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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

「相依りて立つ藁 縁起」の概念220415.

2022年04月15日 13時49分54秒 | 記録
 「相依りて立つ藁 縁起」の概念220415. 世に「解字」の概念がある。
それは「文字(漢字)の意義を解明すること」「文字の成り立ちを分析する」と示される(『広辞苑』第七版)。

「人」。では「人」の解字はいかように示されるか。
「人の立った姿を描いた象形文字」にして「もと身近な同族や隣人仲間を意味した」とも。
さらには「二つくっついて並ぶ」や「そばにくっついている相手」。ほかには「相並び親しむ人」などつながりを中核に位置づけるとする。

1965年ころ、増谷文雄著『仏教百話』で読んだ記憶。原始仏教の訳であった。
それは「二つの蘆束は互いに相依りて立たん」の<比喩>=あるものごとを別なのものごとに見立て、なぞらえる表現。それで読んだことがある。 
「サーリプッタ(舎利弗)は「二つの蘆束は互いに相依りて立たん」と説いた」。「縁起の公式:増谷文雄博士は、次の表現を「縁起の公式」と呼んでいる」
「これあればこれあり、これ生ずればこれ生ず」「 これなければこれなし、これ滅すれ・・・・・・」。

別な観点で「それは『縁りて』ということばと『起ること』ということばとが結合して成った言葉である」。
「つまり、なんらかの先行する条件があって生起すること、というほどの言葉であって、それを翻訳して中国の訳経者たちは、『縁起』なる述語を造成したのである」。
今、「藁=わら」を「人」に置換して考えると、縁起の意味が少しは見えてくる。

ますます難解であるか、自然科学の領域では、<縁起>とは<化学反応の結果>とする理解でいかが。
物質=ここでは元素記号であらわされる「因=いん」が、さまざまな説明いたしかねるつながりによって結合し、水、炭酸ガス、硫化硫黄、有機水銀などなど<果>をうみだしていく連鎖。因となる炭素なり水素なり酸素が組み合わさり、多様な物質=果に相当の化学物質をうみだすではないか。そこに内在する、目にみえぬ化学反応。それが縁起に相当。それは言い過ぎであろうか、言葉足らずであろうか。「なんらかの働き」。それは実感できるのかも。

思想の系譜でも推移をたどる。それは3段階に区分される、と。ネットなどモノの本には豊富ながら、少しく注釈が必要である、か。
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「北の端から島の魅力と読書の文化を広げる」 北海道利尻島からの提案220403『北海道新聞』(朝刊)

2022年04月14日 09時05分10秒 | 書評
  「北の端から島の魅力と読書の文化を広げる」 北海道利尻島からの提案220403『北海道新聞』(朝刊)

 淡濱(あわはま)社。
 「たくさん読む人も、一冊を大事にする人も楽しみ方はそれぞれ」「島の魅力と読書の文化を広げる」。<結び>に示される、30歳代・女性のコメント。

 北海道の北部に位置する、利尻島に探勝した出版社。それが「淡濱(あわはま)社」という会社。
 これまでに『利尻の色』、『北の浮き、彩初める』など計4冊。東京都や長崎県から注文がある、と。

 「利尻は青にあふれている」。
 会社員時代に<独り旅>で訪問した北海の島=利尻・礼文。のちに「利尻町地域おこし協力隊」に採用された。
 図書館司書の資格を活かし、小中学校の図書室で本の整理をする。また、「島のお助け司書」を名乗り、SNSサイトで「お薦めの本を紹介」とも。

 「利尻町で淡濱社を立ち上げた濱田実里さん」。
 記事は「利尻で本の魅力発信」のタイトルで、「地域から 179の窓-留萌・宗谷面 3月11日朝刊の記事-」と、取り上げられている。(『北海道新聞』朝刊3面)。
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語り部を育て、自ら語り部に育つ 釧路湿原シニア大学院始業式220413

2022年04月13日 16時37分42秒 | 催事
語り部を育て、自ら語り部に育つ 釧路湿原シニア大学院始業式220413.

