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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

「兵頭玲子 木村 夏江」「桂木夫人=小山 明子」 nhk銀河ドラマ「挽歌」舞台裏

2023年07月15日 08時46分32秒 | 放送
 「玲子」といえば久我美子、秋吉久美子。「桂木夫人」と問われれば高峰美枝子、草笛光子。
 そうピリッと来なければ・・・・・。「暗記する必要はない、暗記しなければいけないことは必ずどこかに記載がある」。では、肩身が狭い。

 「nhk 銀河ドラマ 挽歌」と検索サイトに記載。「テレビドラマデータベース」なるページにたどりついた。 http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-12908
 以下の記載内容にお目にかかった。以下、紹介の記載を。

 挽歌 霧の町釧路を舞台に、妖精を思わせる演劇少女と、中年の建築技師の愛の葛藤を描く。後年、大河ドラマなどを多数手がける佐藤幹夫がNHK釧路放送局に勤務していて、助監督を務めた。
 【参考文献:志賀信夫著「映像の先駆者125人の肖像」(2003/03/30発行、日本放送出版協会刊)】
 キー局 NHK GTV 放送曜日 月~金 放送期間 1971/11/01~1971/11/05
 放送時間 21:00-21:30 放送回数 5 回  連続/単発 連続
 番組名 銀河ドラマ
 主な出演 木村 夏江、小山 明子、佐藤  慶、中村 敦夫
主な脚本 倉本  聰(倉本  聡)
主な演出 和田  勉、(助監督:佐藤 幹夫(クレジット表示なし))
 原作 原田 康子「挽歌」
 局系列 NHK

 そうか、そういうことか。この話、「(助監督:佐藤 幹夫(クレジット表示なし))」と記載のお方を通じて承知していたのだ。
 当時、この方=佐藤幹夫氏の名が放送にはなくて、目をほらした記憶がある。
 地方ロケの収録前の下調べで来釧したとき、お目にかかっていたからだ。

 放送は1971年。この年、3月まで氏は釧路放送局で<駆け出し時代>を過ごしておられた。秋、そのプロデュースで、来釧時、お目にかかったものであった、か。
 思うに「兵頭玲子 木村 夏江」「桂木夫人=小山 明子」「桂木建築事務所長=・・・・」、「久田青年=・・・・・」であった、か。

 「兵頭玲子 木村 夏江」「桂木夫人=小山 明子」 nhk銀河ドラマ「挽歌」舞台裏71110
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銘茶で一筆、月課に向き合う 味の兵四郎・天空の深緑。

2023年07月14日 05時09分58秒 | 生活
 新茶の出まわる時季。首都圏にお住いのお方から頂戴していた「味の兵四郎 天空の深緑」。
 福岡県筑紫野市に所在する「味の兵四郎」産の銘茶。レターライト便で頂戴していたので、売りだしの姿に収めて、冷凍庫でお休み願って居た。いよいよ頂戴する段になって、梅雨の時期。

 あらためてご挨拶をさせていただいた。
 梅雨の進み具合はいかがですかー。終われば猛暑開始のようですが、続くと鬱陶しいですし。
 知恵の結晶込めて銘茶をあ寄せ頂きありがとうございました。
 写真のように品格加えてお休み願って居ましたが、本日からお出まし頂くことにしました。
 ありがとうございます。月課になっている新聞原稿に取り掛かるため渾身の一滴でお世話になります。ありがたいことです。後程また。

 写真を添付。続けて以下を呈した。
 誠に有難いご厚意。たいへん遅くなりましたが、今朝、頂戴いたしました。なにより上品で、心休まる甘味。説明にあるトロリとしと茶葉の旨味に爽やかな風味がピッタリです。
初煎は温度が低めでしたが、普通より高めが適しているようで、次回から湯温度をあげてみようと思います。

 お陰で原稿出来上がったとはまいりませんで、着手後間も無く電話で呼び出され、今しがた帰宅しました。笑ってあげてくださいませ。
 誠に銘茶と送り主様に失礼なことでありまして。気を取り直し適して再挑戦です。感謝致します。

 ちなみに「おいしい淹れ方 3カ条」
 1.茶葉は多めがコツ 急須に茶葉を2人分(約250cc)で大さじ一杯が目安。
 2.葉を開かせる   湯呑にいれておいた湯を急須に注ぎ、蓋をして約40秒
 3.静かに注ぎわける 急須はまわさずに、湯呑に均等、最後の一滴まで静かに注ぎわける

