お良しなさい日記♪

三浦半島からこんにちは!

三浦半島 北下浦地区、わたしが撮った昔の写真   ★ 「YRPができる前」その③  祝!完結編

2020年10月18日 20時00分23秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 

 おかげさまで とんとん拍子に物事が明白になりまして、YRPができる前に撮影した写真の人にお会いして、昔のお話を伺うことが叶いました。なんと なんと なななんと ご夫妻そろってご健在でいらして、三十数年ぶりに再会することができたのでアリマス 

 

 本日2020年10月18日㈰、今日が雨降りでなくてよかった 良かったということで、愛車・サンシャイン号にまたがって長沢の「峯(みね)」地区へ取材敢行しました~。個人情報保持や詐欺が横行するこのご時世なので、身分を証明するものを携帯していきました アッハッハ

 

 家から走り出してすぐに出会った「第一村人」(失礼f(^_^))。畑で農作業中のダンナさんに声をかけてお話をお聞きすると、そのお方はまさしく先日地元民の女性が教えてくださった「○○○○さんご本人」

 

○○○○さん、苦笑いしつつ → 「えへへ、なんだよぉ  ○○○○は俺だよぉ。おっかないこと聞くなよぉ

わたし → 「えーっ まさかご本人様にお会いするなんてー

○○○○さん → 「この後姿は俺じゃないような・・・??? ウチでは軽トラで野菜を売りに歩いたことはなかったから、この人たちは××××さんじゃないかなぁ?ウチの奥さんに似てるって言われてる人なんだよ」

 

( ○○○○ とか ×××× とかは、「屋号」で呼んでいます )

 

 ★そして、さらに走って 14日にお会いできた 私より10歳以上年下の女性の家へこんにちは! ← まったくご迷惑なお良し(;^ω^) すみません

 

そこで、その女性のお母様も一緒に写真を確認してくださいました → 「この人は××××さんよ、きっと。大柄な人です。今もご主人様とお二人ともいらっしゃいますよ!」

私 → 「えーっ じゃぁ、お会いすることができるかもしれないんですね わぁー、信じられない」

ここで、来客の地元のおかあさんも登場 → 「あぁ、ちょっとわからないけど、そうかもね」

 とにかく、ここまでお会いした皆一同、昔の面影写真にびっくり仰天 YRPができる前の懐かしい話に花が咲きっぱなしで、広々した山里の中だから「三蜜」にはならずに意気投合 という感じで歓談の時を過ごしました。お母様は地域のことにたいへんお詳しくて、とても参考になりました!「深井」は「ふけぇ」と発音したとか、その上にあった「杉釜の堰」は「すがま」と言うなど、非常に興味深く拝聴した私です(^-^)

 

その頃にはもうお昼時間になってしまったので、私はひとまず三浦富士が望める高台で手弁当を食べて休憩~。

 午後1時になるのを待って、いざ!教わった××××さんちにレッツゴー

 

 すると、なんとなんと 間違いなく やっとこさっとこ無事、お二人にお会いすることができました

 

 ご主人様 81歳、奥様 77歳。撮影当時の奥様は41歳ぐらいということで、ご本人もびっくりして笑っていました(*´▽`*) ご自分たちの写真に、とにかく「なんでこんな写真があるの」と青天の霹靂のご様子でした。どうもすみません f(^_^)

 

 ありがたいことにお家に上がらせてくださって、約1時間 いろーんなお話をお聞きすることができました。驚くことに、お二人とも私の両親のことをよく憶えていて・・・というか、旧知の間柄に近いぐらいの関係で、わたしはただただ驚くばかりでした。奥様の方は私のこともいろいろ憶えていて、私の若い頃の恥ずかしい行状も暴露されました 忘れてくださいましーーー!!!!!

 

 あ、そんなことはどうでもいいのでした

 

   写真&私の記憶 解決 

 

【 火燃しをしているこの写真 】 

 

・ むこうの山際に見えている切り株、あれは田んぼにかぶさって陰を作っていた「ウルシ」の木を切った跡で、この日それを燃やしているところでした。ご主人様はこの時のことをよく憶えていらっしゃるそうです~。

・この田んぼの名称は「大田( おおた )」、1枚が広めの田んぼだったそうです。まっすぐに植えられた苗は、手で植えたのだそうです。

・向かいの山は木の葉が落ちて堆積し、栄養豊富なふかふかの土壌でした。この田んぼとの境に細長い畑を作ったら、大きな大きなジャガイモなどができたということです。山をぐるっと巻いて上へ良質な土を採りに上がったりしたそうです。

 

【 こちらの堰からの水汲みの写真 】

 

・火燃しをしている田んぼのすぐ隣にあった貯水池

・作物がない冬枯れの時期に水汲みをしているということは、奥様の記憶をたどると「おとーさんが燃やしてる火を消すために水を用意していたんだと思う」ということです(*^-^*) なるほどー!♪

