡る屋外写真展」。
 マチなかに存する建造物の壁に、それぞれ持ち寄った一枚を「小分割のプリント」を合わせて「大型画像」で展示。
 接岸する大型漁船、船から水揚げの場面に、作業に従事する漁船員の群れ。

 イキイキとした光景が町民の目をうばい、見守る市民に力を与えているの感。
 ニュースは伝える。
 「胆振の白老町で、昭和30年代から40年代にかけての人々の暮らしぶりを記録した写真を拡大し、倉庫などの外壁に展示するユニークな写真展」。

 「うち、社台地区の海岸沿いにある倉庫に張り付けられた写真は大きさが縦4.6メートル、横8.9メートルとこの写真展で最も大きい作品の1つ」
  「大勢の漁師たちが力をあわせて船を陸揚げする様子から漁業で活気があふれていた当時の息づかいを感じることができます」。

 少しずつながら、このマチで<マチ歩き>の催事が動き出した。
 橋北地区では7月14日と9月22日に女性が中心になって立ち上がった「ぶぶる釧路街歩き」。
 すでに14年目を迎えた「北大通を歩こう会」(代表 岡澤 敦子さん)。

 地域で本社機能をもつ経済団体も取り組みを開始。 
 2021年10月の第一回に続き、今年も10月22日に催行ときまったようだ。
 歩いて「遊ぶ」、話をしながら「学ぶ」、しっかり履修を自身が「褒める」。その先になにが生まれてくるだろうか。

 「いいところです、行ってみてごらん」。
 「しかし、そこは知る人ぞ知る」で、「現地に行っても、なんの表示も案内もなし」。レンガ倉庫に「原田御殿」の絵画写真。
 それなら、「原田御殿?」「そんなものあったの?」「サー、わかんない」。
 市外の方は申す。「原田康子さんは立派な作品を残した」「でも地元のヒトは原田さんに冷淡だ」。
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対岸に「苧足糸 ヲタ・エト」の地名を聴くも “石炭・鉄道の地”から“海洋・汽船の地”を ぶぶる釧路街歩き2nd-続-220922

2022年09月28日 08時42分12秒 | 催事
対岸に「苧足糸 ヲタ・エト」の地名を聴くも “石炭・鉄道の地”から“海洋・汽船の地”を ぶぶる釧路街歩き2nd-続-220922

「原田さんの作品に<オタエト>の地名があって・・・・」。
2022年9月22日午前、釧路川右岸の岸壁を歩きながら、ご参加のお一人から提案が。
念頭に浮かんだのが掲載の銅版画画像。『北海立志図録』という書に掲載の絵柄。

釧路港の修築で姿を消したのである、が。
釧路川左岸にシッカリと<舌状>の砂州が発達していた時代がありまして。
その砂州が由来となって、アイヌ民族の言葉に語源をもつ「ヲタ・エト=ota・etu 砂浜・岬」、もしくは「沙の・岬」が命名されてきましたです、よ。

その砂州の付け根には、釧路川にとって明治期の新時代、その到来を意味する著名な施設が設けられます。
「硫黄山安田事務所釧路出張所」。『北海立志図録』の図柄タイトルにある施設です。
川湯・硫黄山で採掘した硫黄原石を標茶の精錬所で製品化します。釧路川を下る川舟で到着したのが、画像の位置。現在の釧路シーサイドホテルの先にあった砂州の付け根です。

砂州の地形は明治41年から始まる釧路港の修築工事で消えました。
河口に防波堤を建設し、釧路川下流部の水深を確保するため浚渫=川底の掘り返しと土砂の除去をおこなったためです。
佐々木米太郎翁は昭和7年8月、その「ヲタ・エト=ota・etu 砂浜・岬」の地を「入舟」と呼ぶことにしました。

