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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

奥州征伐で散った同朋追善 国指定史跡永福寺跡220524-後-

2022年05月31日 15時40分39秒 | 旅紀行
 奥州征伐で散った同朋追善 国指定史跡永福寺跡220524-後-

 永福寺は「応永12年(1405)に焼失し、以後は再建され」ず、とある。
 現代の遺構発掘調査で「二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂」の基礎を確認。
 湘南工科大学のCG図でその偉容が復元された(写真)。当時の旅日記に記載。

 史跡整備のポイント
 1)遺構の東南隅に境界表示の掲示が据えられていた。
 2)前庭の池はその一部が埋められており、見取り図で「本来の池の範囲」を図示。縁辺は30センチ土盛りして保存した。
 3)発掘調査で確認できた遺構の上に60センチの暑さで土盛り。その上に柱の礎石を排して「二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂」を表示。上屋はコンピューター・グラフィックで全容を示す。
 4)整備地の西。標高60.2メートルの地点に展望設備を設けているようで、階段が配されていた(登山・ 登攀=とうはん)して、整備地を鳥瞰=鳥の目のように見下ろすことは試みなかった。

 「その姿形は極楽の様子をそのまま表したようだ」とあるそうで。

 写真撮影中、連れ合いは見学グループの昼食時に参加者から話を聴いた。
 「鎌倉市民ではない」「近隣から来たが、調べているのみではダメ」「現地を歩いてみなくてわ」。そう語っていたそうで。
 一行は17名、持参の弁当を取り出して、ベンチに腰をおろし昼食を始めたようで。

 域内及びその周辺の居住者が、何度目かの訪問。そのつど「新しい発見と気づき」があるそうで。
 我々、テレビ大河テレビの影響をうけ、物見遊山で訪問の「観光客」とは別な角度で見学。参加者の説明も、「胴に入っていた」。話を聞いてきたヒトの報告。
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奥州征伐で散った同朋追善 国指定史跡永福寺跡220524

2022年05月30日 14時08分29秒 | 旅紀行
 奥州征伐で散った同朋追善 国指定史跡永福寺跡220524

 頼朝公の墓址から徒歩で国指定史跡永福寺跡に。
 途中、二グループの団体とすれちがった。
 ベストを着用したガイド風の方が先頭に立ち、10数名の参加者が図面などの配布資料を片手に歩く姿。それぞれ、高齢者の方の多いグループであった・・・・・・、が。

 初め「大塔宮」をめざして歩き、そこからさらに徒歩5分。所在地は鎌倉市二階堂209。
 史跡の説明に、
 「源頼朝が建立した寺院の跡」
 「源義経、藤原泰衡等、頼朝の奥州攻めで亡くなった武将等の鎮魂のため」
 「平泉の中尊寺二階大堂等を模して建立」、と。
 中世の征討に「従軍僧・陣僧」の概念があった。「軍旅に従う僧侶,すなわち陣僧」「戦陣に僧侶をともなうことは古くからあったが,とくに南北朝内乱期からこの傾向が著しく」。

 史跡永福寺跡はある意味、その先駆的形態なのかも。
 陣僧は武功を引き出すため自陣の犠牲者を手厚く弔う趣旨。しかしここでは、弟・義経、それを成敗した藤原泰衡も追福の対象としている点に、頼朝の<ある種、逡巡=ためらい>を思う。
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東国政権正当性の再構築か 江戸中期筆『源平合戦図屏風(一ノ谷)』220524

2022年05月29日 09時39分43秒 | 旅紀行
 東国政権正当性の再構築か 江戸中期筆『源平合戦図屏風(一ノ谷)』220524

 「北条氏展vol.2ー 鎌倉武士の時代ー」。鎌倉市内で開催中の企画展示。
 鶴岡八幡宮に参拝した足で、鎌倉国宝館を訪問。三回目の入館と言うことになる。
 最初に展観は『源平合戦図屏風(一ノ谷)』と記憶する。作品の概要は以下の説明なのだが・・・・・・・。

 「六曲一双」の「半双」が公開されていた。狩野吉信筆、17世紀の作品とある。
 『源平合戦図屏風』は「室町時代から江戸時代に至るまで多く制作」との説明があるも。
 江戸幕府の成立後の17世紀、幕府御用絵師の狩野家の作品となれば。自ずと一つの意味がうまれよう。

