お良しなさい日記♪

三浦半島からこんにちは!

豊島 由佳ちゃん、横浜大倉山でリサイタル♪

2017年01月05日 19時57分38秒 | 音楽のひろば

 いよいよ明日になったので、再UPしまーす

 

 来る2017年1月6日、午後1:30開場で、横浜市の大倉山記念館ホールにおいて、お良しが、彼女が子供のころ、祭囃子を教え、高校生ぐらいになるまで一緒に町内のお祭りに参加してくれていた、現在 声楽家の 豊島 由佳ちゃんの、リサイタルが開かれます。お良しも若かったけど、あの子供だった由佳ちゃんが、フランスへ留学し、お寿司屋さんで仕事しながらパリで声楽を磨き、今、帰国して、声楽の先生などしているようですが、リサイタル開催と聞いて、お良しと、職場の先輩たちで(秋に 三殿台遺跡へ連れて行ってくれた、S社長も行きます。また大倉山を案内してくれるって、はりきっていらっしゃいます。お良しはまたパシリです )、聴きに行ってきます

このブログをご覧のみなさんも、ご興味のあるお方は、いかがですか?詳細は、写真から見えてますよね?

チケットお問い合わせ mezzosoprano_concert@yahoo.co.jp

横浜市大倉山記念館  東急東横線、普通電車で、大倉山駅から

 

由佳ちゃんのお母さんより、積極的にブログ掲載の許可を得て、記事にしています


お良しのお正月2017 その2

2017年01月05日 18時52分18秒 | おでかけ旅がらす・三浦半島編

 はぁ~い

上の写真は、お良しが育った地域に鎮座まします『天照大神神社』で、巫女さんとしてお札やお守りを売っていた(売るって表現もなんだか場違いな気もしますが・・・)、お良しと一緒に、子供の頃から、この神社の祭礼で祭囃子をやってくれている、若い二人と一緒に、勇気ある・・・というか、おバカな度胸を発揮して真ん中に収まっているお良し

20代に入ったばかりの二人を、幼稚園・小学校のころから太鼓を教えました(教えるって言葉にも抵抗があるんだけど・・・、習いに来てくれた!と言うべきか)。

二人とも、上手なんですよ~ これからも、仕事の合間に、出来るときに( `・∀・´)ノヨロシク

天照大神神社は、背後に、先に記事を書いて紹介しました、浅間神社の奥の院を祀る、`三浦富士’ をひかえる、昔は`村の小山’ というような高いところにあります。

白い車の向こうは、すぐ長沢川で、お良しが子供の頃には、丸太の一本橋がかけられていて、あの三浦富士の下を通る大きな道路へ抜けられるようになっていました。

「おっとっとぉ」 とか言いながら、向こうへ行ったり戻ったり、足場の悪い丸太の上を遊び場にしていました。

127段の階段を上がります。お仕事上でお世話になっている Oさんご夫妻と出会い、一緒に上り始めますが、お良しがサクサクと上っていくのを見て、「馬力があるなぁ・・・」と、旦那さん。えーっ そんな・・・ふつうに頑張ってるんですけど・・・。やっぱり、70代の方から見ればすごい動きなのか・・・?でも、あとでいろいろお若い時のお話を伺うと、お二人とも、私なんかより、超健脚だったようで

ちょっとだけ上がったところに、馬頭観音様が昔からあり、お良しはいつもここでも合掌

127段上がってご到着 みなさまご苦労様でございます。

振り向くとこんな山の中。お良しが子供の頃は、うっそうとした木のトンネルの中の階段でしたが、一度、上の方を伐採し、お空が見えるようにしました。そして、古くからあった社殿を建て直したんですよ神社の建て替えなんて、見たいものでしたが、いつの間にやら完成してました。以前の古びた感じが好きでしたが、ピカピカで違和感があった新社殿も、25年ぐらい経ったでしょうか・・・、いい感じに木の板が灰色に変わってきて、貫禄が出てきていました。階段の木々も、枝がまた伸びて、お良しが夏休みに毎朝上り下りして脚を鍛えたこの階段の一番上に座ると海が見えていたのに、今はこのように、海なんて見えなくなっていました。

参道の両側には、灯篭がたくさん立っています。

天照大神神社の社殿です。

ここの幕は紫色ですね。写っている氏子の旦那さん、カメラに写りたいんですって!許可いただき済みですあっち向いてほしいなぁ・・・と、じーっとカメラを構えていたら、旦那さんも、じーっとカメラをにらんで(?)いましてね・・・。

ちゃんと手と口を清めた後、お参りし、甘酒をいただきました。もちろんノンアルコール 一緒に写っている`菜箸’ も、一人一本で!と、いただきました。

甘酒を担当していたのは、町内の役員さんで、お良しのことを子供の頃からご存知のおじさん。いきなり、後ろから「ほらっ」とか声をかけられたので、ビックリしちゃったお良し