正確には「ヲタ・エト=ota・etu 砂浜・岬」を「苧足糸」と書き、読んでいました。
そこに、次の命名理由を書き加えています。注目しましょう。
「旧名入舟町の一部及苧足糸の一部に属し大半は明治34年の埋立地である釧路川左岸内港部」。
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雑穀集荷と出荷のシステム 1930年前後の釧路港220922―後―

2022年09月27日 04時50分03秒 | 季節
 雑穀集荷と出荷のシステム 1930年前後の釧路港220922―後―

 最終回は1998年3月9日の『釧路新聞』文化面掲載記事に加えて、お二人の見聞をもとに現行の図面に昭和5年当時の施設を挿入してみました。
 お一人は昭和16年のお生まれで、南浜町に暮らして三代 100年となるお孫さん。もうお一方は昭和6年かの生誕で、南浜町から「下渡船」で「釧路市立東栄小学校に通学」された、経歴の持ち主(当日は腰痛とやらで姿、お目にかかれず)。。

市制十周年写真帖 前回、トンケシにあった「撰穀工場」と、「港頭雑穀野積みの景」という二点の写真を紹介した。本欄に掲載直後、読者の方から拙宅へお電話をいただいた。「港頭雑穀野積みの景」の写真で、雑穀俵の上にしゃがんでいる男性は「父の横顔にそっくり」とのお話であった。実家は確かに「撰穀工場」を経営されており、俵から何やら指揮らしいことをしているのは、父そのものとのお話である。
 その「撰穀工場」と「港頭雑穀野積みの景」の写真は、「市制施行十周年記念」写真帖から複製した写真である。それは昭和七年八月一日に挙行された、市制施行十周年記念式典を期して調整され、同年十二月十日に清野写真館が撮影と編さんをすすめた。今となっては戦前の市街地写真の貴重な記録である。
 早速、複製写真をお送りしたところ、重ねてお電話をいただいた。写真の人は
電話の主のお父上に間違いがない。高橋吉之助という方で、現在の海運合同庁舎のところに、ヤマキ高橋撰穀工場の名で、作業場と住宅を併設した工場をもっておられたのだそうである。また「撰穀工場」と紹介した作業場の風景は、その工場内部の写真に違いあるまい、とのお話であった。写真帖では撮影場所についての情報が記載されていない。往時の雑穀取扱の風景を紹介したにすぎないが、今ひとつ写真に関する固有情報が、蓄積されたわけである。(拙稿「昭和七年、北大通の景観」 くしろ歴史の風景―30―)
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地域経済&環境保全を再構築 グリーンピースの<地産地消>でもう一話220926

2022年09月26日 06時24分25秒 | 催事
 地域経済&環境保全を再構築 グリーンピースの<地産地消>でもう一話220926

 9月22日午前に催行の「ぶぶる釧路街歩き2nd」で、山木屋浦田菓子舗さんの銘菓「しとき」(写真)で<おもてなし>がありました。
 参加者のお一人・ちえこさんが心配りをしてくださって、参加者を歓ばせてくださいました。
 「ちえこさん、しとき、驚きの美味しさ👍ご馳走様でした〜🙇」。参加者のお一人からの<貴重な感想>です。

 催行ツアー、今回の題材・それは「(世に申した)原田御殿」は、どのような背景で成立したものか、その位置はどこか。
 成立の背景には「第一次世界大戦でヨーロッパが戦場に化し、洋食用グリーンピースに大量の海外むけ需要が」。
 山木屋浦田菓子舗さんの「しとき」は素材が「砂糖(国内産)、青エンドウ豆、寒天、白玉、水あめ(本品製造工場では小麦・卵:乳を含む製品を生産しています)」と示されています。

 山木屋浦田菓子舗さんは明治40年かの創業。先代は旧制釧路中学校卒の、地元菓子舗。
 素材も地域の産物に思いいれて、創業115年の老舗ということに。
 「<しとき>はウチのオヤジが作った」。共栄大通三丁目1番地の菓子舗・甘秀堂の二代目中村某氏は申される。そうか、甘秀堂さんは浦田さんで修行されたのだ。