釧路湿原シニア大学院第8期生にとっては第2年次の始業、そして聴講生登録の1-7期の令和4年度登録を行いました。
「今年度の抱負を」と促された学長は挨拶に立ち、以下のように案を示しました。

地域に語り部を育てたい。
シニア大学院に学んでくださることが、地域の語り部を育てることにつながっている。
自ら学ぶことが、地域に広範な人材育成につながっている点を見据えてほしい。

修了生から語り部を発掘。 
過年度修了者のお方に短期高等教育機関でミニシンポの基調講演とパネリストをお務めいただいたことがあります。
事業経営に投じた半世紀の「語り」には深い共感が寄せられたところで、人生の経営者としても立派な業績を残されて感銘を与えていただきました。

釧路湿原シニア大学院で学び続けていただくこと。
それは一方で、地域の語り部を育てる営みであり、他方で自身が語り部として育つ軌跡を描いてゆくこと。
多くの修了生がそれぞれに目標をもち、自身で創る物語の豊富さをめざすことにしたいものです。

2021年どもコロナ禍で、多くの授業が欠課。
時には修了年度ごとに出席を制限することも生じました。そうした時に、どのような学習形態が可能であるのか。
多くの市民がスマホをそれぞれに操る時代。なんとかメッセ-ジを送りとどけて多様な学習形態を保証する点を考察してまいります。

まずは釧路湿原シニア大学院の院生登録。
互いに励ましあい、近隣各地を訪ねて専門ガイドの語りを耳にしつつ、地域に貢献することめざしましょう。
(さとう・ひろつぐ 220413 13時ー13時30分)
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「着るほどにカラダになじむ」 美の壺「風土を織り込む 紬」NHKBS3 220409  三つのツボ。それを提示するNHK番組「美の壺」

2022年04月11日 10時04分16秒 | 放送
 「着るほどにカラダになじむ」 美の壺「風土を織り込む 紬」NHKBS3 220409
 三つのツボ。それを提示するNHK番組「美の壺」。

 「紬」は真綿を手撚りして紡いだ絹糸で織った布地。最初に大島紬をこよなく愛する男性が一言。
 「着るほどに、実にカラダになじむ心地よさ」。
 それは「不思議」とも形容したと視聴した。天然の藍が、江戸時代の作からなお健在で、「トキをかさねるごとに<深み>を増す」との形容にも重なる。

 農閑期の奄美大島。その時間をあてて「大島紬」の製法が確立した。
 女性達が寸暇を惜しんで糸を撚り、男達が染色する技法は実に多層。手間のかかる、永年の経験と勘がたよりの微妙な工程。
 祖母-母ー娘。技術の継承にも血のにじむ鍛錬が求められる。

 鮮やかな緑。「天然蚕 てんねんさん」の名も美しいが、その光沢は宝のようで。
 飼育の地は信濃国の安曇野。番組案内には「絹のダイアモンド」「神秘の輝きが紬に」とすら記載。
 それほどに<見事>。「古美術鑑定家中島誠之助さんも登場。紬と古美術の共通点とは」とある。

 ひょっとして、冒頭。「着るほどにカラダになじむ」と申されたのは、この「古美術鑑定家」であったか。
 では、是非に聞き直してみたい、「紬と古美術の共通点」。再々放送は22年4月15日。初放送は21年5月15日。
 季節になると大型旅客船の観光客を海外から迎える釧路港。

 その釧路フィッシャーマンズMOOの経営者&女将のみなさん。
 ここは<おもてなし>に加えて、<日本情緒豊かに和装>でお出迎え。
 せっかく館内に開業「NPO法人 グローカルみらいネット」には立派な和装指導員がおいでになって、着付け指導をしてくださる。活かしたい。


 (以下、「番組案内」)https://www4.nhk.or.jp/P5180/x/2021-05-15/44/28104/2084070/ 美の壺「風土を織り込む 紬」
日本の伝統的な着物、紬(つむぎ)の魅力に迫る。結城紬、大島紬、天蚕糸の輝きは土地土地の風土を映す。草刈家を訪ねる謎の古美術鑑定家▽中島誠之助・里アンナ・小林親弘