 そもそも家康は「源氏」を名乗る。ほかには「平」「橘」「藤」の氏を名乗る道があった、が。
 三河に発した政権が、織田・豊臣の例にならわず、江戸に開府した。
 その根拠を源氏・北条氏政権にもとめ、東国を基盤に「征夷大将軍」の称号を得る正当性にしたのでは。

 研究者は苦笑するかも。
 1)島津重豪による頼朝公墓碑再建、
 2)幕府御用絵師による『源平合戦図屏風』の完成、
 3)鶴岡八幡宮を(鎌倉版)表鬼門の比叡山、長谷を石清水八幡宮にならう(同)裏鬼門。
 →上野・寛永寺(江戸版)表鬼門、芝・増上寺(同)裏鬼門。
 家康は鎌倉を超える規模の東京湾を表玄関に江戸に開府、頼朝は当時、中郷貿易船の周回地・鎌倉の海を基盤に

(作品説明)=「ぶんか
 源平合戦図屏風(一の谷・屋島合戦図 げんぺいかっせんずびょうぶ いちのたに・やしまかっせんず)


 作品概要 源平合戦図屏風(一の谷・屋島合戦図)=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/401461
 狩野吉信 よしのぶ 江戸時代、17世紀 紙本金地著色 6曲1双
 解説
 源氏と平氏が戦った、寿永3年(1184)の生田森・一の谷合戦、翌年の屋島合戦について、『平家物語』に語られる武勇伝やエピソードをもとに俯瞰的に描きます。

 一の谷合戦図では、画面右側に生田の森、中央に平氏が一の谷に構えた陣、左側に平氏の武将たちが敗走する 須磨の海が描かれ、源義経の坂落としや、平敦盛の討死などの有名なエピソードが散りばめられます。また、平重衡の生捕りや、平忠度や盛俊といった平氏一門の武将たちの討死のシーンも所狭しと描かれており、諸行無常を感じさせます。
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頼朝墓所再訪 法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)

2022年05月28日 10時28分06秒 | 旅紀行
 島津重豪 しまづ・しげひで 江戸後期の第9代薩摩(鹿児島)藩主,島津家第25代当主、生年:延享2=1745年生まれ-天保4.=1833年没、と。

 頼朝公の墓所に詣でた。
 昭和41年2月に続き、 2度目。墓塔への昇降口の案内板に、「現在の塔は島津重豪が整備したものとされています」とあった。
 記載を物語るかのように、 石香炉には島津家の家紋「丸十」が彫り込まれる。

 どうも、源氏政権が北条政権に継承されたところで、断絶があるらしい。
 頼朝公墓所の西に「法華堂」があり、墓塔が設けられていたが、島津重豪の時代といえば江戸中後期に相当する。
 整備を担当したのが西南雄藩を代表する島津公である点に、注目しておきたい。

 その法華堂は頼朝公の持仏堂であった。法華堂は「江戸時代ニハ八幡宮供僧坊ノ管理ニ属セシカ維新後廃セラル」と、廃阯は維新後の後であったとされている。

「史跡名勝天然記念物 法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」(案内-抄-) 法華堂阯ハ西御門ニ在リテ頼朝墓ノ下西側ニアリ、始メ頼朝ノ持佛堂ニシテ其ノ薨去後其ノ廟所トナレリ 江戸時代ニハ八幡宮供僧坊ノ管理ニ属セシカ維新後廃セラル
 今地域内ニ白旗神社ノ小祠ヲ祀ル
 法華堂阯ノ背後ナル丘陵ノ中腹ニアリ長方形ニ石疊ヲ敷キ土鏝頭ノ上ニ高サ七尺ノ多重塔一基ヲ建テ石玉垣ヲ周ラセリ (220524 訪問)
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中世鎌府の表鬼門 鶴岡八幡宮220524

2022年05月27日 09時01分48秒 | 旅紀行
 中世鎌府の表鬼門 鶴岡八幡宮220524
 鎌倉幕府-源氏政権の都府構造を理解するうえで、お目にかかるのは鶴岡八幡宮。

 鎌倉駅東口を出ると目にとまるのが「朱色の鳥居」。近くに「近道」の表示があって、すすむと大鳥居、そのかたわらに到達する。

 モノの本には 
 「京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まり」
 との解説がある。

 「以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していった」。
 「建久2年(1191年)に、社殿の焼損を機に、上宮(本宮)と下宮(若宮)の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請した」。
 「承元2年(1208年)には神宮寺が創建」と続く。