 話をもとに戻しておく。SDGS=2030年にむけ、「地球の危機」が叫ばれているではないか。他方で地方都市の中心街斜陽化も声高に主張されている。
 識者は申す。「産業構造の転換」が必要なのです、と。
 ただ、それはこれから未来に向かっての、ある意味、ひとつの実験とうことではないだろうか。

 北海道は中央の経済を下支えする<本州経済の補完地>たるの性格が色濃い。別な言い方をするまでもなく、それは本州経済の植民地たるの性格を示す。
 資源を根こそぎ搬出し、資源の価値が低下すると他に生産拠点を移し、地域に廃墟を残して、その仕上げ<優秀な人材から引き抜いてゆく>。
 地域にある本社機能は、社員とその家族に責任をもちつつ、地域の未来をも展望する。自ら付加価値を創設することなく、ひたすら搬出し、豊かな自然やそこに生息する生物すら住みにくくする、経済は持続しがたい。そうではないか。
  
 「ぶぶる釧路街歩き2nd」。催行にあわせて「青エンドウ豆」で創造した銘菓で<おもてなし>。
 単なる偶然。そう決めつけるのは、いかにも惜しいい。
 そこに女性ならではの<経験と勘、深い英知>が働いた。そう読ませていただき、この稿をむすぶことに。
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仕上げの<褒める>は「コーヒー+羊羹」セット ぶぶる釧路街歩き2nd220922 釧路芸術館

2022年09月25日 09時05分57秒 | 催事
仕上げの<褒める>は「コーヒー+羊羹」セット ぶぶる釧路街歩き2nd220922 釧路芸術館

「原田御殿界わい」と銘打って開催。第二回は錦町、南浜、浪花、幸町とめぐる釧路川河畔コース。
河畔コースを<歩く>の「あそぶ」、旧原田御殿跡を訪ねて<港が雑穀輸出を支えたシステム>を「まねぶ・学ぶ」のあとは、今回、「歩く」と「学ぶ・まねぶ」を「褒める」地点に選んだのは釧路芸術館2FのCafe.
配られたメニューから、筆者が選んだのは「コーヒー+羊羹」。「煎茶+羊羹」というのもあったけれど、この日はなんとなく「コーヒー+羊羹」。

話題を転じて9月23日朝に放送の「nhBS 美の壺」。題名を見てハッとした。それは「羊羹 ようかん」。
いつも送っていただく「小城羊羹」ももちろん、登場。
江戸時代の創業。長崎街道。シュガー街道。精選した白色、透明度の高いザラメ砂糖。漆塗りの流し箱。羊羹の表面を刷毛ホーキで丁寧に<目>を入れて糖分の表出をうながす。

昭和25年から40年。駅のホームで小売りをするときの、「売り箱」も紹介されて、名物が誕生したときから成熟に至るプロセスをホンの一部が紹介された。
ネットにある「砂糖文化を広めた『長崎街道シュガーロード』が日本遺産に認定」の主要部分。
「長崎・出島をスタートして、小倉へとつながる『シュガーロード』沿いには、多くの文化財とともに砂糖の伝来がもたらした数々の銘菓があり、400年以上の時を経て育まれた文化」に触れることができる、とする。

22年9月23日朝放送の「美の壺」。むすびは、「いまオススメ おしゃれな羊羹の活かし方」。それは「羊羹を召し上がりながらコーヒーを呑む」。そかそか。
ちなみに釧路芸術館で用意していただいた羊羹。グリーンピースを材料に練り上げた逸品のように思い、感慨深かった。原田御殿を支えた港湾流通の財源。それは十勝のグリーンピースを西欧に送り届けたことにあったと、されているから。
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雑穀集荷と出荷のシステム 1930年前後の釧路港220922―中―

