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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

旧名頓化 トンケシ 範囲と町名250111

2025年01月11日 14時05分04秒 | 季節
 旧名頓化 トンケシ 範囲と町名250111

幸 町 さいわいちょう  旧名西幣舞の一部にして
浪花町 なにわちょう   旧名頓化西幣舞の一部にして
南浜町 みなみはまちょう 旧名頓化の一部にして
仲浜町 なかはまちょう  旧名頓化の一部にして
寿 町 ことぶきちょう  旧名頓化の一部にして
宝 町 たからまち    旧名別途前の一部にして
浜 町 はまちょう    旧名別途前の一部にして
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「トー・ケシ to-kesi 沼の・末端」 転じて「トン・ケシ」=頓化(釧路市)・富岸(登別市)250110

2025年01月10日 10時48分13秒 | 季節
  「トー・ケシ to-kesi 沼の・末端」 転じて「トン・ケシ」=頓化(釧路市)・富岸(登別市)250110

釧路市浪花・寿町界わいは、昭和7年8月15日の町名地番改正で旧名「頓化 (読み トンケシ)」を改めた。
 その語源。山田秀三著『北海道の地名』(北海道新聞社 1,984年)は、釧路市の「トンケシ」には触れていない。
 しかし、胆振国幌別川の河口に誓い「富岸 トンケシ」を取り上げている。

 山田著は記載。「アイヌ時代のコタン(部落)があったところ」「だいたいが低湿地」
 つづけて「昔そこに沼があってそのトー・ケシ(沼の・末端)にコタンがあったのでついた地名」。
 「ただトンケシと呼ばれてきたので少々読みにくい」と、<断り書き>が添えられる(前掲書 397p)

 この地名オリジナルポイントには、山田氏に先行した記録が残る。氏は筆をすすめる。
 知里博士。「to-um-kesi (沼・尻・の末)と書いたり、またto-hon-kesi(沼・の腹・の末)とも書いた」。
 そもそも胆振幌別川の支流、鷲別川に流入する富岸川があって、州域に現在は若山町、新生町、富岸町はその奥の方にだけの地名。つまり登別市富岸は、今も現存する行政字だ。

 平成2年~3年時点。釧路市末広で開業医をされた鈴木先生(大正11年生まれ)の談。
 「現在の長崎屋あたりは武田木工場の木材置き場であったが、その前は一面の沼で」。
 「私の父が若いころ江縫呉服店の丁稚を勤めていたが、配達に出た先でこの沼を見つけてイカダ遊びに興じていたところ」
 「誤ってイカダから転落し、<仕事中に>と大目玉をくらったそうだ」。

 「ぜひ、あなたに書いて欲しいと思って」。旧制中学校で<同期生の叔父にとって甥>にあたることを承知の先生は、申された。
 「現在の長崎屋」は釧路市幸町13丁目で、跡地にはパチンコ店が開業している。
 昭和6年9月、釧路川を切り替える新水路が完成し、低湿地帯の乾燥化がすすんだ。

 釧路川右岸に広がった低湿地は都市化の進展もあって、沼沢地が姿を消す。
 それまで幸町から浪花・寿に至る沼があり、海岸線にちかい地点が「沼の・端(末端)」にあたった。そうした地形と景観を想定しておくことに。
 万延元年=1860年筆とされる『東西蝦夷山川地理取調図』は、「トンケシ」の名で読め、かつ「沼沢地」の存在を記載している。
 
 因みに「浜頓別町」の自治体ともゆかりの頓別川。
 山田氏は頓別川 ト・ウン・ペツ to-un-pet 沼の:ある(に入る)・川 とする(前掲書 168p)


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文学作品のなかで川崎舟=小林多喜二『蟹工船』 ぶぶる15th