 階段を昇って拝殿に向かい、拝礼後に磁石をとりだして方位を確認。磁針は確実に北東を指していた。
 拝殿は北東に位置する山稜を背に、政所・侍所・問注所を見下ろす地に位置することに。

 「鎌府(れんぷ=鎌倉市の中心部相当地域)の鬼門」。その位置にあるのだと、確認。本所を表鬼門にすえ、では裏鬼門は。帰省してきがついた。どうも高雄寺の「鎌倉大仏」が<裏鬼門>にあたる、らしい。

 かく見立てたのであるが。いかがであろうか。
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遊ぶ・学ぶ・広める、褒めるの<足がかり>=「地域資源マップ」220605

2022年05月22日 10時37分41秒 | 記録
 遊ぶ・学ぶ・広める、褒めるの<足がかり>=「地域資源マップ」220605。

この四半世紀、その数を増している。
「文学マップ」は作品の舞台や作家の由緒一覧。「歌碑MAP」は作品が題材・舞台・<思い>の表現が刻された碑の巡遊路を示す。
「文学マップ」に「歌碑マップ」、「観光地マップ」などは、その代表例であろう。


地域にマップは多い。
「釧路の啄木76日」 釧路啄木研究学会編『釧路と啄木 76日間の足跡』 啄木来釧80年記念の会(1988年)所収
『「北海文学」の航跡 - 作家、原田康子「挽歌」のナビゲーション』 永田秀郎著
「啄木歌碑 位置図」 『釧路碑文手帳 1』(釧路新書 所収) 釧路市
「啄木歌碑・記念碑マップ」「啄木が生活したまち」 https://ja.kushiro-lakeakan.com/kushiroakanwp/wp-content/uploads/1919fc61769a31dfd8c1c4116b82482a.pdf
「桜木紫乃作品舞台マップ」 pdf版 https://ja.kushiro-lakeakan.com/kushiroakanwp/wp-content/uploads/e19be68b2a6cbb54edcd690e03c133aa.pdf
「彼女が見た釧路(このまち) 桜木紫乃作品から」 pdf版

その多くは、「観光マップ」と位置づけられる。
「くしろロケMAP2020」を提示する北海道釧路総合振興局は「(釧路を訪れるみなさまに対し)管内を周遊していただくことを目的として」と、外来者の注目度を高める点。
そこで、見落とされる点はないのか。そこは別途考えることにして・・・・・・・・。

「観光マップ」を「地域資源マップ」と置換してみよう。「(市民が)遊ぶ・学ぶ・褒めるの<足がかり>」と、なるではないか。
 1)「他者のため」ではなく「自身のため」に活かせる。
 2)「プロが注目の感受性と文章表現」を「自身の感受性と自分だから書ける表現」を見つけることができる。
 3)「プロのスキ間」を埋める愉しみ、どのような価値を提示できるか、その物語を創出する。

「まず、歩こう!!」
 4)スマホは「7000歩/日」を推奨していませんか?。=「遊ぶ」の「ぶ」。
 5)借りた本、買った本を読む            =「学ぶ」の「ぶ」
 6)「そこから見えてきた景観、自分にしか書けない一行」=「広める」の「る」。
   (その「広める」作業は、「質のよいサービス、格式ゆたかな満足度に投資」=「褒める」の「る」。

 「文学マップ」「歌碑MAP」「観光マップ」では、市民は知ってるの「おごり・思い上がり」を産みはしないか。
 外来者相手の「MAP」を「地域資源マップ」として、在来車市民の財産。そこまずは、位置づけてはいかが。

 7)空いた時間を有効に活かす。
 8)自身を変え、地域の可能性を引き出す。
 9)「なにも知らない」が少なくなり、外来者と共に愉しむことができる。

 モノ・情報・カネ経済の域内循環を拡大し、地域に対する愛情を深め、起業力を質量ともに拡充。深化できる。
 図書館は、地域創造の一翼を担うことになるであろう。
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中心街で『挽歌』エリアを設定 原田康子著代表作の舞台、その「地域資源マップ」220605

2022年05月21日 08時40分31秒 | 記録
​​​ 中心街で『挽歌』エリアを設定 原田康子著代表作の舞台、その「地域資源マップ」220605.
 起終点はやっぱり釧路市中央図書館です。7F多目的ホールにあつまり「今日の見どころ、舞台の描写」を確認しましょう。