2022年09月24日 05時13分13秒 | 催事
雑穀集荷と出荷のシステム 1930年前後の釧路港220922―中―

 1998年3月に紙面に投稿、のちに出版したのが、その記載をすっかり失念していた。
 記載の場所。それは『釧路新聞』紙面で「くしろ歴史の風景」、釧路新書では『街角の百年』。そうした枠組みであった。
 発端はと申すと『市制施行十周年記念 写真帖』に掲載されている二点の写真を紹介したことにあった。

 今回は2022年9月22日に開催、「ぶぶる釧路街歩き2nd」の実地見聞をもとに、図面に補注を加えて第二話。雑穀の集散地。
                   1998年3月2日 『釧路新聞』文化面掲載か

雑穀の集散地 「昭和七年 釧路市勢要覧」によると、釧路~網走間の鉄道が全通してから、十勝のみならずこの沿線の貨物が増えた。にもかかわらず鉄道から船舶への荷役施設が誠に狭少であるため、その能力限度を超えており、殊に毎秋の農産出回り期にあっては流入貨物屋外に山積みの状態であった。
農産物の中心はエンドウ・菜豆・大豆などの豆類である。エンドウはグリーンピースの称があってヨーロッパへ運ばれた。このためロンドンやリバプールへの航路が活況を呈していた。小豆(あずき)や菜豆は国内の製餡業者へ、大豆は同じく味噌・醤油の醸造業や食用油の製油業者へ、それぞれ積み出されていった。
 撰穀工場(豆選り工場)は、小豆・菜豆などを選別して等級ごとに仕分けするところである。写真で見るように、女性たちが日本手拭いの頬かむりに白い割烹着(かっぽうぎ)姿で、選別作業にあたっている。浪花町七丁目には「釧路保育園」が、昭和五年かに開設された。選穀工場に働く女性たちが子供の保育をゆだねるながらという姿も、ごく当然であった。また昭和六年までの一時期、浪花町に職業紹介所が開設されていた。こちらは港湾貨物の積み込みにあたる荷役労働者を募集し、仕事を周旋する。農産物検査所といい、撰穀工場といい、保育園といい、これまた港湾の活動と深く結びついている。
 釧路港はよく南の石炭、北の雑貨と区分される。農産物集散地のこの一帯こそ、雑貨荷役の中核をなすものであった。
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そこまでする異常 「安倍氏遺骨 防衛省経由で武道館」220923

2022年09月23日 16時12分45秒 | 放送
そこまでする異常 「安倍氏遺骨 防衛省経由で武道館」220923

「FNNプライムオンライン」が23日午後、配信した。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6439558  
「複数の関係者」によると断り、「生前、安全保障分野に力を注いだことが理由」と、展開する。
「自宅前では、自衛隊が敬意を示す『儀仗(ぎじょう)』を行うことが明らか」。

 政権の特質を体現するものではないか。
 沖縄基地化でも「唯一、最善の方法」と主張して、現地の意向には耳を傾けなかった。
 安保法制の議論のなかでは、内閣法制局長官を前例を無視して解釈変更を強行した。

 都合の良いように人事をあやつった。沖縄高裁長官、日銀総裁、NHK会長。
 それぞれ背後に事情を抱えていた。
 知友人に便宜をはからった。岩田明子、籠池泰典、加計 孝太郎。

 背後にUSA、新自由主義者、国際勝共連合&旧統一教会に象徴される反社会的集団にして反日集団らしき少数超保守。
 国会での虚偽答弁の多数、質問の論点はぐらかし、ご飯論法(ごはんろんぽう)。
 「衆院調査局は21日、安倍氏が2019年11月~20年3月に事実と異なる国会答弁を118回していたと明らかにした」。

 銃弾による刺客。確実ぬ「民衆主義に挑戦」であることは間違いない。
 それとは別に、一国の首相の姿勢は<民主主義の根幹たる言論>を封じたではないか。
 「こんな奴に、負けるわけにはいかない」の都議選で地にまみれ、応援演説へのヤジを取り締まりさせた。