 銘茶で一筆、月課に向き合う 味の兵四郎・天空の深緑。
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銘茶で一筆、月課に向き合う 味の兵四郎・天空の深緑。

2023年07月14日 05時06分45秒 | 生活
 新茶の出まわる時季。首都圏にお住いのお方から頂戴していた「味の兵四郎 天空の深緑」。
 福岡県筑紫野市に所在する「味の兵四郎」産の銘茶。レターライト便で頂戴していたので、売りだしの姿に収めて、冷凍庫でお休み願って居た。いよいよ頂戴する段になって、梅雨の時期。

 あらためてご挨拶をさせていただいた。
 梅雨の進み具合はいかがですかー。終われば猛暑開始のようですが、続くと鬱陶しいですし。
 知恵の結晶込めて銘茶をあ寄せ頂きありがとうございました。
 写真のように品格加えてお休み願って居ましたが、本日からお出まし頂くことにしました。
 ありがとうございます。月課になっている新聞原稿に取り掛かるため渾身の一滴でお世話になります。ありがたいことです。後程また。

 写真を添付。続けて以下を呈した。
 誠に有難いご厚意。たいへん遅くなりましたが、今朝、頂戴いたしました。なにより上品で、心休まる甘味。説明にあるトロリとしと茶葉の旨味に爽やかな風味がピッタリです。
初煎は温度が低めでしたが、普通より高めが適しているようで、次回から湯温度をあげてみようと思います。

 お陰で原稿出来上がったとはまいりませんで、着手後間も無く電話で呼び出され、今しがた帰宅しました。笑ってあげてくださいませ。
 誠に銘茶と送り主様に失礼なことでありまして。気を取り直し適して再挑戦です。感謝致します。

 ちなみに「おいしい淹れ方 3カ条」
 1.茶葉は多めがコツ 急須に茶葉を2人分(約250cc)で大さじ一杯が目安。
 2.葉を開かせる   湯呑にいれておいた湯を急須に注ぎ、蓋をして約40秒
 3.静かに注ぎわける 急須はまわさずに、湯呑に均等、最後の一滴まで静かに注ぎわける

銘茶で一筆、月課に向き合う 味の兵四郎・天空の深緑。
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幕末期、イワシの豊漁 近江商人の奥蝦夷経営が北前船航路も路線変更230708

2023年07月13日 06時48分12秒 | 記録
幕末期、イワシの豊漁 近江商人の奥蝦夷経営が北前船航路も路線変更230708

 1992年頃、記載。その概要がネットにも掲載されている。
 https://www.hokkai.or.jp/history/kusiro-mukasi/3-3.html 「釧路昔むかし」(『釧路歴史探訪』)

 (東蝦夷地の北前船)
次第にわかってきたことは、北前船というのは蝦夷地の産物のうちでも特にニシン粕の売買と輸送を第一とするものであったことである。このため主な船の行き先が日本海に限られるのも、しごくあたりまえのことであった。

 しかし、時がたちニシン粕にかわりイワシ粕をめあててにするようになると、北前船はイワシ漁にわく太平洋岸にも航跡をしるすようになった。
 確かに東蝦夷地へきたケースは少なくかつ時代としては遅い。そのわけはニシンからイワシ魚粕という商品へのうごきがあったようである。
 
 米屋がコンブやニシン粕をクスリ場所で渡すという条件をだしていた。米屋が商品を箱館まで運ぶとき手持ちの船で輸送していたから、漁場で直接渡すとき積みとりにきた船は買い積み船=北前船かとおもう。

(北前船の時代背景)
 (宝暦期は)また木綿生産のうえでは工場制手工業(マニファクチュア)にきりかわるときでもある。
 庶民に広くゆきわたる木綿の需要。(木綿)生産を拡大するための工場制手工業の展開。農村の綿花の増産。
 当たり前のように魚肥のもちいられることがいっそう多くなる。

 蝦夷地のニシンやイワシだけでなくマスも魚肥にかえられた。北前船で輸送のパイプがふとくなった。
 一方、需要にあわせたコンブや魚肥の生産のため、漁場では多くの労働者を必要とする。アイヌの自然採集経済は否定され、自然コタンはこわされて生産年齢層のアイヌは和人の漁場に集められるようになる。
 北前船の時代の到来は蝦夷地の産業や社会の構造をかえてしまうことになった。あるいはこの点が松浦武四郎によって鋭く指摘されるところでもある。北前船の発展は蝦夷地のコンブや魚肥の需要にみあったものである。