2025年01月09日 12時52分35秒 | 季節
 文学作品のなかで川崎舟=小林多喜二『蟹工船』 ぶぶる15th

 靄もやが下りていた。何時も厳しく機械的に組合わさっている通風パイプ、煙筒チェムニー、ウインチの腕、吊つり下がっている川崎船、デッキの手すり、などが、薄ぼんやり輪廓をぼかして、今までにない親しみをもって見えていた。柔かい、生ぬるい空気が、頬ほおを撫なでて流れる。――こんな夜はめずらしかった。
 トモのハッチに近く、蟹の脳味噌の匂いがムッとくる。網が山のように積つまさっている間に、高さの跛びっこな二つの影が佇たたずんでいた。

 ウインチがガラガラとなって、川崎船が下がってきた。丁度その下に漁夫が四人程居て、ウインチの腕が短いので、下りてくる川崎船をデッキの外側に押してやって、海までそれが下りれるようにしてやっていた。――よく危いことがあった。ボロ船のウインチは、脚気かっけの膝ひざのようにギクシャクとしていた。ワイヤーを巻いている歯車の工合で、グイと片方のワイヤーだけが跛びっこにのびる。川崎船が燻製鰊くんせいにしんのように、すっかり斜めにブラ下がってしまうことがある。その時、不意を喰くらって、下にいた漁夫がよく怪我けがをした。――その朝それがあった。「あッ、危い!」誰か叫んだ。真上からタタキのめされて、下の漁夫の首が胸の中に、杭くいのように入り込んでしまった。

 漁夫達は船医のところへ抱かかえこんだ。彼等のうちで、今ではハッキリ監督などに対して「畜生!」と思っている者等は、医者に「診断書」を書いて貰うように頼むことにした。監督は蛇に人間の皮をきせたような奴だから、何んとかキット難くせを「ぬかす」に違いなかった。その時の抗議のために診断書は必要だった。それに船医は割合漁夫や船員に同情を持っていた。

  漁夫達は、飛んでもないものだ、と云いながら、その「赤化運動」に好奇心を持ち出していた。
 嵐の時もそうだが、霧が深くなると、川崎船を呼ぶために、本船では絶え間なしに汽笛を鳴らした。巾はば広い、牛の啼声なきごえのような汽笛が、水のように濃くこめた霧の中を一時間も二時間もなった。――然しそれでも、うまく帰って来れない川崎船があった。ところが、そんな時、仕事の苦しさからワザと見当を失った振りをして、カムサツカに漂流したものがあった。秘密に時々あった。ロシアの領海内に入って、漁をするようになってから、予あらかじめ陸に見当をつけて置くと、案外容易く、その漂流が出来た。その連中も「赤化」のことを聞いてくるものがあった。
 
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斬新な設定「釧路のおすすめベスト3」 北大通ぶぶる15th250111

2025年01月08日 10時02分56秒 | 季節
 斬新な設定「釧路のおすすめベスト3」 北大通ぶぶる15th250111

 ここまで「蔵開き&鏡開き」 「船魂祭」「川崎船」と書いてきた。
 この1月11日に開く「北大通ぶぶる15th」例会のテーマを、主宰してくださる方が伝えてくださった。
 催事の内容は、掲示の画像に示されている。多くの人は「魅力」。そう訴える。

 ここでは趣をコトにするようだ。
 さて参加者からどのような提案が示されるのか。わくわくしているのですよ。
 「ベスト3」。そう示すのみで、それ以上の説明を敢えてされては居ない。
 議論の「膨らみ」を、期待されての事であろう。

 さて、どのような、どんな広がりの話題に発展するものやら。乞うご期待。
 催事は25年1月11日 午前10時から 釧路フイッシャーマンズMOO3
階会議室。
 会場は釧路川右岸。往時は魚卸売市場所在地。水揚げの船が接岸、川の澪筋を漁場に急ぐ漁船が航行。

 1月11日、市場で鏡開き&蔵開き、停泊の舟は船魂祭りにあたり満飾艦。2010年1月、釧路川左岸に一隻の舟が停泊し、船飾りを風になびかせていた。
 漁業基地なら恰好な<観光資源>。<観光立国>を申すなら、「プログラム貧困」の指摘もある」が。


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帆走で4-5里先沖合に&船型生み出す高速大漁操業 越後改良型川崎舟釧路川河口に101111

