遊泳禁止になって久しいのに、このころはまだ泳いでもよかったんだなぁ!と、驚きをもって思い出す 野比海岸の風景です。そういえば、近所のおじいさんが家にやってきて「泳ぎを教えてあげるから海岸へ行こう!」と誘ってくださったこともありました。
1981年( 昭和56年 )の夏休みに、私が撮影した野比海岸です~。( 横須賀市野比 )
今と同じく、風景写真を撮ることに熱中していまして、カラフルなパラソルを見て 一生懸命に構図を考えカッコつけて写したことがわかる写真だと思いませんか?(笑)
ここに写っているみなさんは、今どうしていらっしゃるでしょう? 幸せにお暮しであってほしいです~(*´▽`*)
こちらは 1985年( 昭和60年 )の夏だと思います。
この時もカッコつけた写真を撮っていて、自分でも笑っちゃいます(#^.^#)
杭は私が立てたのではなく、元々立っていました。麦わら帽子は私のものです。
画面の右から左へ、風が強く吹いていることが わかっていただけますか?(#^.^#)
麦わら帽子の写真と同じ日です。空気感が一緒でしょう?
( 写真の下部に印字されている年月表示は、この大きさに焼き増しした時の年代です。撮影年ではありません )
こちらの漁船は、野比の白髭神社から参道をまっすぐに海岸に下りてきた辺りに陸揚げされてあったものです。
以上の風景が見られた野比海岸の現在の様子は こちらです
北の端、「千駄ヶ崎( せんだがさき )」から野比海岸の南方向を望む。
この真下の浜で、きれいで完璧な形の大きな貝殻を いっぱい拾ったりできたのですよ!
( 1972~1974年ごろの記憶 )
写真の右端 → その千駄ヶ崎を、野比海岸の真ん中あたりから遠望。
砂浜がない!
野比海岸の真ん中あたりは、今やこのように護岸工事を施された遊歩道になっています。
ここがあのパラソルを広げて楽しそうに海水浴の一日を過ごしていた場所とは!? ひゃぁ(>_<)
かなしい~ 遊歩道の存在が悲しいのではなく、「浜」がなくなったことが悲しいのです (ToT)
この写真を撮っている時、たまたまそばにいらした野比在住だという旦那さんに声をかけられました 昔は浜で町内会の ちょっとした行事とか、運動会なんかもできたもんだよねー。うちのおじいさんの時代の写真を見ると、松の木がダーッと生えているよ!行政センターに行ったら、昔の写真が飾ってあるんじゃないのかなぁ?
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私からの情報 野比「白髭神社」社務所 兼 町内会館に、浜で大々的に行事を執り行っているころの写真が 額縁に入っていくつか飾ってありますよ。えっ!?ここどこですか?この下の浜ですか、えーっ!? 天地がひっくり返るぐらい驚きました。
同じ場所から千駄ケ崎とは反対側を向いて撮った写真です( 2020年10月6日 )
野比海岸のすぐ南側は「長沢の海岸」です。
遠くに見えるのは「津久井浜」を経て「三浦海岸」方面です。
千駄ヶ崎のすぐ南側にある「横須賀老人ホーム」の下あたりで、昨年(2019年)の台風の高潮・大波で崩壊した野比海岸道路を補修工事中です。
看板の写真をわたしがカメラで記録してきました! ドローン画像だそうです。砂浜ギリギリの上空から見ると、このような悲惨な様相なのです。
昔からこの近くにお店を構える「東山崎屋」さんの大旦那さん・旦那さん、ご近所のおじ様たちの証言によると 野比の海岸は、今の三浦海岸のように遠くまで広い砂浜だった。遠浅の海だったんだよ。潮が引くと歩いて沖の方まで魚とかを採りに行けたんだ。さんざ行ったもんだよ。
ですから、この海岸線の道路のすぐ下まで海になってしまった今は、台風が来るともろに大きな波の壁が陸地にぶち当たってしまうようになっちゃった、というわけでしょう(´・ω・`)