 神社に奉納された絵馬。「大漁豊漁」「海上安全」の祈願奉納も多いが、海難帰還を報謝し、その荒涛高波を「神々に奉告」と評される絵馬が加賀市橋立に伝承する。
 納沙布岬をかわす、宗谷岬をかわす、まして知床岬を風帆船がかわすのは、危険を伴うことであった、か。
 「奥場所」「奥蝦夷地」と呼ばれる場所が、宗谷・網走・斜里・国後・根室に存在。
 その一円を「柏屋 藤野喜兵衛家」が請け負う構図。その意味を慎重に読み解くことにしたい。
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きたまえ

2023年07月13日 06時46分15秒 | 季節
幕末期、イワシの豊漁 近江商人の奥蝦夷経営が北前船航路も路線変更230708

 1992年頃、記載。その概要がネットにも掲載されている。
 https://www.hokkai.or.jp/history/kusiro-mukasi/3-3.html 「釧路昔むかし」(『釧路歴史探訪』)

 (東蝦夷地の北前船)
次第にわかってきたことは、北前船というのは蝦夷地の産物のうちでも特にニシン粕の売買と輸送を第一とするものであったことである。このため主な船の行き先が日本海に限られるのも、しごくあたりまえのことであった。

 しかし、時がたちニシン粕にかわりイワシ粕をめあててにするようになると、北前船はイワシ漁にわく太平洋岸にも航跡をしるすようになった。
 確かに東蝦夷地へきたケースは少なくかつ時代としては遅い。そのわけはニシンからイワシ魚粕という商品へのうごきがあったようである。
 
 米屋がコンブやニシン粕をクスリ場所で渡すという条件をだしていた。米屋が商品を箱館まで運ぶとき手持ちの船で輸送していたから、漁場で直接渡すとき積みとりにきた船は買い積み船=北前船かとおもう。

(北前船の時代背景)
 (宝暦期は)また木綿生産のうえでは工場制手工業(マニファクチュア)にきりかわるときでもある。
 庶民に広くゆきわたる木綿の需要。(木綿)生産を拡大するための工場制手工業の展開。農村の綿花の増産。
 当たり前のように魚肥のもちいられることがいっそう多くなる。

 蝦夷地のニシンやイワシだけでなくマスも魚肥にかえられた。北前船で輸送のパイプがふとくなった。
 一方、需要にあわせたコンブや魚肥の生産のため、漁場では多くの労働者を必要とする。アイヌの自然採集経済は否定され、自然コタンはこわされて生産年齢層のアイヌは和人の漁場に集められるようになる。
 北前船の時代の到来は蝦夷地の産業や社会の構造をかえてしまうことになった。あるいはこの点が松浦武四郎によって鋭く指摘されるところでもある。北前船の発展は蝦夷地のコンブや魚肥の需要にみあったものである。

 神社に奉納された絵馬。「大漁豊漁」「海上安全」の祈願奉納も多いが、海難帰還を報謝し、その荒涛高波を「神々に奉告」と評される絵馬が加賀市橋立に伝承する。
 納沙布岬をかわす、宗谷岬をかわす、まして知床岬を風帆船がかわすのは、危険を伴うことであった、か。
 「奥場所」「奥蝦夷地」と呼ばれる場所が、宗谷・網走・斜里・国後・根室に存在。
 その一円を「柏屋 藤野喜兵衛家」が請け負う構図。その意味を慎重に読み解いておきたい。
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商都・小樽経済の潜在能力 樺太を経済圏に往時の力量を具現 日銀金融資料館開館20年 230708

2023年07月12日 06時06分09秒 | 記録
 商都・小樽経済の潜在能力 樺太を経済圏に往時の力量を具現 日銀金融資料館開館20年 230708

 建築様式の価値、小樽の空気感を反映して、「日本のウォール街・小樽」の金融支店景観を決定づけた。
 そうした評になるのであろうか。北海道における日銀経営網は、明治26年に小樽(函館)派出所、出張所を経て、明治39年支店となった、と。
 日露戦争。樺太全島が日本領土となった。函館港の機能は樺太をにらむ小樽港、千島列島を擁する釧路港と二分する。