2025年01月07日 11時06分28秒 | 季節
 帆走で4-5里先沖合に&船型生み出す高速大漁操業 越後改良型川崎舟釧路川河口に101111

 帆走で4-5里先の沖合に&その船型生み出す高速大漁操業 越後改良型川崎舟釧路川河口に101111

●「川崎船(かわさきぶね)」といえば、釧路市立博物館で、展示されていますが。
博物館で展示されている「川崎船」は、新館がオープンしたときに展示用として建造された船です。昭和58年の新館開館を前に、一度だけ造船元の旭町の平岩造船から、釧路川河口までを往復してもらいまして、進水式と記念運行を行ったことがあります。

●いま、「川崎船(かわさきぶね)」は「釧路漁業を特色付ける展示品」というお話がありました、が。
川崎船は、釧路漁業が前浜から沖合に漁場を拡大していった時期に、活躍した漁船です。時期は明治20年代にさかのぼります。
釧路沖、4-5里というところには、釧路川の「みおすじ 澪筋」と海溝が交叉する場所があります。そこでカレイ・タラ・キチジなどの魚を漁獲する漁業がはじまりました。ここに掲げたカレイ・タラ・キチジという魚は、生涯をひとつの場所で過ごす魚です。サケやニシンのように、移動している魚とは生態のことなる魚種です。
つまり川崎船は釧路の漁業を、漁場(ぎょじょう)の点では前浜から沖合いに拡大しました。漁業種目の点で川崎船は、季節性の高い漁業から通年型の新しい魚種を採取する漁業を追加したという、特徴があります。

●いま、「川崎船(かわさきぶね)」は新潟県の漁業者の持ち込んだ船というのも、特徴ですね。
新潟県の北蒲原郡や西蒲原郡の漁業者の方が、釧路沖に出漁してくるわけですよ。
佐野孫右衛門という方が寺泊から、江戸時代に来ていました。そうしたことが契機になったのか、次第浜・藤塚浜など聖籠町(せいろうまち)の砂浜海岸、間瀬(旧岩室村)・寺泊(長岡市)などの岩石海岸から、優れた船頭や力のある船持ち漁業者が、釧路に出稼ぎします。

●ところで、「川崎船(かわさきぶね)」という船の特徴を教えてください。
これが近代において、いくぶんの動力(小型エンジン)を装備するところから、「東北・北海道地方で、小型の発動機付き漁船。蟹工船(かにこうせん)の付属船にも使用」というわけです。小林多喜二の『蟹工船』が、最近、読まれておりまして、そこにも川崎船の記載が登場するということです。
川崎船の特徴の第一は、帆走船ということで=帆ではしる船。くわえて櫓や櫂を用いて漁場への移動、漁場での操業、そして漁獲物を輸送しながら帰港するためにつかわれますから、これをエンジンで移動する動力船に対して「無動力船」と位置づけています。  (佐藤宥紹 地域コミュニティ放送FMくしろ 「釧路歴史探訪 143話」)
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「海の衆」に微笑む「メガミ」ご神体=船魂祭 地域コミュニティ放送FMくしろ101118

2025年01月06日 08時59分24秒 | 季節
  「海の衆」に微笑む「メガミ」ご神体=船魂祭 地域コミュニティ放送FMくしろ101118

 船魂祭は、漁業をいとなむ人々や、船を建造し、船をあやつって海のうえで生業をいとなむ方にとっては、たいせつな祭事(まつりごと)のひとつ、重要な年間行事のひとつです。

 本来は、船舶関係者のお祭りで、船を建造する船大工さんの熱い信仰をあつめています。転じて、漁業に関係する方々が、一年間の海上安全や大漁豊漁を祈願する祭事となっています。
 「ふなだま」と呼んで、「船魂(ふね・たましい)」と書きますが、歴史事典では「船霊(ふなだま)」と表記し、「船玉とも(書く)」ことがあると、説明されています。「船霊(ふなだま)」のはたらきは、「船と航海の安全のための守護霊・守護神」にあるというわけです(永原慶二監修『岩波 日本史辞典』1999年)。