絹糸を染めて織り上げる着物、紬(つむぎ)▽繭から真綿を作り、手で糸を紡ぐ結城紬▽奄美大島で絹糸を染めるのは島の泥。
清流で泥を流すと現れる艶めく黒。
大河ドラマ「西郷どん」のテーマ曲を歌った里アンナさんが祖母から受けつぐ泥大島を着て歌う「糸繰節」
▽長野県安曇野で守られてきた、絹のダイアモンド、天蚕糸。神秘の輝きが紬に。
▽古美術鑑定家中島誠之助さんも登場。紬と古美術の共通点とは?<File 537>
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水俣再生で市民が手にした価値 生涯学習Ⅱ in 釧路湿原シニア大学9th-02

2022年04月10日 08時21分35秒 | 催事
 水俣再生で市民が手にした価値とは 生涯学習Ⅱ in 釧路湿原シニア大学9th-02

 熊本県水俣市。
 1954年に確認された<世界に類をみない産業公害>。そこで失われたモノ、悲惨の二字。
 しかし、市民はマチなかに生み出された<偏見・中傷・差別>を超えて、水俣の再生に立ち上がる。

 キーワードはいくつか。
 「ヒトは絶望だけでは生きられない」
 「人様はかえられないから、自分がかわる」
 「他人が調べたモノでは<水俣病>はわからなかった」「自分で調べてみて初めてわかった」。

 結果、行き着いたコトは。
  「(地域に生じた偏見・中傷・差別の発生は)創る力・考える力・調べる力の衰退」にある。
  「<べき論>からは出発しない」「あるモノを探して確認」「意味を把握してから、昔ながらの知恵と工夫を含め新しく組み合わせる」(34p)。
 そういうことであった。

 そこから学び。
 「(生涯学習は)①自己充実、②生活力向上、③地域の振興、④課題解決」に加えて「⑤地域経営に参加」を掲げる。
 22年4月12日 釧路湿原シニア大学9th-02講座を担当(登録者限定講座)。「生涯学習Ⅱ 生涯にわたり学び続ける意義と価値」。
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「以衆人堅城砦=<アイヌ民族がなびかぬように>」 幕府東蝦夷地直轄政策220408

2022年04月08日 13時41分58秒 | 記録
 「以衆人堅城砦=<アイヌ民族がなびかぬように>」 幕府東蝦夷地直轄政策220408

2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。その前にはクリミヤ半島の領有と言うこともあった。
日曜日朝のワイドショー番組で、藪中三十二氏は次のように発言したように思う(録画してあるわけではないが)。
「USAは危機感を示し、『始まる、始まるぞ』とは申すも、なにもしようとしない」。

最近、ANNニュースが報じたという。2022/04/07 https://www.youtube.com/watch?v=gn-RJAi9l9A
「北海道を巡るロシア下院議員の発言 領土的野心の表れか(2022年4月7日)」 
<411,339 回視聴>。視聴記録は残されているようだ。識者は「ロシアのプロバカンダ、あおられることはない」と評してはいるが。

その前には、「アイヌ民族は『ロシアの先住民』 プーチン大統領が認定方針」と『北海道新聞』電子版 181218が伝えていた。
https://newspicks.com/news/3543642/

天明5,6年。ウルップ島に至った幕府調査隊は、同島に目にしたロシアの大艦に目をみはった。
寛政元年5月に起きた「クナシリ・メナシの戦い」が起き、日本東方のアイヌ民族社会と本州経済の軋轢と緊張状態が顕在化した。
寛政4年にはロシアの女帝、エカテリーナが派遣したラックスマンが根室に来訪。長崎に回送させて門前払いを食わせている。

いずれも江戸に出現。それは絶対にあってはならないことであった。上記3点を背景にして。
寛政11年正月16日、幕府は東蝦夷地のうち「浦河以東~知床まで」を仮直轄した。
政策の一は、「以衆人堅城砦=<アイヌ民族がなびかぬように>」。

政策の大綱を示す、羽太正養著『休明光記』。
考察するに「銭をかけずに、政策を貫徹」。財政危機に迫られた幕閣官僚の知恵がにじむ。
ウルップ島と択捉島の間に引かれた国境の線。そこには長い時間の蓄積がある。
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苛烈・確実な年貢収取 「門割 かどーわり」=薩摩島津家の農業経営・農政及び農地の制度210407

