Hei!(「ヘイ」って読んで「やあ」って意味)~義務教育世界一の秘密

義務教育世界一の国の教師養成の実態を探る旅。フィンランドの魅力もリポート!その他,教育のこと気にとめた風景など徒然に。

古典ではあるが・・・③

2006年06月07日 | Weblog
・・・今改めて,斎藤喜博氏の著作から。第3弾。
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 自己表現のできる人たちは,とうぜん創造的な教育実践ができる。渋沢さんや出月さんは図画教育をひらいていった。それは仲間の先生にも,全校の子どもにも影響していった。出月さんの指導した絵には,子どもの家庭生活や労働を材料にしたものが多く出てきた。子どもたちが自分の生活をみつめ,そこにある喜びやかなしみを,しみじみとリアルに表現するようになってきた。出月さんは図画と綴り方とを結びつけ,その両方から指導していったのだった。大きなボール紙に,布をはりつけてつくった絵なども,豊かな動きのあるものだった。

 学校全体の絵がよくなった。これは渋沢さんや出月さんがきりひらいた仕事があることと,各学級の先生が,それぞれ独自の学級づくりをやったということに原因があるのだった。ある美術教育家が「島小の絵はどの学級のもうまい。それも全児童の作品をみないとおもしろ味のわからない絵だ」といっていたが,全児童がうまいということ,どの学級の絵も,どの子どもの絵も,個性があり特徴があるということは,この学校の教育の特色であり強味だと私はいつも思っていた。

 泉さんの一年生の学級には,学校へはいってから,一度も口をきかないという男の子がいた。泉さんは,その子どもをないしょ話という作業で口をきかせるようにした。泉さんは学級のみんなの前で,「マサシさん,ないしょ話しょうね」といってふたりだけで話をする。「マサシさんは先生がすき?」「すきならいっしょに話しましょうね」こんな調子でないしょ話をしているうちに,だんだんとその子が口をきくようになった。そうすると泉さんは全体の子どもに「マサシさんは,もうナイショバナシしなくてもよいのです」といったのだった。

 井田美智子さんは,まだ若い先生で,はずかしがり屋だったが,運動会のとき,ひとりの子どもが欠席したので五年生の子どもといっしょに出ていってダンスをした。井田さんが,まちがっては,にこにこしているので,子どもたちも楽しそうにおどった。井田さんのまちがい方も,子どもたちの楽しそうな,のびのびとしたおどり方も,みていて気持のよいものだった。

 このときの運動会は,子どもたちに計画を立てさせ,その日の進行も子どもたちにさせた。開会も閉会も呼びかけと合唱でやるようにした。徒競走もいっさいやめてしまった。

 その運動会の反省会を母親たちとしていたとき「子どもがなごやかで,のびのびとしていてよかった」というのと「走りっこがなかったので,みていてつまらなかった」という二つの意見が親たちから出た。私は「運動会だから走りっこがあったほうがよいですね」といった。すると先生たちは無雑作に「走りっこがあるので運動会がいやだという子が,今でもまだ,どの学級にもひとりやふたりはいるのです。今年も,走りっこがなくてよかった,といった子どもがどの学級にもいたのです。私たちはそういう子どもがひとりでもいるうちは走りっこをさせたくないのです。努力して早くよい学級にして,誰でも楽しく走りっこのできる運動会にしたいと思っているのです」といった。

 私はそれをきいて,なるほどと思ったのだが,走りっこをいやがる子が,ひとりもいなくなるためには,びりになっても恥ずかしくないという雰囲気が学級や学校全体の中にできていなければならない。また,びりになるような子どもの心のなかにも,全力をあげて走ることの楽しさ,びりになっても誰も笑わないのだ,みんな自分を応援してくれているのだという,安心感とか自信とかいうものがなければならない。そういう考え方や人間関係がお互いの間につくられていなければならない。先生たちはそういうことを考えているのだった。

(「創造する先生たち 3.よい実践をする先生たち」『学校づくりの記』,斎藤喜博全集第5巻,国土社,1970年,263-265頁より)
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ここにでてくる全ての先生が,教職という専門職に誇りを持っていることがよくわかるだろう。専門職であり続けるために日々創造的に学んでいる。子どもたちが強制によらず自らの意志で学び高まる姿,そのような自分自身に誇りを持ち学びの友を尊重する姿は,教師のこのような姿によって生み出されるのだ。
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