 「フナガミ」「オフナサマ」「オオダマサマ」の名で信仰をあつめ、「女神」であるとの言い伝えが多いとされています。荒くれだった「海の衆」に、にこやかに微笑む「メガミ」という設定です。
 ご神体は、「男女の人形一対」「一文銭十二枚(閏年に建造した場合は13枚)」「柳製の賽(サイコロ)二(個)」「五穀《米・麦・豆・粟・黍=キビ、もしくは稗=ヒエ》」「化粧道具」「女性の髪」と、「神社の分霊」をあてます。

 祭事は、正月2日とされています。新年のお祭りです。ただ、マチ場では正月11日に行われることが多く、現に港に停泊する船が航海や漁をやすみ祭事をする姿をみるのは、釧路地方でも1月11日です。
 1月11日を祭事の日とすることについて、いくつかの指摘があります。そのひとつは、「(1月11日が)一年365日の潮の初め(潮口)にあたり、白髭社の初祭典にもあたります。船主は自分の持ち船へ行き、洗米と御酒、なます、くしがきなどのほか12個の角餅を供え、船魂さんに一年間の海上安全を祈り」というわけです。(「釧路歴史探訪 144話」佐藤宥紹)


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「外見から変えて行こ・・・皆で、チョンマゲ切り」 「鏡開き」を文学で250111

2025年01月05日 10時58分33秒 | 季節
「外見から変えて行こ・・・皆で、チョンマゲ切り」 「鏡開き」を文学で250111

 近江屋では、正月十一日に鏡開きと蔵開きを行う。年末から飾っておいた鏡餅を割り、店の蔵も開け始めのお祝いをする。鏡開きの時刻は仕事が上がり始める午後三時と決まっていたが、奉公人が気もそぞろに集まってくるなか、肝心の当主は姿を見せない。奥向きにも店にもいなかった。当主無しに行事を始めるわけにいかず、大番頭の佐助が、身の周りの世話をする女衆おなごしを呼びつけて尋ねた。

 表から「おいでやすー」と、丁稚の元気のいい声に続いて、ぱたぱたという草履の音が聞こえてきた。どうもその客が奥まで入ってきたようである。丁稚が慌てて、
「あの、お客はん。あの、そっちは……」
 と声をあげるが、着流しの大島紬に毛織りのトンビを引っ掛けた、客人と思われた男は構わず奥に入ってくる。そして集まっている奉公人たちの前で、落ち着いた様子でトンビを脱いだ。

 女衆たちからひゃーともきゃーとも取れるけったいな声が上がり、その“散切りジャンギリ頭”の客人が、あろうことか十一代当主その人であることが明らかになる。
 何事もなかったような駒蔵のその一言で、準備の整っていた鏡開きが始まり、餅を木槌で割った後にぜんざいが全員に配られる。皆が競って頬張る中、駒蔵は新たな企てを口にした。
 「近江屋一同、まずは外見から変えて行こ思うねん。ほやさかい、皆で、チョンマゲ切り、しまへんか」「えーっ?」
  今度は手代らの間から驚愕の声が上がる。

 「断ちバサミでチョッキンと切りまんねん、ほしたら、髷がコロンって落ちまんねん。今からここで一斉にやりまへんか。皆でやったら怖いことあれへんし。そのあとは、順々に髪結行って、わたしみたいに綺麗にしてもらいなはれ。金は近江屋が出しまひょ。さ、チョッキンすんなら今でっせ」
 (広谷鏡子『沈み橋、流れ橋―明治・大正・昭和 一族三代のものがたり―』 2023年12月15日 12:07 )

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250101頌春 令和乙巳(二〇二五年)歳旦

2025年01月01日 09時13分40秒 | 季節
    頌春 令和乙巳(二〇二五年)歳旦

「地域が文化を創る」は<仕事がある>で来道一世が外部<の投資・技術・着想>に依存。
 そこに疑問を感じた人は「地域で文化を創る」と次世代を支え、鍛えることに。
 移住三世は「地域を文化で創る」に取り組む。

