斎藤喜博氏は,よい教師の条件として三つを挙げている。今日はその二つ目。それは「育ちのよい先生」である。原著をふまえた正確な文章は後日。
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②育ちのよい先生
育ちがよいということは,別に家が金持ちであるとか,名門の子女だとかいうことを言っているわけではない。親に大切に大切に育てられてきたという意味だ。温かくのびのびと育てられた人たちは,みな素直な温かい心を持っており,また,まともにものを見ない心とか,ひねくれた心とか,意地悪な心とかを持っていない。
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何という差別的な考えかと,怒り憮然とする方々も多かろう。一般論とは言え,「育ちのよい」という言葉だけを見れば確かにそうで,反論の余地もなさそうである。昨日アップした頭がよいこともそうだが,育ちがよいこと,これも普通に考えると個人のレベルではどうにもすることが出来ないことのように思える。
しかし一方で,多くの教師を過去に見てきた者,現在も見ている者として,なるほどと思わされずにはいられない。教師は子どもを取り巻く環境のうち,保護者と並んで最大級の影響力を持つ。対象の子どもたちの年齢が低ければ低いほどその影響力は大きい。だから,教師がどのような心を持っているかは大問題である。
冷たい,萎縮した,意地悪な,ひねくれた,曲がった・・・これらの言葉群で表されるような心を持った教師であれば,子どもたちもそのように育つに違いない。というより,むしろあの生気に満ちた太陽のような子どもたちは,このような教師には寄りつきたくもないだろう。
逆に,温かい,のびのび,寛容,素直,まっすぐ,真理を大切にする・・・このような言葉群で表されるような心を持っている教師であれば,子どもたちもそのように育つに違いない。教師の周りは,笑顔に満ちた子どもたちであふれることになるだろう。
育ち。この語が多くの誤解を生む可能性はあるが,家に資産があるとか政財界につながりがあるとか有名人を輩出しているとかいうのではないことは改めて確認しておこう。金持ちで大きな家に住んでいても育ちの悪い者はいるし,逆に,家が貧乏で小さな家に住んでいても育ちのよい者はいるのだ。その上で周りを見回すと,手塩にかけて温かく育てられてきた者,ていねいな人の関わりを受けてきた者に多く備わる特別の才があることは認めざるを得ない(例外はもちろんある)。
この育ちのよさという語で表された中身は,昨日アップした頭のよさと同様,本人次第で改善可能であることが救いである。自分の心の持ちように改めて目を向け,素直な心を持つように,温かい心を持つように,正しいことを正しいこととするように,美しいものを美しいと言うように,世の中のあらゆる事を正視するように・・・こんなことを心に留めて子どもに向き合いたいものだ。
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②育ちのよい先生
育ちがよいということは,別に家が金持ちであるとか,名門の子女だとかいうことを言っているわけではない。親に大切に大切に育てられてきたという意味だ。温かくのびのびと育てられた人たちは,みな素直な温かい心を持っており,また,まともにものを見ない心とか,ひねくれた心とか,意地悪な心とかを持っていない。
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何という差別的な考えかと,怒り憮然とする方々も多かろう。一般論とは言え,「育ちのよい」という言葉だけを見れば確かにそうで,反論の余地もなさそうである。昨日アップした頭がよいこともそうだが,育ちがよいこと,これも普通に考えると個人のレベルではどうにもすることが出来ないことのように思える。
しかし一方で,多くの教師を過去に見てきた者,現在も見ている者として,なるほどと思わされずにはいられない。教師は子どもを取り巻く環境のうち,保護者と並んで最大級の影響力を持つ。対象の子どもたちの年齢が低ければ低いほどその影響力は大きい。だから,教師がどのような心を持っているかは大問題である。
冷たい,萎縮した,意地悪な,ひねくれた,曲がった・・・これらの言葉群で表されるような心を持った教師であれば,子どもたちもそのように育つに違いない。というより,むしろあの生気に満ちた太陽のような子どもたちは,このような教師には寄りつきたくもないだろう。
逆に,温かい,のびのび,寛容,素直,まっすぐ,真理を大切にする・・・このような言葉群で表されるような心を持っている教師であれば,子どもたちもそのように育つに違いない。教師の周りは,笑顔に満ちた子どもたちであふれることになるだろう。
育ち。この語が多くの誤解を生む可能性はあるが,家に資産があるとか政財界につながりがあるとか有名人を輩出しているとかいうのではないことは改めて確認しておこう。金持ちで大きな家に住んでいても育ちの悪い者はいるし,逆に,家が貧乏で小さな家に住んでいても育ちのよい者はいるのだ。その上で周りを見回すと,手塩にかけて温かく育てられてきた者,ていねいな人の関わりを受けてきた者に多く備わる特別の才があることは認めざるを得ない(例外はもちろんある)。
この育ちのよさという語で表された中身は,昨日アップした頭のよさと同様,本人次第で改善可能であることが救いである。自分の心の持ちように改めて目を向け,素直な心を持つように,温かい心を持つように,正しいことを正しいこととするように,美しいものを美しいと言うように,世の中のあらゆる事を正視するように・・・こんなことを心に留めて子どもに向き合いたいものだ。