 「ヤジの排除に神経を奪われ、とてもても身辺警護に手が回らなかった」。いかがであろうか。
 そうした人材の政府としての弔意の表し方。「そこまでする異常 『安倍氏遺骨 防衛省経由で武道館』」とうことではないか。
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雑穀集荷と出荷のシステム 1930年前後の釧路港220922―前―

2022年09月23日 10時24分04秒 | 催事
 雑穀集荷と出荷のシステム 1930年前後の釧路港220922―前―

 1998年3月に紙面に投稿、のちに出版したのがすっかり失念していた。
 紙面には「くしろ歴史の風景」、釧路新書では『街角の百年』。そうした枠組みであった。
 発端はと申すと『市制施行十周年記念 写真帖』に掲載されている二点の写真を紹介したことが発端であった。

 二点の写真のうち、その一点を今回、掲載しておきましょう。
 今回、9月22日午前10時 釧路フイッシャーマンズMOOを出発し、説明のポイントは「1)下渡船乗降口」「2)原田御殿」「3)檜森神社―幸町―」にあった。
 「ケシカラン」。そうは申さずに、また、2023年9月にあるきましょう。

 今回はその下準備に「トンケシの新字名」
                   1998年3月2日 『釧路新聞』文化面掲載か
 旧頓化(とんけし)には寿町・南浜町・仲浜町が設定され、頓化と旧西幣舞とにまたがって、浪花町が設定された。寿町は寿尋常高等小学校が既にあったので、児童の健康を祈る意味合いをこめたのだという。南浜町と仲浜町はどちらも、釧路港の整備につれて、それぞれ「釧路港の枢要地帯」と「重要商業地区」への発展を期待して命名されたもの、とする。
 さて、浪花町は次のように紹介されている。
 (浪花町の)中央やや東寄りに地方費道(今日の国道)が貫通している。この路線は火防線となっていて、商業地に適している。今や多数の営業倉庫と撰穀工場(豆選り工場 写真)が並び、農産物の集散地区を形成する。このため、北海道農産物検査所釧路支所があり、汽船と貨車をむすぶ鉄道省による海陸連絡設備が完成すれば、一大発展を遂げ、その繁盛こそ大阪にあやからん事を祈り、浪花町とする、と。
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「迫る食料危機 日本をどう守る~いま問われる食料安全保障~」 新聞&TVで食糧危機220917

2022年09月22日 05時58分06秒 | 放送
 「迫る食料危機 日本をどう守る~いま問われる食料安全保障~」 新聞&TVで食糧危機220917

 ロシアのウクライナ侵攻。収まらない。これまでの歴史に照らせば、攻め入った側の首都が攻撃対象になっても、戦いは終わらなかった。
 侵攻以来、7ケ月。食糧・エネルギー供給が途絶し、肥料&飼料の価格高騰、食糧を確保する各国間の競争で<買負け>も起きている、と。

 新聞では「酪農危機突破大会」に釧路国、根室国の酪農経営者が結集した、と。
 nhkETVでは、「迫る食料危機 日本をどう守る~いま問われる食料安全保障~」と題する食料フォーラムが開かれた。

 「家産家消」は「家庭で栽培、家庭で消費」。
 ウサギ小屋といわれている日本人家屋や集合住宅住まいには<縁遠い>話にも聞こえるが。
 それほどまでにしてい<一極集中>というか、<都市集住>をうながして<快適>を植え付けたのは、<どこの、だれか>。

 「小麦粉よりも米粉で」。
 米の減反政策の導入時に提案してほしかった。問題は「生産者価格差補給金」。
 財政の持ち出しを増やさないためには、美田と申すより

 「(カロリーベース)日本の食糧自給率は37%」。
 本邦の農業経営者が怠慢なのではない。<USA残留食糧のもらい受け>に始まった<戦後復興>。
 「国際競争時代にあわせて、酪農経営の多頭化飼育&大型経営」。その行き着く先に「牛がゲップで発するメタンガスは23倍の濃度」。
 牛乳や牛肉の生産元を、ヤッカイ扱いする、なかれ。