 道央圏=苫小牧港・新千歳空港隣接地への投資は別として、民間資本&公共財の投資縮小の今、地域で付加価値を創造するかは<住民の知恵&創造力>発揮の局面。

 1)自身にも他者にも益する価値を育て、
 2)小さな手掛かりをつむいでネットワークを、
 3)口コミの質評価を重視して一石による波紋が広く拡大しますように。

 日頃のご厚誼に深く感謝いたし、かわらぬご支援、お付き合いをお願いいたします。


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花鳥風月のあそび、歓楽苦痛の悲喜、老いの白髪 「無常の風にさそわれずして、わが身あり顔の様子」14771202

2024年12月31日 16時30分31秒 | 季節
 花鳥風月のあそび、歓楽苦痛の悲喜、老いの白髪 「無常の風にさそわれずして、わが身あり顔の様子」14771202

 秋も去り 春も去って 年月を重ね、いつのまにか 老いの身 と なってしまいました。

 そのうちには 風流(ふうりゅう)な遊び をしたり、悲しいこと や 苦しいこと もあったのでしょうが、今は これといって 思い出すこともなく、ただ むなしく暮らして 老いてしまったのは 悲しいことです。

 今日まで命があったのですが、それも 夢 まぼろし のようであり、今となっては、生死(しょうじ)の迷いから離れる道を求めることしか 願うべきもの は ありません。

 遊び、苦痛悲喜、白髪 「無常の風にさそわれずして、わが身あり顔の様子」14771202
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次世代育て鍛える年齢階梯性=子ども・若衆・年寄 向田・火祭り準備作業241228

2024年12月29日 09時28分01秒 | 季節
 次世代育て鍛える年齢階梯性=子ども・若衆・年寄 向田・火祭り準備作業241228

 https://himatsuri.jp/prepare/ 向田の火祭 準備作業241229閲覧が示す、そのプロセス。
 『中日新聞』は伝える。「(七尾市能登島向田町 向田=こうだ の火祭=ひまつり―県無形民俗文化財―は)伊夜比咩(いやひめ)神社の夏祭り」。

 その起源は「越後の国をつくった伊夜比古神(男神)がこの土地を訪れ、伊夜比咩神(女神)と年に一度の逢瀬を楽しむお祭り」(「注目文化」 『のとつづり』)
 時期は「近世では旧暦6月の晦日」。
 「明治二十年代は七月三十一日の条に「夏越祭」と記され」、「「納涼祭」とも称して今日と同じく神輿の渡御と奉燈の随従、大柱松明炎上の義を行っていた」。

●綱ねり
作業担当:子ども・若衆・年寄
シコ(4本綱)は若衆、ミコ(3本綱)は年寄が練る。1本を捻じったものをさらに合わせて捻じり競争する。
子どもは、藁を束にして練っている大人に渡し、年配者は藁叩きをする。

●01 奉燈洗い
作業担当:子ども・若衆
伊夜比咩神社境内にて、奉燈に貼ってある紙を粗方はがす。紙を剥がした奉燈を、近くの用水路まで運びタワシで洗う。

●02 綱ねり準備
作業担当:若衆のみ
「綱ねり」に備えて、綱の設置。藁叩きの機械を始動させる。藁叩きとねり綱作りは、ある程度やっておく。

●03 綱ねり
作業担当:子ども・若衆・年寄
シコ(4本綱)は若衆、ミコ(3本綱)は年寄が練る。1本を捻じったものをさらに合わせて捻じり競争する。
子どもは、藁を束にして練っている大人に渡し、年配者は藁叩きをする。