 1)鳥居省三文庫にご挨拶・・・「日に2枚 原稿用紙4×2枚」の「カリ版ノルマ」の姿に思いをはせる。
 2)浪花町五丁目・・・・・・・旧原田御殿跡
 3)幣舞公園・・・・・・・・・原田康子文学碑に「姿を見せにゆく、見て貰いにゆく」習慣をめざす。
 4)幣舞橋・・・・・・・・・・現在の橋は五代目ながら、四代目の<たたずまい>を継承、「挽歌エリア」の結節点。
 5)釧路川・・・・・・・・・・挽歌橋や川湯・御園ホテルに通じる「挽歌ロード」にして「母なる川」の流れ。
 6)美川憲一歌碑・・・・・・・旧農業会館跡(1Fに消防車が駐車、館内に桂木の設計事務所)の職住分離示す由緒ある地。
 7)栄屋旅館ー奥野デパート跡・演劇サークルの仲間が集まった喫茶店モカを擁する地
 8)旧小松金物店跡・・・・・・旧制高等学校の教育レベルの高さを示し、評論家・小松伸六氏を育てた生業展開地。
 9)喫茶倫敦・・・・・・・・・テレビ放送版で喫茶モカに比定されたロケ地。
 10)旧第四学校跡・・・・・・・原田家が後進育成で小学校建設地に寄贈した用地
 11)マスプロアンテナ支店・・・昭和5年に帰省後、康子氏が住まいしたと目される実家

 再び釧路市中央図書館に戻り、歩いてみた見聞にそって次の蔵書を借り出し、次の日程(ご褒美の○○○)に。
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歩いて体感・北大通 作品創作の一筆巡遊220605 作品で紹介されたポイントをめぐるトレイル

2022年05月19日 11時23分49秒 | 季節
歩いて体感・北大通 作品創作の一筆巡遊220605 作品で紹介されたポイントをめぐるトレイル。
今回は釧路市北大通周遊。桜木紫乃作品は、どの地のこのポイントに、あの文を記した。

釧路市中央図書館 貸借した蔵書を返却に、まず集合。作品にある「図書館」を出発。

 釧路市役所
 MOO
 EGG
 6)釧路港 ミコの旦那が働漁港
北海道で水揚量1位を誇り、年間を通じて豊富な魚介類が水揚げされる。釧路港の夕景は、マニラ、バリ島とならび「世界三大夕日」として賞賛されている。

 サンマ漁船
 釧路川
 9)幣舞橋 雅代が車で渡る橋
言わずと知れた釧路の景勝スポット。黄昏時からライトアップされ、水面に映る街頭の灯りが幻想的。雅代が車で渡るシーンは、彼女の新たな旅立ちを象徴している。

 8)-1 泉屋(『ラブレス』) 泉屋スパカツ 女性が高校時代に大盛りのスパカツなどを「繁華街で食べ歩きした思い出を楽しげに振り返り『いちばん贅沢なコースだった」と述べる」(『朝日新聞』 東京ご当地紀行 北海道釧路市「スパカツ アツアツをがっつり」 220508 20面 国内25都府県で印刷)。

 銀の目
 繁華街
 8)商店街 大吉がみかんを買いに走る商店街
 釧路を代表する百貨店、丸三鶴屋は1996年に閉店しているため看板のみ登場している。丸三鶴屋のロケは、実際は滝川市内のスマイルビルにて行われた。

 丸三鶴屋
 栄町公園
 白山湯
 ジス・イズ
 清水理容所
 北大通十三丁目

 7)和商 和商市場 雅代がみかんを買う八百屋
 1954年に結成された、釧路で最も歴史ある市場で、道内三大市場の一つ。「わっしょいわっしょい」という掛け声と、「和して商う」ことから名付けられた。

 6)~9)は「ホテルローヤルロケ地マップ」 https://screensapporo.jp/hotelroyal/ 掲載
 8)-1は『朝日新聞』220508 20面
 他は『彼女がみた釧路(このまち)~桜木紫乃作品から~』(釧路市観光室ホームページ掲載)
  
 再び
 図書館に戻り、次の貸し出しをうけて、退出。まっすぐ戻らず、途中で自身の慰労と顕彰を手厚く。
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バッグ+籠に洋風敷物「洋風の敷物、ラグの裏地」 伝統技術の今 イグサ・岡山220513