 指摘するまでもなく、「票になる」の政策誘導。
 不足する外交力で抑止できなかった国際政治の「落としこぼし」が生み出した危機。
 <庶民の口>なる生活権にに深刻な影響をもたらす。
 さらに深刻、発展途上国では<今を生きるか死ぬか>の生存権をないがしろにしている。
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「這間」は「しゃかん」と読んで・・・・ 高群逸枝『母系制の研究』序説2220920

2022年09月21日 06時03分04秒 | 書評
 「這間」は「しゃかん」と読んで・・・・ 高群逸枝『母系制の研究』序説2220920

田舎に置いてあった高群逸枝著『母系制の研究 上』。講談社文庫を持参して広げ、読み進むうちに。
 「這間」のキーワード。調べてみると「しゃかん」と読んで「この間」の意味。
 「この間」は、「このかんに」の意味なのかも。「このあいだ」の意味には捉えにくいが。

 「女性史は女性の文化の発達を研究」「女性自身の立場による見方をももつもの」とする(12p)。
 そのうえで二つのテーゼを総合する考え方として、「(女性史は)女性の立場による歴史研究の学問」とむすぶ。

 他方で「女性史に対し文化史の設定は」と問い、立ち上げようとする女性史の学問的座標軸を明示しようと論ずる。
 「文化史は綜合的な学問」「女性史は特殊的の方面を有している」と住み分ける。

 「文化史の誕生は、女性史に対して種々の示唆をもたらす」としながらも、「文化史の一部としての女性史ないし女性文化史を考察」とする論には、一線を画している。

 『母系制社会の研究』に注目する背景はなにか。
 西洋の産業革命から時日を経過。男性が<良かれ>と中軸を占めてきた社会に課題が。
 1)格差と分断の拡大と深化、
 2)自然の復元力や自浄作用の臨界値を超える地球規模の負荷。
 3)次世代に臆面することなき債務の拡大と後世代負担。
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少雪寒冷の冬、日照不足に湿潤低温、劣悪を示唆の自然環境 厚岸町上尾幌・尾幌担当区界 釧路営林署210920

2022年09月20日 14時35分25秒 | 記録
少雪寒冷の冬、日照不足に湿潤低温、劣悪を示唆の自然環境 厚岸町上尾幌・尾幌担当区界 釧路営林署210920

 『釧路営林署 開庁60周年』を偶然にみつけて、内容の点検。思い知らされる劣悪を示唆の自然環境。
 水産資源に配慮した「防霧林」「魚つき林」「土砂崩壊防備」の重要な役割を指摘(14p)するも、自然環境の厳しさ、劣悪さは事実。
 他方で寒冷地、日中気温の寒暖差が生み出す「質の差別化」はそれほど明確ではないうようで。経営環境の厳しさをうかがわせる。

三、管轄区域ならびに機構
 (管轄区域)「釧路市、釧路村、鶴居村と厚岸町尾幌、上尾幌地区、標茶町阿歴内塘路地区など十九万六千ヘクタール」
 (国有林面積)「釧路市四ヘクタール、釧路村六千七百五十四ヘクタール、厚岸町四千百六十七ヘクタール、標茶町千四百七十二ヘクタール、鶴居村一万三千八百十二ヘクタール、合計二万六千二百八ヘクタールであり」「釧路団地、雪裡団地にそれぞれ一万三千ヘクタール前後分布している」。
 (機構)「釧路、上尾幌、尾幌、昆布森、幌呂、雪裡第一、雪裡第二の七担当区事務所」
     「上尾幌・雪裡造林、雪裡苗畑、上尾幌製品の各事業所を置いて実行している」(12p) 
(1)地況
ロ 水系
「釧路団地には尾幌川が厚岸湾に注ぐほか、釧路川支流の別保川があるがいずれも水量は少ない」。
ハ 地質土壌
 「(釧路団地)昆布森は、上尾幌は白亜紀、上尾幌阿歴内の第四紀、尻羽岬の古第三紀よりなるが、いずれも火山灰が覆い、土地母材となっている」。(14p)
ニ 気象
 「南部は海岸性気象であるが、海岸近くでは四~九月まで海霧が発生し、霧日数年百十日におよぶので日照時間が少なく湿潤低温で植物生育を阻害している」。
 「冬期は積雪少なく晴天が多いが風と寒気のため冷涼で土壌は森林内でも凍結する」。
 「そのため寒風害の危険が大きい」
   『釧路営林署 開庁60周年記念誌』(昭和43年 釧路営林署)
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教育はなにを目指してきたか  NHKスペシャル“中流危機” を越えて220917