●94 手松明作り
作業担当:子ども・年寄
年寄衆が子どもに縛り方を教えながら手松明を作製する。

●05 囃子方の練習
作業担当:子ども・若衆
向田集会所玄関前にて小学校6年生から中学生中心で太鼓と笛の練習。

●06 松明しばり・松明おこし
作業担当:若衆・年寄
大木の周囲にシバをゆわえつけ、左右から大ナワでしばりあげる。クレーンで大木を起こし、ささえ木をさしこむ。

●07 奉燈組立て
作業担当:若衆
伊夜比咩神社境内で、奉燈を組み立てる。クレーンを使って起こす。

●08 砂とり
作業担当:子ども・若衆
浜辺に行って、海底の砂を採る。砂を干場に持ち帰って団子にし、御旅所に並べ榊をさしたてる。

●09 祭り
伊夜比咩神社にて、火祭神事 >奉燈広場に向け出発 >奉燈広場に到着、大松明を旋回 >御旅所にて神事 >炎を灯した手松明を回しながら、大松明の周囲を回る >大松明に点火 >神輿・奉燈 伊夜比咩神社に帰還

●10 後片付け
大人は大型、子どもは小型の奉燈を解体し、神社の蔵に片付ける。
車輪は干場に片付ける。子どもは作業後、民宿「さとみ」で昼食、最後に会計さんからお駄賃をもらう。大人は集会所を片付ける。
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 「35歳以下の若いもん14人がみな『やるっ』と言うもんで」 祭祀はまず経営基盤から「よみがえる新日本紀行 能登の火~石川県~」241228

2024年12月28日 09時24分55秒 | 季節
 「35歳以下の若いもん14人がみな『やるっ』と言うもんで」 祭祀はまず経営基盤から「よみがえる新日本紀行 能登の火~石川県~」241228

 「35歳以下の若いもん14人がみな『やるっ』と言うもんで」。
 「ワシは反対であった、周りの屋根がブルーシートで覆われている地域、能登全体をみても、出来ない!!」。
 「賛成と反対が、11対11になって」「さて、どうしたもんか」「若者の声を聴くと・・・・」。

 1970年の放送。、「新日本紀行」番組。4人の男衆が稲の束を継ぎ足して綱を撚る映像。
 日本三大火祭「向田の火祭」。その準備の過程。https://himatsuri.jp/
 点火した火の燃え方で、その歳の豊作&凶作を占う、と。
 説明によると「能登島向田町に鎮座する伊夜比咩神社の夏祭」「毎年7月の最終土曜」
 「古来、オスズミ祭と呼ばれ納涼祭の文字」をあて近年では「向田の火祭」と呼称。

 時は移り、2024年の再放送。この年元旦夕方の地震で、深刻な被災を被った。
 祭祀の季節を前にムラで相談。長老衆の意見は、真二つに分かれたモノの。「若者衆は祭りで集まる」。
 長老衆の<尻ごみ>を、若者の<熱意>がうわまわった、か。

 70年放送で「綱練り ツナネリ」。祭祀はムラの生産基盤の強靭さ、コミュニケーション、次世代教育で成り立つ。
 撚る男衆4人。交代の男衆は音頭をとり、小学生が出来上がった綱を引く。
 ムラの「結い ユイ」で準備。着々、すすむ。豊凶占う神事。背景に稲作農業の力強さ。


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静=森におおわれた山 雄阿寒岳 「にっぽん百名山 阿寒岳」nhk4K241226

2024年12月26日 09時13分06秒 | 季節
 静=森におおわれた山 雄阿寒岳 「にっぽん百名山 阿寒岳」nhk4K241226

 1)滝口 登山道入り口標高400メートル
 2)湖畔
 3)太郎沼
 4)アカエゾマツク
 5)トドマツ
 6)マゲラの巣穴
 7)ヒカリゴケ(空洞)
 8)ハイマツ&ダケカンバの群落
 9)緑の壁(登ると頂上部が見える)
10)ふりかえると阿寒湖、遠景に雌阿寒岳=アイヌ語 「マチネシリ」。
11)八合目 頂上が望める
12)往時の火口
13)頂上まで緑 雄阿寒岳の特徴

 「休火山」とされてきた。ただ1万年前の火山活動「噴火」が確認され、現在は「活火山」。
 掲載図=
https://www.momonayama.net/hundred_mt_individually_data/course_data/course_data-004.html 241226 am:0855
 第一日目「雄阿寒岳」の展開。出演は案内 西田憲一郎 語り 鈴木麻里子の両氏。


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踏み固め、バランスとれた丸みと外観、違和感ない居場所空間 見てくれ超える技術蓄積 「かまくら職人 秋田」の伝統241224