2022年04月07日 10時38分05秒 | 記録
 苛烈・確実な年貢収取 「門割 かどーわり」=薩摩島津家の農業経営・農政及び農地の制度210407

世に「一門 いち‐もん」とする概念がある。辞書に記載。
 「同じ家系、または、同じ家族の人々。一族。一家」=「藤原一門」。「仏教などで同じ宗派の人々」=「天台一門」。「学問・武道・芸能などで、同じ師匠や指導者をいただく人々」=「芭蕉一門」。、「特に大相撲の世界で、名力士の指導を受けた親方・力士の作る集団=「出羽海一門・二所ノ関一門・時津風一門・高砂一門、立浪一門」。「類語」に「一族・家・家門・血族・家系・家筋いえすじ・氏うじ・血筋・血脈・血統」など、あるとする。

 薩摩国・島津家で中世から成立したとみられる所領支配に「門割 かどーわり」の制度がある。
 複合家族の数戸を門に編成して耕地を割り当て,一定の年期ごとに割替えが行われた農業経営・農政及び農地の制度。そう、説明しておく。
 島津家及びその周辺の所領地では、経済的に「門割 かど-わり」制度、経済外的には「真宗禁制」の両面で農民支配が貫かれた。
 現在のところ推量の域を出ぬ。あえて記載。
 1)シラス大地に象徴される肥沃地と不毛地の混在する田畑に「割替え」は不可欠。
 2)<稲作に対する年貢収取に加えサトウキビ栽培や甘藷栽培など特殊農林産物に対する大名家独自の課税種収取が可能>であったか。
 3)(再録)経済的に「門割 かど-わり」制度、経済外的には「真宗禁制」の両面で農民支配を貫徹。
 1965年ころ、この概念を承知するも、近年になってようやく、文献の収集に努めているが
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地域再生の10条 吉本哲郎著『地元学をはじめよう』(岩波書店 2008年)

2022年04月06日 09時30分01秒 | 書評
地域再生の10条 吉本哲郎著『地元学をはじめよう』(岩波書店 2008年)。

1)地域は<地域が水でつながっている>を見落としていた。
2)<ヒトが自然に近づきすぎ>て、自然の復元能力(自浄力)を超える負荷を環境にかけ続けた。
3)公共投資で水俣の自然は復旧したが、市民の間に生じた不信・不安・対立や差別は解消しなかった。
4)水俣市長が「もやいなおし」を宣言、市民間の差別と対立を修復する取り組みが全市に広がった。
5)<不信・不安・対立や差別は解消しなかった>理由は「調べる力、考える力、創る力が衰えている」点にあった。
6)「ものづくりや地域づくりはイメージする力」による。
7)地域にあるモノをつなぐ、つないで意味を造る、意味をまとめて付加価値を創出する。
8)「地域まるごと博物館」や「地域資源マップ」の取り組みを通じ、地域再生の取り組みが全市に広まった。
9)「課題解決では間に合わない、付加価値を創る」をめざす。
10)「対立のエネルギーがあれば、付加価値を創るエネルギーに変える」。

「人は絶望とウラミだけでは生きられない」、「人様は変えられないから、自分がかわる」という主張もある。
「我がコト」「自身のコト」。地域再生にかける熱意はどの地域も高い。確かな成果を残すためのポイントか。
(吉本 哲郎著『地元学をはじめよう』 岩波ジュニア新書  2008年)。
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「白糠のアイヌ語地名:キラコタン」 自然災害伝承地名220127

2022年04月05日 09時52分33秒 | 記録
 「白糠のアイヌ語地名:キラコタン」 自然災害伝承地名220127

 釧路国で「キラコタン kira・kotan 逃げる・村」は白糠町と鶴居村にある。
 白糠郡白糠町の「キラコタン」は茶路 ちゃろ 川の下流部に位置する地名。地図上では役場所在地の西部に「京都大学演習林」の記載があるから、その西部ということに。
 この伝承は渡辺茂著『白糠町史』(白糠町 1954年)に掲載されている。白糠町役場の所在するマサルカの地から、津波が発生した時に「逃げる」の行き先として、「キラコタン」が選ばれたのだとする。