・バランスをとるのが難しかった この天秤棒で担ぐ桶。お家の裏にまだこの「ポリ桶バケツ」が置いてありました!ご主人さまもご自身でビックリ懐かしがっていらっしゃいました~(*´▽`*) 私も大喜び

・この場所に本来あった「深井堰」では、フェンスが無かった時代には、魚釣りに来る人が多かったとのこと。道も狭く、車は池に落っこちそうになるし、大きな農機具は搬入できなかったので、農作業が大変だった。フェンスの設置とともに道幅も広がり、助かったとのこと。

・この写真で、左側に わたしの母が立っている場所よりも高い所に田んぼが見えています。堰の水より高いので、この道の地下に送水パイプを通して堰から給水していたということです。

・堰 自体の水はどこから溜めていたかというと、火燃しをしている写真の前に見えている山からです。地域の皆で協力して送水パイプを引いたとのこと。大変な作業であったらしいです。

 しかし、山から流れてきてすぐの水はとても冷たかったので、そのまま田に入れても稲が育たない。なので、田んぼの脇に土を盛った土手を造って 一旦そこへ水を溜め、お日様の熱で温めてから田んぼに入れた、というのです。お米を作るというのは大変な手間がかかるんだなぁ!と、みなさんのご苦労に敬意を感じた私です。

 

 その 水を生み出していた山は「大塚山( おおつかやま )」という、なんと当時標高130m以上! 山の際に沿って滝も存在したほどの水脈があったというのです! 一部は隣接する粟田の方向へ流れていたので、以前 わたしが野比の酒屋さん「東山崎屋」さんの大旦那さん(現在90歳近く)から話を伺った→「粟田道は泥道で車のタイヤがとられて大変だった」という地盤も納得です。

 

××××さんのご主人いわく → 「野比川の源流というわけです!」

 

・前々回の記事で「母の頭の位置の向こうの草むら上にお花畑があった」と書きました。奥様の話では「荒れたままにしちゃった普通の野菜畑」だったということです(*^^*)

 

古い地図をご覧ください 

 青い字で書いた「水の流れ」にも沿って、田んぼがあったのだそうです。画像がわかりにくいですが、この地図(昭和59年版)にも点線で田んぼが記されています。

 以前のこの堰の水門を開けると、現在の「しらとり園」がある辺りまで 一気に田んぼの水を供給できたということです!

 

【 古い地図 解説 】

・左上にある堰は、現在の「YRP 水辺の公園」付近。「杉釜」と書いて「すがま」と言う、杉釜堰です。ウナギも生息していたんだとか。捕まえて食したそうです(^з^)-☆ これを一部潰して使えなくなったため、代わりにYRPテニスコート下の「長沢の入地区」に新しく堰を造った。

・右端の赤い丸で示した「四ツ田稲荷」は、なんと移動せずに同じ場所にあるという驚きの新事実です! 私の10歳以上年下の女性のお母様も、○○○○さんも、みなさんが「昔と同じ場所です」と言っています。

 

・「山みち」と黄色い字で書いてあるのは、前回の記事に載せた山を突っ切る山道です ↓

 ご主人様いわく → 「深井堰の横から入る道で、四ッ田集落へ行けたんだよ」ということです。まさに大当たり!私が名付けた「フクロウでも棲んでいそうなうろがある大きな木がある場所」へ出られる道です。

 

 なので! 結果はこういうことになりました!

 昔の長沢の山が・・・

 こういう感じに・・・↓

 ★ あくまでも だいたいの感じです ★

赤い丸 四ツ田稲荷

青い所 NECさんのビル

緑色 現在も畑( ちなみに、記事中に登場する○○○○さんの所有ですって )

 

NECさんの前を大規模道路が走っているわけですが、もともとの「深井堰」を埋めて、現在の所に造ったのだそうです。

 あの「現在のお稲さま」というのは、昔からあそこだったということ。

 私の記憶の中の以前の場所 というのは、うそっぱちでした ごめんなさーい

 

 

 ★それで、私の母が写っているこの田んぼは、とても良質な田んぼだったということです 

 右側に見えている草っぱらは、車が入れる畝で、この右側にも田んぼがあったそうです。わたしが「ガマの穂を見た」というのはそっちのほうであり、この一帯はすべて現在の「深井堰」になっているのだそうです ↓

 

 現在のYRP水辺の公園付近にある貯水池には、下流で潰された「深井堰」や田んぼ、水脈にあった泥を移したんだそうです。それは水生の動植物たちを移動させるためでもあったというお話でした。

( タヌキは住宅地にさまよい出てきたりしましたがネ )

 

  今回、お話を伺わせていただきました皆さまに感謝申し上げます。

 

 私はよく母から「良いことがあっても調子に乗るんじゃないぞ」と言われていましたので、なるべく謙虚にふるまったつもりでしたが、みなさん話疲れされたと推察します。突然お邪魔しまして申し訳ありませんでした。親切にしていただき、本当にありがとうございました。

 

 ☆ 次回の記事は今度こそ「昔の三浦富士 春夏秋冬」へ続きます ☆