 北方圏における北海道島の地域区分を象徴するような、日銀経営網の本道波及を象徴する感がある。
 日銀小樽支店が廃止され、その機能を札幌支店に統合する案は、2000年10月のことであったとされる。時に9万筆に達する反対署名があった。そう記事は報じている。
 「ルネサンス様式」「屋根には五つのドーム」「フクロウをモチーフにしたレリーフや米国製のシャッター」。

 「本店、大阪支店につぐ規模」。その「随所に意匠を凝らし、華や里は一線を画した重厚感」。
 それらが「小樽随一の観光スポット」(記事)、「現在の小樽観光に貢献」(支店廃止当時の市長)につなげている。
 商都・小樽経済の潜在能力 樺太を経済圏に往時の力量を具現。その思いを強くする。
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居住地で限られた歴史資料群 それぞれ地域への求心力を高めるために230620

2023年07月10日 12時52分55秒 | 記録
ご質問、二項目。返答させていただきます。
 1.どうして地方史を手掛けることになったの?。
1)手元に<まとまった史料群>がみたらなかったためです。居住の自治体内に江戸時代に建立された寺院に、寺の活動を記録した公務日誌があり、北海道指定有形文化財として高い評価をうけていることを入学前から承知していました。
2)在学中は「オーソドックスな日本史を学べ」が指導教官の方針。「地方史(当時)や江戸時代」の調査は卒業後のテーマと決めていました。
3)1)の寺院はのち国指定史跡、同寺院に所在する記録類は国指定重要文化財となりました。私は今も指定史跡国泰寺跡整備の計画策定委員長を務めています。
 2.「城山モシリヤ学コミッション」って、なんですか。
1)本学周辺に国指定史跡モシリヤチャシ跡があります。この史跡と本学の間に釧路川の一支流であるサル・ウシ・ナイ川 sar-us-i-nai ヨシ・アル・沢の川 という、現在は地表に現れてない河川がありました。緑ケ岡三丁目の公園が源流部で本学グラウンドを流れ城山小学校東の道路を経て、釧路川に注いでいました。
2)そこで1)「サルウシナイ川」集水域を対象に、2)居住する住民が手掛けました。それは「3)域内の生活、生業、文化及び文化財」を、自分たちが中心となって「4)調査し、5)考察し、6)付加価値を創造し」の「理念」を提案し、活動をはじめていました。
3)そこで私はさらに「7)その形と意味を体系化のうえに、8)記録し、9)情報発信を積み重ねる」の三点を付け加えました。ほかに結語として「10)総合的、市民参加型の生涯学習体系」も加え、「城山商店街と大学・専門学校・生涯学習機関を含めた城山文教風致地区への求心力を高める」活動としています。

居住地で限られた歴史資料群 それぞれ地域への求心力を高めるために230620
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幌内 節古籠 昆布森 チョロペツ川 舳提辺 嬰寄別 宿徳内 地嵐別 又飯時 伝承で継承地名<難読の漢字表記>

2023年07月09日 10時47分35秒 | 記録
 幌内 節古籠 昆布森 チョロペツ川 舳提辺 嬰寄別 宿徳内 地嵐別 又飯時 伝承で継承地名<難読の漢字表記>

 幌内 ほろない ポル・ウン・ナイ poru-un-nai 洞穴・ある・川 か。
 ⑦伏古 節古籠 ふしこ フシコ・コンプ・モイhushko- kombu-moi古い・コンプモイ
 ⑤昆布森 こんぶもり コンプ・モイ kombu-moi 昆布の・入江
 チョロペツ川 chi-oro-pet (おひょう楡の皮を)我ら・水に漬ける・川
 ⑤舳提辺 エトロンペ (不明 山田書にも選択なし)
 ④嬰寄別 あちょろぺつ アチ・オロ・ペツ achi-oro-pet その楡皮を・水に漬す・川
 ③宿徳内 シュクトウツ・ウシ・ナイ えぞねぎ・群生する・川
 ②地嵐別 ちあらしぺつ チャラセ・ペツ chase-pet (水が)チャラチャラ音たてる(滑り落ちる)・川
 ①又飯時 またいとき ワッカ・タ・エトク wakka-ta-etok 水を・汲む・みなもと
            (山田秀三著『北海道の地名』 北海道新聞社 1984年)
             