 (A)『白糠町史』(1954年)を編纂したとき、在住したコタン住民に伝承していた事象で信頼度は高いとするも、どの地震の津波かは不明のままとされている。
 (B)「kira-kotan 逃げる・村」でその意味は、津波襲来時に「マサルカ」の地から「逃げこんだ」とする伝承である。
 (C)どの津波襲来があてはまるかでは「17世紀前半の千島海溝・日本海溝を震源とした地震」や「1843年天保根室沖地震」を想定する論28)があるも不明。
 地質学者の高清水氏は「コタンをあげてキラコタンに逃げたという可能性はあると考えている」とする。

 今、「キラコタン」の領域をyahoo地図で探し、国土地理院図に落としこんだ(掲載図)。同様にマサルカの地も図面に落とし込んである。
 地名:キラコタンは茶路川の右岸で標高=6.6メートル地点に位置し、その多くは茶路川の堤防・河川敷にあたる。マサルカの地は3.5メートル内外につき、「安全といえば、安全」。そう語り伝えられてきたことになる。
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祖母も鶴瓶も感動 アメイズインググレイス「鶴瓶にカンパイ」NHKG220404

2022年04月04日 15時52分51秒 | 放送
 祖母も鶴瓶も感動 アメイズインググレイス「鶴瓶にカンパイ」NHKG220404。

2013年。街角で美少女が「きよしこの夜」を斉唱してくれた。その7年後の2021年。
成長した2人は、いま、東京と仙台で学ぶ。当時、中学2年生であった2人。ひとり=斎藤結月さんははクラシックギターの「温もりのある音にひきこまれ」と仙台で学ぶ、
もう独り=須田真央さんは声楽をこころざし、東京の音楽大学で声楽科に学ぶ。

声楽科で学ぶ女性は申す。
「番組に出演できたことで、たくさんの方から手紙をいただいた」「(そこで気がついたこと)音楽は人々をつなぎ、力になる」。
澄み切った少女のハーモニーは、「(婆ちゃん)私、はじめて聴いた」と感激させていたが、それから8年。

東京のNHKスタジオに登場の須田真央さんは、「その時の、アメイジンググレイスを歌います」。
かたわらで、小野文恵アナウンサーは紹介。「演奏は仙台から、斎藤さんのクラシックギターで、歌っていただきます」。
驚く鶴瓶を尻目に、2人の合奏がテレビを通じて演奏された。

この場面。放送当時から、注目されたのであろう。「鶴瓶 須田真央 アメイジンググレイス」の語で検索するに。

https://datazoo.jp/n/2013%E5%B9%B4+%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82%E3%81%AE%E6%97%85+%E5%BF%83%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%BF%E3%81%9F%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC/18349275
「2013年 いわき市の旅 心にしみた少女たちのハーモニー」が残っていた。
(2021年3月8日 「鶴瓶の家族に乾杯 高橋尚子と福島SP」には次の紹介)。
「2013年のいわき市の旅。鶴瓶が出会ったのは合唱をやっているという中学生の女の子たち。路上で少女たちは歌を披露してくれた。須田さんのお宅にもお邪魔させていただいた。双子の妹が帰ってきてた。女の子たちはおばあちゃんたちに「アメイジング・グレイス」を披露した。おばあちゃんは涙を流した。
中学生だった斎藤結月さんからメッセージが届いた。あれから7年、結月さんは大学3年生で20歳になり、クラシックギターを習っていて、老人ホームなどで演奏をしているという。須田真央さんは東京の音楽大学で声楽を学んでいる。スタジオに須田真央さんが登場。7年ぶりに鶴瓶と再会した」。
「2021年3月8日放送 20:30 - 20:38 NHK総合」「キーワード「いわき市(福島)アメイジング・グレイス」。
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芸道 小三治・正名・家業ドメ220403

2022年04月03日 09時27分09秒 | 記録
柳家小三治師。「押しつけがましい(落語をするな)」「自分の方から配達に出かけて行くな」。落語研究会。厩火事に鹿政談の高座の枕に。

前田正名。
地方更生の出発に『興業意見 未定稿』を記載。農村金融にむけて興業銀行構想。のち「地方村是」に「郡是」。

長男まで離村する教育をよろこばずない愛知県南知多町。ムラの女神を喜ばすために2日間休んで祭祀に専念(=「家業止め」と申す)

芸道 小三治・正名・家業ドメ220403
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往時の木柱、移転後の新津波高度標識 JR北海道・白糠駅220330