2022年09月19日 14時16分14秒 | 放送
 教育はなにを目指してきたか  NHKスペシャル“中流危機” を越えて220917
 最近「いい、いじゅー」なるNHK番組をチェックしている。
 鳥取、嵯峨、新潟、静岡・・・・・・・。なんとなくわかりかけていることがある。
 「本州で繰り広げられるは、仕事を創る移住」「北海道のそれは、仕事につく移住」。

 静岡でワサビ栽培、新潟・燕で金属加工、佐賀・神埼でプレスラー、福井・小浜で養蜂に挑戦。鳥取でリノベーションで注目される建築会社で大工。
 市」 - いいいじゅー!! - NHK

 北海道で移住といえば、公共の受け入れ策。
 家を用意し、幾分の補助金を用意して雇用をさがす。
 地域政策にも「緊急雇用確保」。「雇用創出」「雇用創造」。どうして経営のみがさらなる努力を強いられるのか。

 この週末、2022/09/20 NHKスペシャル再放送 “中流危機” を越えて「第1回 企業依存を抜け出せるか」が放送されていた。
 番組内容に、つぎのように示される。
 
  上がるはずの給料が上がらない-。
  “中流危機” が加速する日本。
  終身雇用、年功賃金などの雇用慣行が限界を迎え、企業が稼げず、所得が沈む悪循環に。解決への糸口を探る。

 「解決への糸口を探る」と銘打たれると、いささか困るのだ。
 現在の終身雇用制、年功序列賃金、性別役割分業による「一人の働きで家族全部を養える」。
 終身雇用と年功序列賃金は第一次世界大戦前後に確立、性別役割分業の枠組みが完成して60年。
 教育は1960年を境に、職住一体は古い、経営の効率化、大が小を支配の二重構造を生み出し、学歴長期化をすすめてサラリーマンの養成をめざした。

 番組は伝える。
 「技術革新が進む世界の潮流に遅れ、稼げない企業・下がる所得・消費の減少、という悪循環」。
 「サラリーマン社会」で生きるをめざした政策誘導の生み出す書格差。国民にどう対応しろ。なにを主張したものか。
 教育はなにを目指してきたか  NHKスペシャル“中流危機” を越えて220917
 最近「いい、いじゅー」なるNHK番組をチェックしている。
 鳥取、嵯峨、新潟、静岡・・・・・・・。なんとなくわかりかけていることがある。
 「本州で繰り広げられるは、仕事を創る移住」「北海道のそれは、仕事につく移住」。

 静岡でワサビ栽培、新潟・燕で金属加工、佐賀・神埼でプレスラー、福井・小浜で養蜂に挑戦。鳥取でリノベーションで注目される建築会社で大工。
 市」 - いいいじゅー!! - NHK

 北海道で移住といえば、公共の受け入れ策。
 家を用意し、幾分の補助金を用意して雇用をさがす。
 地域政策にも「緊急雇用確保」。「雇用創出」「雇用創造」。どうして経営のみがさらなる努力を強いられるのか。

 この週末、2022/09/20 NHKスペシャル再放送 “中流危機” を越えて「第1回 企業依存を抜け出せるか」が放送されていた。
 番組内容に、つぎのように示される。
 
  上がるはずの給料が上がらない-。
  “中流危機” が加速する日本。
  終身雇用、年功賃金などの雇用慣行が限界を迎え、企業が稼げず、所得が沈む悪循環に。解決への糸口を探る。