2022年05月15日 18時44分28秒 | 放送
 バッグ+籠に洋風敷物「洋風の敷物、ラグの裏地」 伝統技術の今 イグサ・岡山220513

生活様式の変化、外来輸入品による代替。伝統工芸、そのマーケットは縮小している。
そこをどう生き抜くか。イグサの産地、岡山県のイグサ生産農家40軒の<賢明>を伝える。

岡山がイグサの産地。
 なぜかを知らぬも、今回、はじめて見聞。「塩分に強いイグサ」を栽培。干拓地新田での栽培発祥であったか。
 和室、畳表の減少した時から、一つの活路を「花筵 はなむしろ」に見いだしてきた。
 そのハナムシロの技術を活かして、「バッグ+籠」に。縦糸に木綿、横糸にイグサを用いてきた。

 紋板(もんいた)。
 ハナムシロを量産するための、部品。この発明で自動織機で大量生産ができた。
 ハナムシロは「夏のくらしを、明るく、華やかに、快適に」過ごす道を開いた。

 今や「洋風敷物 さわやかイグサのラグ」。イグサの通気性で夏も冬も。
 夏も冬も快適に過ごし、かつ和室にも洋室にもフィットする、と。
 床の間の装飾に、居間のさわやかさに。その用途は広いのだと、伝えられる。

 新しいニーズに、技術者の世代継承も活路。さて、その展望はいずこにあるのか(→次回)。
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「差異を認める」「距離を近づけ」「話し合い」 人・自然・経済の元気ー人ー吉本哲郎著『地元学をはじめよう』081120

2022年05月14日 17時24分00秒 | 記録
 「差異を認める」「距離を近づけ」「話し合い」 人・自然・経済の元気ー人ー吉本哲郎著『地元学をはじめよう』081120

吉本氏は、水俣再生の原則を提唱する。
「(地域の)人が元気で、地域の自然が元気で、経済が元気であること」(17p)。
そこでまず、人が元気であるために三点を示した。

水俣再生の原則Ⅰ 対立のエネルギーを創造のエネルギーに転換する。
1)人それぞれの<ちがい>を認め合い、
2)人と人との距離を近づけ、
3)話し合いを重ねて、市民の関係を<結び為直す>=「もやいなおし」
4)対立のエネルギーを創造のエネルギーに転換する。

人の元気を取り戻した三ヶ条
A)<すさんだ>気持ちのままで、地域の再生はできなかった。・
B)逆境にあっても前向きにとらえる<元気な人>が地域を支える=「もやいなおし」に挑戦。
C)<未来に希望>を描き、環境モデル都市づくりに果敢に挑戦

「1)~4)」+「A)~C)]=水俣再生が成しとげられた。
「町や村が元気なところには、必ず元気な人がいます」「逆境と笑いが人を育てるといいます」
「逆境にあってもそれを前向きにとらえて行動する人は、元気です」(18p)
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1950年代に存在「こんぼくりん」 地域の一コマ厚岸町上尾幌21051

2022年05月12日 13時47分15秒 | 記録
混牧林 こんぼくりん 厚岸町上尾幌の弥生区には、「こんぼくりん」と住宅群があった。
 「主任さん」というか、「研究員」というか。一戸建て住宅にお住まいの「○○勝四郎さん」とおっしゃるお宅があった。
 お宅には「サンプル瓶」とでも申すべき、「コルク製の蓋付き広口ビン」が多数あり、中には標本らしき植物が保存されていた。
 児童心に試験研究施設。一戸建てのお宅は、責任者住宅兼試験施設。そのように思えるたたずまいであった。

 隣接地にはその配下の職員住宅と申すか、雇員住宅というか二戸建ての一棟の住宅が二棟ほどあったと記憶する。うち、一軒にお邪魔させてもらっていた。

 その存続期間。
 昭和36年11月23日。高校3年生の秋、旺文社かの模擬試験があってから、帰宅後そのうちの一軒にお邪魔した記憶がある。その後、訪問したかどうか。明確な記憶がないのだ。炭鉱の閉山。そのことが契機になったものか。

 農林省の試験機関か。
 標高は50メートル内外の地点。現在「こんぼくりん」と入力すると、 次の用語解説にお目にかかる。概略を示すと、つぎのようになる。
 「木材生産を行っている林地において家畜を放牧」
 「畜産物と林産物を同時に生産しようとする森林」
  「1980年代中ごろまで東北・中国・九州地方などに広く分布]
以上のようなことなのだ。

