現職である高校教師のまま博士課程前期の大学院生として学んでいる10年後輩のH氏と一緒に,とある会議に出席した。会議後のJR西条駅からJR広島駅までの汽車の中でのこと。
定刻に汽車がホームに滑り込み,扉が開いたところで中に入り込んだ。そう込んだ様子ではない。4人が向かい合うボックス席がいくつも空いている。適当な一つを選び座ろうとしたその時,H氏がいつものにこやかな表情のまま,私が座ろうとしていた2人掛けの席ではなく,その向かいの席を掌で指し示した。
「どうぞ,こちらに座って下さい。」
「ん?」
「いや,進行方向に向いて座った方が気持ちが悪くならずにいいでしょう。」
その時初めて気づいた。私は進行方向に背を向ける2人席の方に座ろうとしていたのだ。窓から見える風景は,当然自分から遠ざかる方向に流れていく。自動車に乗った時には特にそうだが,進行方向の逆に向いて座っていると,気持ちが悪くなることがある。H氏はそのことに即座に気付いて,私に気持ちの悪くならない方の席を薦めてくれたわけである。
私が指導教員の立場にあるからなのか,先輩だからなのか,はたまた年寄りであるからなのか,その直接の理由は定かでない。とにもかくにも,確かにH氏は配慮してくれたのである。配慮するためには,その前にその事実に気付くことが必要である。それも瞬時に。それを可能にした彼の敏感さに脱帽し,「まぁ,体は彼の方が頑丈そうだ。」と自分を納得させて,ありがたく心遣いを受けることにした。
H氏がとったさりげない行動は,彼の教員としてのアンテナの敏感さをも示している。H氏の,状況から情報を収集し判断する感覚の鋭さと能力の高さがこの行動を可能にしたのだ。これは頭のよさとも言えるだろう。しかしじっくり考えて判断するというより,むしろある状況になった時に,自分の感覚のなかに何らかの「違和感」が生じることによって,「何か違うぞ」とか「○○しなきゃ」などと,わかったり気付いたりするものだろう。周りに心遣いすることが「当たり前」になっている者だけに与えられる特権としての違和感だ。
決して自分が配慮してもらったからうれしいというのではない(イヤイヤ,それもちょっとはある・・・)。このような心遣いを可能にする彼のスタンダードと感覚の鋭さは,一事が万事,あらゆる場所であらゆる人に対して発揮されるのだ。そんな人が美術教師にいることがうれしく,誇らしい。
雨が降ってじめじめした暗い道,汽車の窓から見えた風景を思い出しながら密かに軽いステップを踏んで帰途についたことは,私しか知らない。
-----------------------------------------------
写真はスオミ共和国ヘルシンキ,デザインフォーラム。
定刻に汽車がホームに滑り込み,扉が開いたところで中に入り込んだ。そう込んだ様子ではない。4人が向かい合うボックス席がいくつも空いている。適当な一つを選び座ろうとしたその時,H氏がいつものにこやかな表情のまま,私が座ろうとしていた2人掛けの席ではなく,その向かいの席を掌で指し示した。
「どうぞ,こちらに座って下さい。」
「ん?」
「いや,進行方向に向いて座った方が気持ちが悪くならずにいいでしょう。」
その時初めて気づいた。私は進行方向に背を向ける2人席の方に座ろうとしていたのだ。窓から見える風景は,当然自分から遠ざかる方向に流れていく。自動車に乗った時には特にそうだが,進行方向の逆に向いて座っていると,気持ちが悪くなることがある。H氏はそのことに即座に気付いて,私に気持ちの悪くならない方の席を薦めてくれたわけである。
私が指導教員の立場にあるからなのか,先輩だからなのか,はたまた年寄りであるからなのか,その直接の理由は定かでない。とにもかくにも,確かにH氏は配慮してくれたのである。配慮するためには,その前にその事実に気付くことが必要である。それも瞬時に。それを可能にした彼の敏感さに脱帽し,「まぁ,体は彼の方が頑丈そうだ。」と自分を納得させて,ありがたく心遣いを受けることにした。
H氏がとったさりげない行動は,彼の教員としてのアンテナの敏感さをも示している。H氏の,状況から情報を収集し判断する感覚の鋭さと能力の高さがこの行動を可能にしたのだ。これは頭のよさとも言えるだろう。しかしじっくり考えて判断するというより,むしろある状況になった時に,自分の感覚のなかに何らかの「違和感」が生じることによって,「何か違うぞ」とか「○○しなきゃ」などと,わかったり気付いたりするものだろう。周りに心遣いすることが「当たり前」になっている者だけに与えられる特権としての違和感だ。
決して自分が配慮してもらったからうれしいというのではない(イヤイヤ,それもちょっとはある・・・)。このような心遣いを可能にする彼のスタンダードと感覚の鋭さは,一事が万事,あらゆる場所であらゆる人に対して発揮されるのだ。そんな人が美術教師にいることがうれしく,誇らしい。
雨が降ってじめじめした暗い道,汽車の窓から見えた風景を思い出しながら密かに軽いステップを踏んで帰途についたことは,私しか知らない。
-----------------------------------------------
写真はスオミ共和国ヘルシンキ,デザインフォーラム。