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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

戦後保守政治の分岐点か 寺島実郎「石橋湛山は変わりゆく世界秩序に必死になって食らいついた」231113

2023年11月14日 09時28分35秒 | 季節
 「イシバシタンザンくーん ◆点、キシノブスケくーん■点。この結果、本院は・・・・・」。
石橋湛山内閣の誕生の瞬間を、nhk第一放送のラジオ番組で聴いていた。
それは昭和31年12月14日のことであったか。どうもそれは自民党総裁選挙の結果であって、首班指名のそれとは違うらしいが、今も思い出す。

 当時、中学校には社会科の担当で佐京寛髄という先生がおられて、生徒に一言、申された。
 「石橋さんは、ほかの政治家とは違う、かならず立派な仕事をしてくれる」。
 石橋さんそのころ、立正大学学長も務めていたように記憶する。「母校の先生を、そう持ち上げるか」。漠然とその自分は思いをはせていた。

 (ここまでネット情報では、以下の記載がヒットした)
 https://www.ndl.go.jp/modern/cha6/images/h2_2.gif 国立国会図書館
 「6-9 石橋内閣」 石橋内閣 『昭和 二万日の全記録』第11巻所収
 昭和31(1956)年12月14日、鳩山の後継総裁を決める自民党総裁選挙で決選投票の末、岸信介を破り首相に就任した石橋湛山は、翌年1月、福祉国家の建設、世界平和の確立など「わが五つの誓い」を発表した。
 掲出資料は全国遊説のための自筆原稿で、自主独立の平和外交、国民生活の安定と向上などとともに、民主主義の根本は個性の尊重であるという石橋の自由主義的政治信念が表明されている。

 石橋首相は激しい政局を乗り切っているとき、病魔に倒れた。岸信介氏や石井光次郎氏との総裁選挙を制したのちのことであった。
 2月25日に内閣総辞職。政権は短命であった。年譜を読むと、1973年まで健在であった。辞職後、16年は健在であったことになる。意外でもあった。
 本年は没後50周年になるという。

 寺島実郎「石橋湛山は変わりゆく世界秩序に必死になって食らいついた」(東洋経済新報 11/13(月) 5:11配信)を読んだ。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/e26b569212569434eb9c24795fccd75dc23546f9
 実に意味合いが深い。戦後保守政治の岐路であったかも知れない。
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高い意欲 免疫機能維持 メンタルケア&意見発信 老化予防三カ条231106『釧路新聞』

2023年11月13日 03時44分07秒 | 書評
 アジアは世界の成長センター。そのように申すそうで。
 放送大学。「SDGs下のアジア産業論(’23)」の6th=「第6回 アジア経済の現状と課題」を聴いたようで。
 授業主題は次のようになっていた。

 「国民経済計算の基礎となる議論する」
 「それを基に、アジア各国の国民経済計算、貿易、金融などを含むマクロ経済の比較分析を行い、アジアの現状と課題を明らかにし、将来を予測する」
 「アジア諸国の課題として、高齢化、所得格差、人口ボーナスの減少などを説明し、課題を克服する経済政策を探る」

 そこで「高齢化社会」「高齢社会」「超高齢社会」の説明。そして、「アジアは世界の成長センター」で、核が日本、中国、そしてASEANに移行、と。
 その日本でこれから必要、不可欠なこと。
 精神科医の和田茂樹氏の講演が、市内であった。釧路市内を中心に配布する紙面の一面に掲載。

 「50歳台から意欲の低下から心身の衰えが始まり、70台で体が動かなくなる事態に陥る」
 「意欲の老化を予防することが一番大事」と、ここは「老化予防 意欲がカギ」の<見出し>に結節。
 「継続した運動や勉強の重要性だけではなく、意見を発信すること、自身と異なる考え方の本を読む」など、挑戦や実験を続ける。高い意欲>をもって」

 「癌発生の原因は免疫機能を下げるストレス」「心の健康が体の健康に直結」「日本人は心のケアを軽視しすぎる」
 メンタルヘルスの重要性を指摘しつつ、「固定された価値観にとらわれることなく柔軟に生きる選択肢をすすめる」と。
 最後に、質疑に応えたとある。