 神を<怒らせぬ自然観>から<神を恐れぬ自然観>
 前田正名(薩摩官僚:阿寒一歩園財団「伐る森から観る森へ」論
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入境学 跡永賀 浦雲泊 十町瀬 来止臥 伝承で継承地名<難読の漢字表記> in 釧路郡釧路町海岸線難読地名群

2023年07月08日 17時50分35秒 | 記録
 入境学 跡永賀 浦雲泊 十町瀬 来止臥 伝承で継承地名<難読の漢字表記> in 釧路郡釧路町海岸線難読地名群

 ⑰分遣瀬 わかちゃらせ ワッカ・チャラセ wakka-charse 水が・ちゃらちゃら(崖を滑り落ちる)
 ⑬冬窓床 ぷゆま・初無敵 そんてき 入境学 にこまない 賤向夫 せきねっぷ 分遣瀬 わかちゃらせ
 ⑫跡永賀 あとえか アトエ・カ atui-ka 海の・上 atui-okake 海の・跡
 ⑩浦雲泊 ぽんとまり ポン・トマリ pon-to-mar 小さい・泊地
 ⑨十町瀬 とまちせ トマ・チエ・ヌプtoma-chi-e-nupえんごさくを・我ら・食う・野
 ⑧来止臥 きとうし キト・ウシ kit-ush-i 行者にんにく・群生する・処

 神を<怒らせぬ自然観>から<神を恐れぬ自然観>
 前田正名(薩摩官僚:阿寒一歩園財団)「伐る森から観る森へ」論
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賤夫向 分遣瀬 老者舞 知方学 去来牛 尻羽岬 別尺泊 釧路郡釧路町海岸線の難読地名群

2023年07月07日 09時03分54秒 | 記録
賤夫向 分遣瀬 老者舞 知方学 去来牛 尻羽岬 別尺泊 釧路郡釧路町海岸線の難読地名群。

 単体ではなく「群」となった、こと。そこに哲学が込められているのかも知れないが。
 そこを「伝承で継承地名<難読の漢字表記>」→「川&本・支流の生業・生活・文化を<海洋開発>」に転換。
 そう読んでみることにした。最初の9地点。

 25茶々古丹 ちゃちゃこたん (山田書に選択なし) チャチャ・コタン chacha-kotan 親爺・村。
 24重蘭窮 ちぷらんけうし チッ・ランケ・ウシ chip-ranke-usi 舟を・下す・処
 仙鳳趾 せんぽうし チェッ・ポプ・ウシ・イ chep-pop-ush-i 魚が・跳ねる・いつも・する処
 23別太 ぺつふと ペツ・プトウ
 22古番屋川 元仙鳳趾 旧名:ル・トウラシ・ペツru-turashi-pet道が・登っている・川
 21別尺泊 (山田書に選択なし)
 ⑳尻羽岬 しれはみさき シリ・パ 地、山の頭=岬の意味
 ⑲去来牛 さるきうし サルキ・ウシ sarki-ush-i 芦・群生する・沢 処
知方学 ちほまない チェッ・オマ・ナイ 魚・いる・沢
 ⑱老者舞 おしゃまっぷ オ・イチャン・オマ・プ 川尻に・鮭鱒産卵場・ある・もの・川?。
 ⑰分遣瀬 わかちゃらせ ワッカ・チャラセ wakka-charse 水が・ちゃらちゃら(崖を滑り落ちる)
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隔地間交易&地域分業と東蝦夷地 江戸期、農業経済を支えた基盤・構造

2023年07月05日 13時50分13秒 | 記録
 隔地間交易&地域分業と東蝦夷地 江戸期、農業経済を支えた基盤・構造

 17世紀、日本の人口は1000万人から3000万人に増進する。支えたモノは。
 著しい増田、新田開発の結果であるが、他方で木綿、染料、和紙などの原材料となる商品作物=特殊林産物が生産体制に入る。
 18世紀初頭から松前・蝦夷地産品を本州経済と結節するため近江系商人が日本海交易に進出する。

 19世紀。水田が頭打ちになり、幕藩体制は財政危機に直面する。商品作物=特殊林産物を特産品化する畿内諸藩も出現。
 魚肥需要はピークに及び、その供給範囲は蝦夷地の日本海岸から太平洋岸に拡大してきた。
 その基盤と構造を図式化してみるに、掲載図を描いてみた。