一緒に上った Oさんご夫妻の旦那さんの方、「オレ、こっちがいいな」と、樽酒の方をご所望。お良し、ご夫妻の3人で、机の上に添えられていたタクアンをつまみに、一杯やるかー

このとき、ご夫妻から、いろいろなお話を伺い、年頭からお勉強になりました。新鮮な知識をいただきました

社殿を背にした風景はこんな感じです~。この神社が一番田舎にあるのに、人出は最も多かったです!次から次へと、ご家族が階段を上ってきていました。(ここはねぇ、横須賀で2番目に田舎だと思ってます)

裏からは、坂道で帰れるんですよ。お良しが子供の頃は、獣道みたいでしたが、車が上まで来れるようにしてありました。これはきっと、建て替えの時に拡張した道でしょうね。

向こうの方に見えている小山に、なんと、‘オオタカ’ が棲んでいるそうですっえー 三浦半島に、オオタカですかー 猛禽類は、アオバズク と トンビ ぐらいだと思っていたのに・・・ Oさんご夫妻は、野鳥の会に所属していらっしゃるそうで、教えてくださいました。たしかに、腰にはカメラではなくて、双眼鏡をぶら下げていらっしゃるなぁ・・・と、気づいてはいたのですが。奥さまも、道々、「この木の上に2羽いるわよ」などと教えてくれ、すぐさま2羽の小鳥が飛び去りました。

「災害は、忘れたころにやってくる」 などと、大声で、いろいろおしゃべりしっぱなしの、愉快な男の子と、そのご家族も一緒に、たくさんの人達と山を下り、みんなゲラゲラ笑った、楽しいお参りでした。

お良し、3件目の神社でした。こんな浮気な信心でいいんでしょうか?

帰ってくると、母がお昼ごはんの支度中。お雑煮のお餅を焼こうとしていますねー。

お良しが、神社へ行ってくる!と言ったとき、「あー!じゃあ、お賽銭あげてきてぇー。」と、200円出したんだけれど、お良しが、上げすぎだ、とケチなことを言ったので、150円持たされて行ってきたのです。

お正月2日目の、実家の食卓。主人は、前の晩、またしてもお酒におぼれてしまって、この朝も起きられず、お良し一人で、実家の両親にご挨拶にいったのでーす  サンシャイン号初走り

食後は、母が大好きな、「箱根駅伝」の、山登りをテレビ観戦。

     神奈川大学がんばれー

 二人とも、コタツでひっくり返って、父などは、うつらうつらしながら、青山学院大学の往路トップでゴールから、最終走者ゴールまで見届けました

母が、箱根の山登りを、感心して見ていたので、「筑波山に登って、三浦富士から下りてくる、っていうふうなのをやっているんだよ!」と言うと、「へえっ」と、驚いていました。

あぁ、そうだった、お良しが実家に着いた時、母は、年賀状を書こうとしていました。出さなかった人から5通も来てしまい(89歳でこんなに友達・姪っ子などからいただけるのは幸せでしょうよ)、私が新しい年賀はがきを持っていきまして、お良しが神社へ行っている間に書いてしまおう、お良しが帰るときにポストに入れてもらおう、と、急いで書いていました(笑)

父母の床の間の神棚には、いろんな神社仏閣のお札や、なんでだか様々なフィギュアや、書付、花瓶(これは結婚30年目の時にお良しが母へ贈ったもの)など、雑貨がごちゃごちゃおいてありまして、その中に、神様がお供えしてあります。毎月一日と十五日の朝には、ろうそくに明かりをともして、むにゃむにゃ 拝んでいる母です(大笑い)

先の、天照大神神社の境内も、早朝によくお掃除に行っていたのですよ。

「だから長生きさせてくれているのかもな。」と、母は言っています。

 

元日の夜は、毎年、NHKの「ニューイヤーコンサート」が好きで、よく見て聴いている母ですが、あれはウィーンからの生中継なのかな?とにかく、こんなことを言っていました。

「今年のニューイヤーコンサートは、去年より良かったなぁ 最後の、ドナウ川のナントカっていうの、良かったなぁ・・・」 (たぶん、『美しく青きドナウ』のことだと思う。本当に、ヨシフ・イヴァノヴィチ作曲の『ドナウ川のさざなみ』なのか・・・?) ヨハン・シュトラウスの曲はわかりやすいとはいえ、母がクラッシックを好んでいるのには、脱帽です

 

ここまでが、1月2日のお良しの神社詣ででした

3日も別なところへ行きました。その模様は、またこの次に