 介護関係者が医療関係者との乖離=かいりなどの実情から介護現場の在り方を尋ねられ。
 「大事なのは、入所者の自己決定権があるかどうか」「医師よりも長期間現場を見ている皆さんの意見が反映されるべき」と回答。
 会場から自然と拍手が湧いた。(写真=『釧路新聞』 231106 一面 鉾之原頌吾記者)

 高い意欲 免疫機能維持 メンタルケア&意見発信 老化予防三カ条231106『釧路新聞』
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自身の「行き先」、それはわからない 高齢化・高齢・超高齢の社会231102

2023年11月12日 07時50分48秒 | 記録
 自身の「行き先」、それはわからない 高齢化・高齢・超高齢の社会231102

 自身はさまざま<地域コミュニティ>に所属し、構成員はそれぞれ同じ目的に向かって、共同歩調をとっている。
 少なくもそのツモリになり、心算・目算を立ててはいるも、その行く末は見通せず、終点も見据えたつもりになっていて、実にここもとない。
 そういうことではないか。

 ●高齢化社会=65歳以上の高齢者の割合が「人口の7%」を超えた社会(1956=昭和31年、国連の報告書で「(7%以上を)高齢化した(aged)人口」と呼んでいたことに由来)。
 ●高齢社会=65歳以上の高齢者の割合が「人口の14%」を超えた社会を「高齢社会」
(14%という数字は、高齢化社会の基準である高齢者割合7%を2倍にしたもの
 =千葉県「高齢化社会とはどういうことですか」 
 https://www.pref.chiba.lg.jp/kenshidou/faq/083.html)
 ●超高齢社会=65歳以上の高齢者の割合が「人口の21%」を超えた社会
(人口の21%とは、高齢化社会の基準である高齢者割合7%を3倍にした数字)
(日本では2010年には高齢化率23%を超え、超高齢社会を迎えた)。

 そもそもコミュニティを体現する<乗り物>が危うい。
 国も地方公共団体も累積する債務、悪化する財政危機に処方箋を見つけがたい。
 なかでも医療保険財政の赤字、年金財政の先細り。政権に信頼がないからひたすら豊かな者ほど課税逃れに脱税に走る。
 保健料金や年金掛け金の滞納が増え始め、「俺たちは年金を受け取れるのか」。

 政治は票を集めるために、公共財のバラまきをする。
 初めに増税をチラつかせながら、支持率低下をみるや「減税」を提案。主権者を「バカ」にするな。
 乗客も未来は不透明。

 いつまで自立して生きているのか。
 炊事、買い物、モノ移動の腕力・脚力、はては排泄処理。
 孤独になって耐えられるのか、介護施設に入所や入院治療も「満席」で、ママならず。

 遠い身内より、近くの他人。
 しかし、「核家族の快適さ」に憧れた家族形態のありようは、「地域家族」の未成熟を結果してはいましか。
 元気な<若い>人より、病身の<老いたる自身>が先に行く保証は<どこにも>ない!!。そうではないか。

 生きているうちに「有意味はこと」示したい。朽ちてなお、どうなるか。
 「焼いた骨でも なお痩せたいの 友思う」。そんな句が、今朝、紹介されていたが。
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明治初期の和船絵馬か 浜中町榊町神社法宝物700220

2023年11月11日 09時39分16秒 | 旅紀行
明治初期の和船絵馬か 浜中町榊町神社法宝物700220

出会った絵馬は20センチ×15センチで比較的小さい。
煤けているうえ壁に打ち付けられ、残念ながらこの絵馬の奉納者や奉納年月日を確認することができなかった。
船の帆は13反帆。石数にして200石から300石くらいか。

江戸時代後期に奉納されている和式の商い船。
 彩色板製で神社の創建年代から考察するに江戸末期とは考えにくいのだが。霧多布湾に入津した商船主が航海の無事に報謝するため奉納したものか。
 釧路・根室地方の神社で船絵馬に出会った初のケース。
 
 先行して寺島敏治編さん員が十勝・大津稲荷神社で1969年6月、杉浦嘉七奉納の絵馬を発見していた。
 釧路市ではその前もその後も、絵馬の尊竿はともかく和船絵馬の発見はない。
 浜中町内の三神社で新・旧5点の絵馬に出会った。

 どうして浜中町に集中しているのか。『北海道統計』などで入津の系統をたどることにより、その意味を考えてみたい。
 とりわけ「キイタップ 元禄」と記録された地域の、生業・生活・文化理解の端緒となるはず。
 厚岸港、根室港の中間に位置し、明治40年代初頭にはニシンブームに湧いた土地柄。

