Hei!(「ヘイ」って読んで「やあ」って意味)~義務教育世界一の秘密

義務教育世界一の国の教師養成の実態を探る旅。フィンランドの魅力もリポート!その他,教育のこと気にとめた風景など徒然に。

よい教師の条件①

2006年06月17日 | Weblog
斎藤喜博氏は,よい教師の条件として三つを挙げている。何だと思われるだろうか。今日はその一つ目。
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実は,「頭のよい先生」である。原著が今見つからないが,次のような内容を述べている(はずだ)。原著がはっきりしたら,後ほど正確な文章を載せることにしよう。
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■頭のよい先生■
 頭の悪い先生は,理解力がのろくて因業で,自分の頭の範囲だけに頑固に閉じこもってしまい,他から入ってくるものをはねかえしてしまうことが多い。こうした頭の悪さというものは,その人自身が持つ能力にもよるのだが,何より勉強していないことや本を読んでいないこと,さらに実践における自覚と謙虚さを持っていないことに原因があることが多い。
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斎藤氏によれば,何より大切な条件は,頭のよい先生である。このように指摘されれば,小生自身,まさに身の置き所がないというか,穴があったら入りたい気持ちになりそうである・・・。しかしやはり,小・中・高教員の経験者として同じように思ってきたし,また,現在大学で教科教育で教員養成を担当し小・中・高の教育現場を観察する者として全く同感である。

頭がよいとは,もちろん自分が教える教科や子どもに関する専門知識が豊かで技能が高いということも含む。しかし,それだけではない。現代的に読み換えれば,情報処理能力や情報収集能力が高いといった側面を強調した方がよいかもしれないと思っている。教育現場における諸問題を発見し,最も適切な処理方法を見つけたり考え出したりすることができるといった,教育現場における判断力の高さである。

例えば,学習を進めるうちに明らかになる,あるいは生徒の実態から予想される様々なつまづきが何であり,どこのその原因があり,その解決手段が何であり,解決のタイミングはいつであるかを的確に判断することのできる力である。

また逆に,学習を通して生徒の優れた点を見抜き,それをさらに伸ばすためにはどのようなことを課題とすればよいかを判断することのできる力である。

教員が取り扱う情報とは学習だけではない。教室で起こっている,生徒同士の人間関係などの様々なトラブルを,表情や行動,言葉の端々から読み取ることのできる力もこの頭のよさによって決まってくると言っていいだろう。教室で起こっていることを的確に把握・判断するアンテナが敏感な教師は教室で起こっていることに素早く対処できるであろうし,また逆に鈍感な教師であれば,教室の中で問題が起こってもそれらに気付かず,教師にとっては存在しないも同様になってしまうだろう。

斎藤氏が指摘するように,こういった頭のよさは,何より勉強や読書,実践における自覚と謙虚さによってかなりの部分が改善される。これこそが我々凡人教師の救いなのだ。この事実を忘れることなく,情報を柔軟に採り入れられる頭と心を持ち続けたい。
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