 「解決への糸口を探る」と銘打たれると、いささか困るのだ。
 現在の終身雇用制、年功序列賃金、性別役割分業による「一人の働きで家族全部を養える」。
 終身雇用と年功序列賃金は第一次世界大戦前後に確立、性別役割分業の枠組みが完成して60年。
 教育は1960年を境に、職住一体は古い、経営の効率化、大が小を支配の二重構造を生み出し、学歴長期化をすすめてサラリーマンの養成をめざした。

 番組は伝える。
 「技術革新が進む世界の潮流に遅れ、稼げない企業・下がる所得・消費の減少、という悪循環」。
 「サラリーマン社会」で生きるをめざした政策誘導の生み出す書格差。国民にどう対応しろ。なにを主張したものか。
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ハワイの豚 沖縄の食糧事情を救う 220907

2022年09月18日 09時30分12秒 | 記録
 ハワイの豚 沖縄の食糧事情を救う 220907
 NHK「ちむどんどん」寛大の「ハワイの豚」伏線回収に朝ドラファン興奮「いい話」「賢秀!早く暢子に豚を卸せ!」

 世に沖縄では、「鳴き声とヒズメ以外は残さずに食べる」とされている「豚」。
 そもそも沖縄では豚の飼育が取り組まれたいた。アメリカ軍の攻撃で、その豚が全滅した後の話。
 復活の話は次のようになっているようで。

 沖縄県公文書館で紹介中。https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/6229
 それとは別にNHK朝ドラマを紹介するページは、以下のように記載。
 「戦後、ハワイの沖縄移民たちが太平洋戦争によって全滅の危機に陥った沖縄の養豚業を助けるため、嵐の恐怖にも負けず船で550頭に豚を贈ったという話を披露」。
 「それは、戦後の沖縄の食糧難を助けたいという一心で敢行された命懸けの航海だったと力説」。

 要をえているのかも。
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「金の卵」の中学生、集団就職 北海道ではどうであったか220916

2022年09月17日 11時15分15秒 | 記録
「金の卵」の中学生、集団就職 北海道ではどうであったか220916

 「集団就職」もしくは「集団就職列車」。
耳に覚えのあるお方は、今やどれほどの年齢層になっていることになるのか。
井沢八郎さん「あゝ上野駅」や島倉千代子「東京だよおっ母さん」などの歌謡曲。その背景にあることを、思い描いておきたい。

その説明には、次のような指摘がある。
「高度経済成長期に地方の中学・高校の卒業生たちが、臨時列車に乗って大都市圏に働きに出た『集団就職』」。
「一般に『東北』から東京に向かう光景として語られてきた『集団就職』のイメージが捉え直される」。
でわ、端緒と終末。
「人手不足 を解消する雇用政 策として 行われた 『集団就職』は、1954 年 (昭和 29 年) 4 月青森駅から出発した集団就. 職列車によるものが初めて」。
「1975年3月24日、盛岡発の集団就職列車が上野駅に到着しました。これが最後の集団就職列車となり、日本の高度経済成長も終わりを迎えること」になるとも。

昭和12年生まれほどの新制中学校卒業者から、1975年3月の高卒者と申すと昭和32年生まれ。そういうことになるのであろうか。
1960年前後にこの集団集団就職列車に乗った、生徒たちはには「金の卵」の称があった。
彼、彼女たちのなかにあった、発言。
「私たちのときは仕事の選択肢がなかったのよ。生きてゆくにはこれしかなかったのよ」と「いった淡々とした語り」。
公的記録は、真に少ないのだそうだ。「集団就職」を扱った著者たちは、当時の体験者に面接し、「九州や復帰前後の沖縄から京阪神・名古屋へ向かった人々を中心に証言」を集めたのだと、申す。

ある意味、内在する制約。そこからアプローチの方法と背景を考えてゆくことにしたい。
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