Hei!(「ヘイ」って読んで「やあ」って意味)~義務教育世界一の秘密

義務教育世界一の国の教師養成の実態を探る旅。フィンランドの魅力もリポート!その他,教育のこと気にとめた風景など徒然に。

よい教師の条件③

2006年06月22日 | Weblog
斎藤喜博氏が三つ挙げるよい教師の条件,今日はその最後だ。いったい何だと思われよう。
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実は意外や意外,「美人の先生」が挙げられている。原著の正確な記述は後日。
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③美人の先生
   ①頭が良く,②育ちが良く,そして優れた実践をする教師は,みな美人になるものであり,何より,頭とか育ちとか顔とかは,勉強したり実践を重ねていくうちに,いくらでも自分で変えていくことができるものである。
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よい教師の条件に「美人」とは何かと怒り心頭に発し,このあたりで読むのをやめようとする方が多いかもしれない。①頭がよいこと,②育ちがよいこと,と同様に,一見個人のレベルではどうすることも出来ないことのように思われる。また一般的な「美人」に対する世間の眼差しから考えると,さらに大きな顰蹙(ひんしゅく)を買っているかもしれない。

しかしながらやはり,これまた真実であると言わざるを得ない。もし美人という語が気に入らないのであれば,美人に対する認識を変えることだ。ここで言う美人とは,顔の造作を見たときに,例えば目が大きくて二重まぶたで鼻筋が通っているなどということを言っているわけではない。すらっと伸びた八頭身美人のスタイルを言っているわけでもない。顔の造作やスタイルなんて,どうでもよいのである。

顔立ち容姿が端麗でなくても,輝くばかりの魅力を放つ人がいるではないか。そう,あなたの周りにも。具体的な名を挙げると「その人って容姿がよくないっててこと???」なんて批判が来そうだからここではごまかして(^o^;おくが・・・。ぼかしながら例を挙げると,芸能界でも「いわゆる美人」という容姿ではないのに非常に魅力的で売れっ子な人がいるではないか。そんな人はやはり美人なのだ。女も男もそうなのだ。そういう人は結局のところ,表情がよい。仕草がよい。そして心がカチンコチンでなくしなやかなのだ。だから容姿という外見ではなく,内面から輝いて美しく見えてしまう。

教師は授業のエンターテイナーであるし,子どもたちの人生の演出家であるべきだ。教室をワクワクした時間と空間にすることができるかどうかは教師にかかっている。教師が教室で何に気付き,どのように仕掛け,どうやって演出するか。これらは結局のところ,教師の顔に表れているものだ。逆に言えば,教師がどのような顔,つまり心を映した表情を持っているかを見れば,その教室の質を見抜くことができるとも言える。斎藤氏が言うように「①頭が良く,②育ちが良く,そして優れた実践をする教師は,みな美人になるもの」だからである。

「美人」にはほど遠い私が言うのも何だが,教師や教員志望の学生には,やはり内面から輝く「美人」でいて欲しい。容姿端麗である必要はない。ファッション雑誌から抜け出たようなスマートさも必要ない(ま,ないよりあった方がいいが・・・)。日々創造的に学び,表現し,心をしなやかに保つこと,そしてその結果として魅力的な顔を持っていること。このようなあり方や生き方を選んでみませんか。
コメント (2)
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