2022年04月02日 06時09分27秒 | 記録
往時の木柱、移転後の新津波高度標識 JR北海道・白糠駅220330

1975年頃の時点で、当時の日本国有鉄道北海道支社釧路鉄道管理局管内の白糠駅前に、一基の木柱があった。
「標高は6.8メートル」の表示と、津波への注意を促す標識」であった。モノクロ写真で撮影したはずながら、そのデータはどこへ収まっているものやら。

220330。現地をたずね、その現場を確認してみることにした。白糠駅前は整備され、記憶にあった「木柱」は駅前から撤去されていた。
転じて、そのヨスガを残すオブジェクト。それに相当するのであろう標識がった。近年、いたるところに「この位置は標高■メートル」のサインを見る。
しかし、この地点の標高標識はひと味、異なる。柱の頭頂部に「▼10M▲」の表示があって、そこに往時の木柱の伝統を示している。

往時の木柱は、この地域には希有な「津波到達高度」を示す「自然災害被災碑」の一つであった。
1954年ころ刊行の『白糠町史』に「マサルカの地からキラコタンへ津波避難」した伝承があると、記載された。
キラコタンは「逃げ込んだ・ムラ」の意で、「マサルカの地から、津波避難でキラコタンに避難して救われた」の伝承がオブジェクトで伝承と心得てきた。

その上で、以下のように記載してみたのであるが。
「また白糠町の白糠駅前広場に「標高は6.8メートル」の表示と、津波への注意を促す標識がある」。
「ここでは、本節の記述に必要な観点で一点のみ言い及ぶ」。「自然災害伝承碑にせよ注意喚起の標識にせよ、造像・造塔のオブジェクトに相当する」。
「つまり文字・記録によるメッセージである」。
その意とする点は、「記憶を風化させぬためには、オブジェクトをしつらえるだけでは忘れられる」「伝承の口伝えがなければ」。いかがであろうか。は形による伝承にして、かつ危機意識の継承と整理できる。けれど抑揚、感情、肉声の温度を感じるや否や。
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鵜飼い

2022年04月01日 13時39分40秒 | 放送
「道具とだけ考えていた『鵜』も、今は・・・・・」 鵜飼い450年、広島県三次市220401

テレビ朝日の朝の放送。「ニホンのチカラ」で午前5時はんから、伝えていた。
「これがおれたちの伝統 ~人と鳥がつないだ450年~」と題して、放送された。
鵜飼いと言えば、岐阜県の長良川。三次市の江の川を舞台に、450年の伝統があるそうで。

「鵜が道具であった、金儲けのため始まったことではるが・・・・」。
鵜飼いを観光の機会にもと位置づけられてきたが、「今は、違っている」と。
鵜には脚にコブのできる病気があって、罹患すると関節が働かなくなり、ほどなく落命するのだそうで。獣医師が懸命に鵜の治療にあたる。

「今や鵜とは共生の関係、動物も人間の役にたちたいと考えている」。実はこれ、「鵜と人間との間の新しい価値観」なのだそうである。
期待の鵜飼いは新型コロナウィルス感染症の蔓延で、2年間お休みになった。
6月22日の開催。しかし、その期待は蔓延防止期間の延長で、さらに30日の延長となった。

いよいよその日。
しかし、鵜飼いの川は濁流にあふれていた。今度は大雨による洪水。岸辺にはゴミが寄りつき、自然の脅威も見落とせない。
そうした試練ものりこえて、あらかじめ予約をしてくれた常連さんが、待つ。人間の都合のみでは実施できない、450年の伝統行事。

番組のプロデューサーはブログに書いている。
「『伝統を守る』ってなんだろう?今回はそのことを考えながら取材」。
「今回の物語では、無数に存在する地方の伝統行事共通の後継者不足、自然災害の悩みも浮かびあがってきました」
「番組冒頭で『でもやるんだよ』という言葉が登場」、「厳しい状況のなか、未来はバラ色じゃないけれど…。これこそが「日本のチカラ」、今回登場する方たち共通のメンタリティー」とも。

同氏は「編集後記」で。
「『他人には無駄に思えること』を続ける人の心の中に共通する思いだと感じました」とする。
文化。それはヒトとヒト、地域と地域を結節し、地についた付加価値を生み出す。
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