 一方、「北海道における混牧林経営の実態」というレポートもあり、こちらによると都道府県の所管であったようにも思える。
 林野庁の機関か、都道府県の所管か。漢字で「混牧林」か、「混木林」か。
これまで林野庁、後者の「混木林」と思いこんできたが。さて、実態は。

1950年代に存在「こんぼくりん」 地域の一コマ厚岸町上尾幌210511
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「無関心で居ても、無関係では居られない」 「谷口たかひさZoomお話会(海ねこみなと会)」220509

2022年05月11日 09時54分13秒 | 催事
 「無関心で居ても、無関係では居られない」 「谷口たかひさZoomお話会(海ねこみなと会)」220509

 先日、「谷口たかひさZoomお話会(海ねこみなと会)」の参加呼びかけがあった。Zoom会合ということで、「参加のお誘い」に応募させていただいた。

 「今、身近で起きていること」。
 さすがに精緻で、<見所、聞き所>は満載。豊富にして精緻な構成は、示唆に富み迫力が、それは申し分なくあった、ですよ。
 「8割のヒトに『カード一枚分のマイクロプラスチック/week単位』で血液に混入」
 「<森林火災>牛の飼育のため森林を無駄にしている」「飼育の肉牛が発するゲップ成分=メタンガスは炭素の23個分にあたる」→食糧問題で資源争いが生まれ。
 「<オバマ大統領は申した>自然ではなく、平和が失われる」。

 メモを正確に取った。
 とてもそうとは申しがたい組み立ての展開であった。演者は関西で学び、「ドイツで会社、その役員」という紹介であったと受け止める。
 話題の途中で、発電の優先順位。火力か、原子力か、自然再生エネルギーの議論になった。そこで「自然再生エネルギーを最優先に」。そのように申されたと記憶する。

 そこで思い至った。
 本邦で起きた福島原発の事故後、ドイツは脱原発に踏み切った。
 「欧州で原子力発電を再評価する動きが出るなか、ドイツが「脱原発」を着々と進めている」とも、書かれることがあるではないか。
 1)ロシアのウクライナ侵攻。EUは軒並み制裁を打ち出すも、ドイツの「脱原発」は変更があるのか。

 そのドイツでは、自然再生エネルギーへの傾斜の結果、「太陽光パネルが自然景観を損なう」。 そう指摘された点があった。
 2)どのような線引きが実際には行われ、現状はどのように推移しているのか、現場の声を聴きたいと考えた。

 3)釧路炭田を擁する当地方は、「炭鉱閉山&印刷用紙業撤退」の代替に、「地産地消や輸入炭による火力発電」に継承された。それもこれも「時代遅れ」「悪影響」「地球危機」で整理することになるのか。
 確かにそのいずれもが、「脱炭素」「紙需要蒸発」「非製造物主義」の時代には「認めがたく、許しがたい」対象ではある。
 
 一方、自然再生エネルギーへの傾斜。
 我が<ふるさとの山>には太陽光発電のパネルが目をうばう。往時は立派な山林。石材採取で樹木は伐採されるも、まだ、残っていた。
 その山に、今は太陽光発電のパネル。自然再生エネルギー確保のために、山林伐採。本末転倒ではないか。

 加えて山林の近くには「分水口先」には移植牡蛎の増殖、出口ではシングルシード牡蛎の養殖。「対策を施してある」とは言われながら、その結果は「将来ありうること」ではないのか。
 「無関心でいられるヒトは居ても、無関係で居れる人はいない」の言が思い。
 書影は『牡蠣の森と生きる~「森は海の恋人」の30年 ~』 2019/5/21 畠山 重篤 (著), 鵜飼 哲夫 (著) 中央公論新社。
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桜開花しました 共栄大通一丁目ポケッ開花しました

2022年05月10日 09時02分56秒 | 旅紀行
桜開花しました 共栄大通一丁目ポケッ開花しました

釧路駅北口。共栄大通一丁目2番。ポケット公園に移植された桜が開花しました。
昨日5月9日、買い物がてらの散歩に出かけ、確認することができました。
家との境界を<綠の生け垣>で区画された、一角。ポケット公園ができて、桜が移植されました。