 船こそ交通・運輸の手段にして、生活の手立てであった。
 絵馬は霧多布湾の近世・近代を語る、シンボルなのだと考える。
 (市史編さん員 佐藤宥紹 『新釧路市史会報 第3巻題5号 通巻15号』 1970年3月25日)
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南大通七&八丁目、米町界わい=眞砂町50、米町一二三 佐賀県人武富・福富家の経営拠点231116

2023年11月09日 06時09分50秒 | 催事
再び『明治四二年七月電話帳』。「タ」「ク」「フ」「ヤ」の項目に8件の電話番号が掲載されている。
 「タ」=緑系
 一六一 武富善吉 眞砂町五〇 倉庫業
 二二四 武富善吉 眞砂町五〇 倉庫業
 「ネ」=黄系(原田家関係)
   六 根室銀行 眞砂町一〇〇
  四〇 根室銀行 眞砂町一〇〇
 「ク」=緑系
  一八 釧路銀行 眞砂町五〇
 「フ」=紫系
 一〇二 福富甚吉 米町一二三
 一〇三 福富甚吉 頓化二二
 「ヤ」=紫系
 二五〇 ヤイチ 福富商店 眞砂町三二

 南大通七&八丁目、米町界わい=眞砂町50、米町一二三 佐賀県人武富・福富家の経営拠点231116
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南大通八丁目=眞砂町30、34、65番地 佐賀県人の経営拠点

2023年11月08日 10時48分44秒 | 記録
『明治四二年七月電話帳』 「ハ」の項目に三件の電話番号が掲載されている。
 四九 原田宗二郎 眞砂町35番地 
 五〇 原田宗二郎 眞砂町64番地
三三七 原田宗二郎 西幣舞四番地

『大正五年一月電話番号簿』にも三件。
 四九 原田宗二郎商店 西幣舞四四 眞砂町35番地 
 五〇 原田宗二郎住宅 眞砂町30番地

 南大通八丁目=眞砂町30、34、65番地 佐賀県人の経営拠点
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画像を入れ替えました 釧路運河&アセッチリ川 釧路右岸に開く二河口

2023年11月07日 10時16分32秒 | 旅紀行
 <span style="color:maroon;">画像を入れ替えました 釧路運河&アセッチリ川 釧路右岸に開く二河口

釧路駅から東釧路駅に向かう列車の窓から視野に入る二つの河口。
 釧路川鉄橋を渡った列車が、ソーラーパネルを過ぎたあたりで展開する景観。
 最近、なんどか通い、写真に収めることができた。

 釧路川右岸に流入する河口。釧路駅側に位置するのは「釧路運河」の取り付け口。
 釧路市民文化会館に至る水路の一部にあたる。
 治水工事で釧路川の新水路が開かれたことで、上、中流からの木材が釧路東港区外に集材する点を改善したかった。

 二つ目の河口。こちらはアセッチリ川。
 市街地の中途で地表から消えて伏流河川となる支流。
 河口近くに下水処理場が開設されている。

 釧路運河&アセッチリ川 釧路右岸に開く二河口231105
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釧路運河&アセッチリ川 釧路右岸に開く二河口231105

2023年11月05日 09時09分16秒 | 旅紀行
釧路駅から東釧路駅に向かう列車の窓から視野に入る二つの河口。
 釧路川鉄橋を渡った列車が、ソーラーパネルを過ぎたあたりで展開する景観。
 最近、なんどか通い、写真に収めることができた。

 釧路川右岸に流入する河口。釧路駅側に位置するのは「釧路運河」の取り付け口。
 釧路市民文化会館に至る水路の一部にあたる。
 治水工事で釧路川の新水路が開かれたことで、上、中流からの木材が釧路東港区外に集材する点を改善したかった。

 二つ目の河口。こちらはアセッチリ川。
 市街地の中途で地表から消えて伏流河川となる支流。
 河口近くに下水処理場が開設されている。

 釧路運河&アセッチリ川 釧路右岸に開く二河口231105<
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利益はあげねばならぬが、その副反応 231101「nhkおはようビズ リーダーが学ぶ社会課題 “水俣の教訓”」