2024年12月25日 10時03分44秒 | 季節
 踏み固め、バランスとれた丸みと外観、違和感ない居場所空間 見てくれ超える技術蓄積 「かまくら職人 秋田」の伝統241224

 雪国・秋田。「かまくら」が著明で<子どもたちの遊び>のように思えるが、どうしてどうして。
 土曜あさ9:30-10:00 放送「サタナビっ! かまくら職人 | 案内には、次の記載が。
 「横手のかまくら 15・16日開催」「横手市役所前・横手公園など」
 「横手のかまくら作り、今年は14人の職人で約40基を制作」。「1月中旬からかまくらが始まるまで精力的に活動します」。

 技術的には「2種類のスコップを巧みに使い、雪積みと穴あけを行い雪寄せ、仕上げの作業と進んでいきます」。
 「かまくらを楽しんでほしいという職人の思いと技に触れました」。「後継者の募集もしていますよ!」。

 しかし別な番組を視聴して、驚いた。ポイントはまず、3点。
 ●シッカリ雪を踏み固める 
  空洞の空間を掘り続けても決して壁に穴があく、天井が抜けるのことのないように。 ●バランスのとれた丸みと外観、加えて<かたまり>として規模も同じに成型。
  「水神」の祭礼として営まれる祭祀。集合体としてのバランス、見てくれの美しさ。
 ●空洞の製作。技術者もその表現に苦心していたが、結局「違和感がない」に。壁の暑さもそれぞれ均等に確保。

 番組は「造れるようになるには3年かかるか」と。本殿にあたる祭壇をくりぬいて、神体を奉祀。
 「意外とあたたかい」「居心地がよい」「風があたらないものだ」は子どもたちの感想。
 子どもの為ではない。祭祀の営為。それゆえ大人が汗をながす、かつ「後継者の募集」も必死なのだ。
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 「国際的リーダー養成」「高い人間力」「コミュニケーション力&学際的専門性」 地方=学ぶ機会&学ぶ人えられる (秋田)国際教養大学長の問題意識241223

2024年12月24日 11時27分04秒 | 季節
 「国際的リーダー養成」「高い人間力」「コミュニケーション力&学際的専門性」 地方=学ぶ機会&学ぶ人えられる (秋田)国際教養大学長の問題意識241223


 「質の高い教育を保証する努力」
 「18歳人口だけをターゲットにせず、川上=中高生だけでなく、川下=社会人やシニアまで幅広い層にとっての学びの場を」
 「社会人教育でもリカレント教育で大学に戻ってくるようなプログラムを考える」。


インタビューのなかに「SNSは自分の好みに近いものしか受け付けないバイアスがかかりやすい」とあるも、ネットに以下の情報が浮上した。
 国際教養大学長が考える問題意識「日本のたこつぼ化傾向への抵抗」 12/23(月) 15:00配信  「朝日新聞デジタル」配信で、国際教養大のモンテ・カセム学長
 https://news.yahoo.co.jp/articles/1f7606d8e30092785bf821608be1b4f24e5243da


 (初代学長)
 1)国際的なリーダーの養成=国際社会で対等にコミュニケーションがとれる「英語での発信力」&「多文化理解」に力点。


 (2代古学長)
 2)リベラルアーツの考え方=人間力の醸成。
 3)リベラルアーツを学ぶ重要性=良い人間になる土台、倫理観、哲学、道徳観を大切にする学び方で「統合知」と呼べる「学際的な専門性を育てる」
 3)(日本の学び方)=文系で<くくる>のではなく、米国の医学・科学を学ぶ人もリベラルアーツの基盤に立つ。

 (自身のことか?)
 4)国際大学には、日本のように文系、理系に分け<たこつぼ化>する傾向への抵抗が問題意識としてあった。
 5)現代の課題は複雑な問題が絡み合う。いろいろな知識がないと解決できない。
 6)専門だけにこだわりすぎると、俯瞰(ふかん)的に物事が見えなくなり、学際的に物事を見る力が、リーダーに求められる素養だ。