平成10年=1997年2月。この界隈に転居しました。
朝夕、通勤で眺めてきましたが、開花期はこれまでになく、早いです。
樹木の枝ぶり。心なしか、「力強さに欠ける」の思いが強くなりました。
桜はけなげに開花していますが、<お礼の施肥>が不足 のようです。

公共空間につき、市民が勝手に手を施すと、失敗したときのハネ返りがコワイです。
かと申して、エリートのお方には「下から具申」はいかにも、迷惑そうに受け取られかねません。
桜が可愛い。しかし、「なにかをするは、はばかられる」。でも、自然は実に正直。

そうしたことを思わせてくれる、「共栄大通一丁目 ポケット公園の桜」です。ト公園220509確認
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アレクシエーヴィチ著『戦争は女の顔をしていない』を 独ソ戦勝記念日の日に220509

2022年05月09日 09時34分10秒 | 記録
 アレクシエーヴィチ著『戦争は女の顔をしていない』を 独ソ戦勝記念日の日に220509。

 はからずも2022年5月9日は、世界が「ロシアのこの一日」を、固唾飲み込んで見守る日となった。
 そういうことではないだろうか。「男が善かれと創造した2000年」、その到達点が。
 「強者にあこがれ、大に忖度と寡占を許して、今の世の分断・格差を拡大している」
 「自然に負荷をかけ、その自浄能力や復元する力を超えて環境破壊、気候変動、新型感染症を生み出している」
 「地域からの紛争、二度の誤りで済ませずに、三度目があるのか、三度目の核があるのか、すでに『ロシア 対 NATO』の第三次世界大戦」と。
 「このままでは人類はおろか、地球そのものの危機」。阿寒湖畔在住のアイヌ民族の国際先住民族年にあたりお方が国連総会で演説した。と。
 ー白人にまかせておいたら、地球が壊れる-。その言葉、実に重くはないか。

 最近、深刻に思う事柄、3点。「ロシア 対 NATOの戦い」、「すでに第三次世界大戦は始まっている」。「こおままでは地球が壊れるかも」。
 そうした論調の中で、明日、独ソ戦争「勝利の記念行事」が行われようとしています。
 
 トランプ、プーチン、安倍。このトライアングルが示した表と裏の、顔・陰謀・政策。

 作家の澤地久枝氏が示した、『戦争は女の顔をしていない』の紹介。
 「ソ連では第二次世界大戦で100万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った」。
 「しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった――」。
 「500人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞作家の主著」。

 せめて、NHKE「100分 de 名著」の紹介 https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/112_sensouwa/index.html を読むことに。
  1st「証言文学という『かたち』」、2nd「ジェンダーと戦争」、 3rd「時代に翻弄された人々」、 4th「『感情の歴史』を描く」。
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アレクシエーヴィチ著『戦争は女の顔をしていない』を 独ソ戦勝記念日を前に220508

2022年05月08日 08時26分23秒 | 書評
 アレクシエーヴィチ著『戦争は女の顔をしていない』を 独ソ戦勝記念日を前に220508。

 そういうことではないだろうか。「男が善かれと創造した2000年」、その到達点が。
 「今の世の分断・格差、環境破壊、地域の戦争」
 「二度の誤りで済ませずに、三度目があるのか、三度目の核があるのか」。
 「このままでは人類はおろか、地球そのものの危機」。

 最近、深刻に思う事柄、3点。
 「ロシア 対 NATOの戦い」、「すでに第三次世界大戦は始まっている」。そうした論調の中で、明日、独ソ戦争「勝利の記念行事」が行われようとしています。
 豊岡征則氏が「国連総会で、『白人に任せておいたら、地球は壊れてしまう』と演説してきた」と、釧路市内で語っていたのは2017年6月のこと。そんな地球に今、当面。
 (豊岡さんのプリンスホテルでの講演要旨は孝仁会看護専門学校の授業で要紹介中)
 トランプ、プーチン、安倍。このトライアングルが示した表と裏の、顔・陰謀・政策。

 作家の澤地久枝氏が示した、『戦争は女の顔をしていない』の紹介。
 「ソ連では第二次世界大戦で100万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った」。
 「しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった――」。
 「500人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞作家の主著」。

 せめて、NHKE「100分 de 名著」の紹介 https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/112_sensouwa/index.html を読むことに。
  1st「証言文学という『かたち』」、2nd「ジェンダーと戦争」、 3rd「時代に翻弄された人々」、 4th「『感情の歴史』を描く」。
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