2023年11月04日 09時30分05秒 | 放送
roon;"> 大手物流会社の選ばれた20~30歳代の社員の職場リーダー研修。
 企業の役割や社会的責任を考えようと、水俣病に向き合う。
 なぜ企業は過ちに向き合えなかったのか。(課題に直面した時)リーダーは何を心に留めて意思決定するべきか。

 利益を追求する企業が、被害にあった人々の声を拾い上げなかった
 企業とか組織の利益が目的化し、市民が犠牲になってしまった
 「企業で働いていると、目の前の起きたことに対して『何かすぐ策を打って』と考えるけれど」「(課題の)裏にあるものをちゃんと見据えたうえで、リーダーはそういうところを意識しながら周りを巻き込んで導いていくのが必要」。

 水俣。それを吉本哲郎著『地元学をはじめよう』で、若者とともに10年ほど考えてきた。
 リーダー研修での観点とは別に、「水俣の再生」。とりわけ「市民間に根強い<対立>の背景にあった<偏見・中傷・差別>を解消し、水俣の<経済・文化>を再生する」。
 自然災害、戦時空襲、世界に類例をみない蚕業公害。

 ほかにも<地域の課題>はある。
 域外の外部投資で発展した地域。資本移転の相次ぐこれまで。「これからも」を考えるに“水俣”は明確な示唆を内在している。
 利益はあげねばならぬが、その副反応 231101「nhkおはようビズ リーダーが学ぶ社会課題 “水俣の教訓”」
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自身と同環境で育つ、工業製品化せず、売る者の都合で栽培しない 地産地消の意味&意義231028―後―

2023年11月03日 05時04分05秒 | 記録
 自身と同環境で育つ、工業製品化せず、売る者の都合で栽培しない 地産地消の意味&意義231028―後―

 「地産地消の意味&意義」、その後編。
 前編では、「自身と同環境で育つ」とする点に焦点をあてて、考えた。
 でわ、「工業製品化せず」の枠組みを、どのように位置づけたら善いであろうか。

 「工業化」の対語、それは「何に?」であろうか。「手づくり製品」「プロのワザ」「伝統的技術」「・・・・・・」。
 読者のなかに、「・・・・・・」を思いつく方、ご提案いただけると、幸い。
 今、思うこと。2020年6月、コロナ禍のさなかに、大阪のコーヒー焙煎メーカー経営者の方とお目にかかった。

 申すに「市中に出回る缶コーヒー洋やコンビニ店頭向け、また量販店で販売のコーヒーの焙煎は、「工業製品ですから」。
 「味の旨さの追求」「福岡で著名なコーヒー店の味」を追求し、「秋田の銘酒『八海山』の蔵元社長に吞んでもらったら、合格点をもらった」。
 この話に、納得した。専門珈琲店向けと工業製品用では、焙煎の仕方がまったく、違う。

 かく申す背景には、「(地産地消産品こそ)無農薬、有機栽培」の心くばりが期待できる。埼玉のさつまいも農家では、農地の半分を森林にあて、有機肥料を育てている。
 「農薬、化学肥料の投与はバクテリアを殺し、微生物の働きで豊かにされる<旨味>を殺してしまう」。そうした論もある。

 最後は「売る者の都合で栽培しない」。
 「売る者の都合」の対局には、「作るヒト」も、「消費するヒト」も共存、共生する地元産食材。この点を据えておく。
 「一本、●●円」の簡便さのために「一定規格におさまる野菜や魚」。それはある意味、気持ちが悪い。

 「<おでん>をつくり、全国のコンビニでうるため、一本から<何切れ>とれる長さと太さのダイコン」。それは気味が悪い。
 ちなみに<おでん>に活用できるダイコンは委託先農家の生産量の3割、残り7割は<切干大根>の原料と聞いた・・・・が。比率が逆転していることを期待したい。
 
 「売る者の都合で栽培しない」は、一の「自身と同環境で育つ」とあわせ、「旬 シュン」を楽しむとあわせ、長期保存の技で「地元産食材を愛用しよう」ではないか。
 「京野菜」。そうしたブランドが存在する。地域に「地元産食材ブランド」を構築したい。
 さらに重要、たいせつな点は「そのブランド性の意味と意義を、市民誰でも説明できる」。

 2023年10月28日。市内を中心に配布の「釧路新聞」。その一面に掲載の小記事。
 一面記事で、「地元食材をもっと家庭料理に」「釧路 地産地消普及団体が調理教室」の報道。
 その記事に思い入れて、一筆啓上。
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