 本州経済を支える商品作物=特殊林産物の生産地と、補完する肥料生産地は、いわば<貨幣の裏と表>で同時進行。
 畿内・江戸=蝦夷地と二つの地点を結節する風帆力推進の輸送手段が、存在して成立する<経済の枠組み>が仕上がった。
 江戸時代は太陽・水・土・植物ですべてを賄う<リサイクル社会>。移動手段の動力も風を帆にうけ推進力とする弁財型大型舟。

 日本国土を<畿内ー江戸><畿内ー日本海ー蝦夷地><江戸ー蝦夷地>の路線網を風帆舟で結ぶ隔地間交易のシステム。
 蝦夷地を本邦領土に明確に位置付け、本州経済の消費地市場にも変えた。
 風帆推進の交通手段。少しずつ変化も。22年11月6日ANA=全日本航空は定期路線の一部にバイオ燃料による運航便を設ける、と。

 地球に負荷をかけず。そこに江戸の哲学が再生されようとしている。そうではないか。
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一樹に一柱の神宿る 前田一歩園財団「伐る森から観る森」論の根底230704

2023年07月04日 08時58分35秒 | 放送
 一樹に一柱の神宿る 前田一歩園財団「伐る森から観る森」論の根底230704

  23年7月4日放送「巨樹の国にっぽん(2)「受け継がれる祈り」。
応神天皇の「生誕地=宇美の里」「神功皇后が船で海を進む途中、深江の浜で船を繋いだ=船繋石」。 https://www.town.umi.lg.jp/site/spot/kanko158.html
 <地域の名所>となり、その伝承を受け継ぐ<巨樹>が紹介される。

 初めに<神宿る>。それぞれの巨樹に神功皇后、応神天皇、八幡宮の神徳が籠る。
 それは後の世に生み出された<ストーリー>かも知れぬが、永きにわたり<人の手>を加えさせなかった。
 樹齢2000年。取り巻く人々の思いも2000年。

 「神宿る」。 石見銀山は緑がしたたる世界自然遺産。
 同時期に開削のはじまった「現在はボリビアに含まれている」=ポトシ銀山は世界文化遺産。
 そこには「銀の採掘に多くの先住民が強制的に集められた結果、黒人奴隷と合わせて約800万人が犠牲になったといわれ」の伝承が残る。

 景観&少数民族に多くの犠牲をともなった。その差異に「神宿る、神を怒らせない」。

 阿寒湖畔に展開。「伐る森から観る森」の論。
 その根底には、「一樹に一柱の神宿る」の<想い&願い>が、ある時期から根付いたのかも。
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大木司稲荷大神 春採湖津波伝説通過路を見下ろす230625

2023年07月03日 10時07分24秒 | 記録
 大木司稲荷大神 釧路市住吉二丁目13番35号が該当地所か。

ここは「春採湖津波伝説」の津波通過地域に面している。
釧路市道「富士見緑ケ岡通」の凹地点を津波が通過。
津波は太平洋ー春採湖ー凹地ーモシリヤー釧路川に抜けた、と。

アイヌ民族に伝承する説話に含まれた一節。佐藤直太郎氏が『釧路叢書』に書き残している。
去る6月25日、現地を訪問して見聞した拝殿の規模に驚き。1,973年に訪問してえた感触とは大違い。
祭事はいつか。ほかにはあまり情報がないが。

大木司稲荷大神 春採湖津波伝説通過路を見下ろす230625
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拝啓 IoT様 システムが行き渡り仕事密度が高まって 結果<人間らしい生き方>可能ですか?230701

2023年07月01日 09時20分01秒 | 記録
拝啓 IoT様 システムが行き渡り仕事密度が高まって 結果<人間らしい生き方>可能ですか?230701

IoT(Internet of Things) | IoT用語辞典 | キーエンス https://www.keyence.co.jp>general>iot-glossary>iot
IoT(Internet of Things) よみ:あいおーてぃー(いんたーねっと・おぶ・しんぐす)
「IoT」とは、Internet of Thingsの略で、日本語では「モノのインターネット」を意味します。
(意味)
様々なモノがインターネットに繋がる仕組みのこと。
冷蔵庫やエアコンなどの家電製品やテレビや車などのモノがインターネットに接続されることにより、私たちの生活が便利になっていきます
(事例)
インターネットに接続されていなかった様々なモノ(センサー機器、駆動装置(アクチュエーター)、住宅・建物、車、家電製品、電子機器など)が、ネットワークを通じてサーバーやクラウドサービスに接続され、相互に情報交換をする仕組み。
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