 (現代において)
 問い=ネットにあふれる情報を取捨選択する力もリベラルアーツに欠かせない。SNSは真偽不明の情報も散見されるが、学生や若者はネットの情報とどのように付き合うか
 答え=SNSは自分の好みに近いものしか受け付けないバイアスがかかりやすい。そこで「信頼できるサイトからしか情報を得ないなど、自分なりの習慣やルールをつくる」。 大学では批判的思考力を養い、うそと真実を見極める力を身につけてほしい。

 問い=急激な少子化で大学間の競争はますます激しくなる。
 答え=「質の高い教育を保証する努力をし続ければ、大きな打撃は受けない」。
    「ただし、18歳人口だけをターゲットにしている時代は終わる」。
    「大学は川上である中高生だけでなく、川下に広がる社会人やシニアまで幅広い層にとっての学びの場へと変化していかなければ」。
    「(多様な関係者が)どんな教育がふさわしいのかを一緒に考える」。
    「社会人教育でもリカレント教育で大学に戻ってくるようなプログラムを考えたい」。

 問い=向こう10年間の長期ビジョンで<地域課題に即した研究成果>を掲げている。
 答え=「(秋田が抱える課題は)人類に共通する普遍的な課題」。
    「世代間の交流で高齢化社会の健康寿命を延ばす取り組み」。
    「モビリティーや気候変動対策など、秋田県内だけで解決しようとせず、多様な人々を巻き込み課題解決に取り組むことで、地方に価値を創造する大学を目指す」。                 (滝沢隆史)
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 「戦いをやりたい勢力」←→「終末時計 残り90秒」 「こころの時代 難民支援“たった一人を助ける”」nhkETV

2024年12月23日 10時36分49秒 | 季節
 「戦いをやりたい勢力」←→「終末時計 残り90秒」 「こころの時代 難民支援“たった一人を助ける”」nhkETV

 戦争を未然に防ぐネットワーク=「平和の手」。
 24年12月22日朝、「こころの時代 人生・宗教 難民支援“たった一人を助ける”~松浦・デ・ビスカルド篤子さん」nhkETVの時間に、教師を辞して転じた場所が「平和の手」。
 「平和の手 大阪 カトリック」のキーワードでヒットした「大阪大司教区 社会活動 50年の歩み – シナピス」のページ。
 「結果、大阪教区発で呼びかけた『民間機チャーター』募金で、民間機を2機調達」。

 「民衆の手で日本国が戦争に加担するのを未然に防ぐことを実現した」、と。
 説明はなかったが、松浦・デ・ビスカルド篤子さんは、松浦悟郎神父息女なのかも。
 「平和をつくる具体的な社会貢献」として、評価をうける活動であった。
 「戦争を未然に防ぐネットワーク=『平和の手』」の重要な背景であろう。

 聴いていて二つの点をおもいついた。
 一は、「人類は戦争をやりたい勢力を、ある時から<抱える>ことになった」のでは。
 A)軍隊はいつの間にか訓練成果を試したくなる。B)産業のなかには備蓄した兵器を消費し財源に代えねば。その焦り。C)政権に働きかけて票を出し、仕掛けて税金を投入させる。

 二は「「終末時計」。
 「「残り90秒、2年連続で過去最短 新たな核開発競争を懸念」の報もあるぞよ。
 https://www.bbc.com/japanese/68077975。
 懸念は「核」のみにあらず。核ならすでに「ロシア→ウクライナ」で、露大統領は<ちらつかす>。

 昭和初期、日本陸軍は「柳条溝事件」を起こした、「安保法制」=自衛隊出身者の防衛大臣の提案を、委員会臨時委員長の自衛隊出身理事が委員長席のマイクを握り、強行採決。 自衛隊派遣地で起きていた自衛隊員の危機を、国会で大臣に報告させなかった内局官僚。
 軍需産業が参加して「多国間武器開発」。人命に関わる恐れのある武器の輸出を解禁。
 「戦争をやりたい勢力」。確実にというより、着々と「できる体制」を構築してはいなか。


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