かわってこちらは、おそらく北下浦行政センターの下の海岸だと記憶しています。野比海岸から続く「長沢の海岸」です。1981年( 昭和56年 )7月か8月の風景です。
( ★注★ 右下に写っている日付は、この古い写真自体をカメラで撮り込んだ時です、紛らわしくて ごめんなさい )
このころは、若山牧水の歌碑は海岸の道路のすぐ脇に「東屋」付きで立っていました。海岸道路から砂浜へ下りるのは、草が生えた砂の 単なる斜面でしたね。
長沢川の河口付近には確か大きな駐車場があって(県営だったかな?)、小中学校の遠足・修学旅行の大型観光バスがここから発着していました。漁師さんの網を干したり保管したりする広場もあり、ときどき漁師のオジサンたちが数人 談笑しながら網を繕っている横を通ったりしていた私です。なつかし過ぎて涙が出そうです~
私 砂浜が広かった頃は、町内会の行事で、火を起こして 焚火の上をグルグル回す「豚の丸焼き」をやって食べさせてくれました。あの時の 豚肉と焼きそばの味、転がっていた豚の鼻としっぽの不気味さが忘れられませーん。 食べた後、我ら子どもは 砂浜で 輪になってバレーボールを打ち合って遊びました~。
現在は、こちらもコンクリートで固められた遊歩道となっております・・・
でも、残っている浜でお正月の「おんべ焼き」を執り行っております!
はるかに見えている野比海岸まで、夜明けの空に5~6基のおんべが一斉に燃える光景は圧巻です。
↑ 浮き輪の男の子が座っていた砂浜があった辺りがここでした。
今もまったく砂浜が無いわけではありませんが、けっこう岩がボコボコ顔を出しているので足元が悪いです。釣りをしている方も多いですが、昭和の頃の 砂浜に刺して立てた釣竿がずらーっと並んでいた風景がなつかしいですね~(*´ω`) ← 何を釣っていたのかな???
長沢地区の子どもたちの恒例行事、浜の砂を使ってこしらえる「砂の芸術」の造形作業は 今も存続しております!
( 今年はコロナ禍で中止 )
「凧揚げ大会」も廃止されて久しいですが、今はときどき人間が飛んでますよね?(笑) 行政センター下の海岸で、黄色い何ていうのかな?空飛ぶ帆がヒラヒラ見えるときがあります。
長沢在住の物知り長老さんの証言 久里浜にはまだ砂浜があるでしょ。大きな平作川から土砂が流れてくるから浜ができるんだよ。野比・長沢の浜は、平作川からの砂の供給がストップしちゃったから新たに浜ができなくて、みーんな三浦海岸の方に流れていっちゃういっぽうだよ。
私でなくて、一緒に話を聞いていた地域の女性 じゃぁ、いずれ三浦海岸の砂浜も減退しちゃうのですか? 平作川だってすべて護岸工事しちゃってあるから、上流の山から土砂なんて流れてこないんじゃないのですか?久里浜海岸だって、これからどうなんでしょうね?
長老 いや、わかんない。そうなるかもしれないけど・・・。
砂浜が消失していきつつある原因・今後については、わたしは素人なので 特にこれ以上ブログで述べずに、ただただ子どもの頃を懐かしんで、ここに記録しておきます
いろいろお話を聞かせてくださった旦那さんたち、どうもありがとうございました(*^-^*)
オマケの写真
平成の初め頃、長沢と津久井の 境界辺りの海岸です。( おそらく1993~2000年の間 ・ネガが見つかれば判明するのですが・・・)
カモメがたむろしているので、あそこは津久井川の河口でしょうか? 違うかな?
太陽が西に傾いたころ、海がキラキラと光って、黄色っぽい光と おじいさんのシルエットがきれいだな~と思って撮った一枚です。
今回は、書いているうちに どんどんいろんなことを思い出してしまいました。たいへん長い文章をお読みいただき、ありがとうございました。
★ 次回は「YRP・横須賀リサーチパーク」ができる前の、もう見ることができない長沢奥地の様子を回顧します(*^-^*)/