「そんなの関係ねぇ!」「でもそんなの関係ねぇ!」って,今年流行りました。小島よしお氏が,なぜか水泳パンツ一枚の半裸状態で左手左足を動かしながら絶叫する,あの台詞です。なんか面白いですよねぇ。
半裸のインパクトとリズミカルなおもしろさが多くの人の注目をひいたのは確かな事実でしょう。しかしそれ以上に,この言葉が今の時代にぴったりと合ったこと,これが流行の最大の理由であるように思われます。
「そんなの関係ねぇ!」という言葉は,他者との関係を断ち切る言葉です。人がどう思おうが言おうが「そんなの関係ねぇ!」「私は私」なのです。他者の言葉が筋の通ったことであったとしても「そんなの関係ねぇ!」です。特に,「でもそんなの関係ねぇ!」のフレーズで「でも」を使うのは,論理的に筋が通っている指摘に対してさえ,それを頭では分かってはいるものの受け付けない「頑(かたく)なさ」や幼児性を想起させます。
さらに言えば,それは「自分は変わらない」という頑なさでもあります。消費社会において,お金を握りしめて店頭に立ちさえすれば,その瞬間から消費者として一人前に扱われてきた多くの「私」という存在は,「私」ではなく「あなた」が私に合わせて変わってくれることを経験してきました。「私」は決して変わらず「あなた」が変わることを求め期待する社会,そんな社会に入っていることを象徴する「そんなの関係ねぇ!」「でもそんなの関係ねぇ!」であるような気が・・・考えすぎでしょうか(「グタグタ言ってないで楽しめよ,無粋だっ!」て,ハイ,聞こえました)。
半裸のインパクトとリズミカルなおもしろさが多くの人の注目をひいたのは確かな事実でしょう。しかしそれ以上に,この言葉が今の時代にぴったりと合ったこと,これが流行の最大の理由であるように思われます。
「そんなの関係ねぇ!」という言葉は,他者との関係を断ち切る言葉です。人がどう思おうが言おうが「そんなの関係ねぇ!」「私は私」なのです。他者の言葉が筋の通ったことであったとしても「そんなの関係ねぇ!」です。特に,「でもそんなの関係ねぇ!」のフレーズで「でも」を使うのは,論理的に筋が通っている指摘に対してさえ,それを頭では分かってはいるものの受け付けない「頑(かたく)なさ」や幼児性を想起させます。
さらに言えば,それは「自分は変わらない」という頑なさでもあります。消費社会において,お金を握りしめて店頭に立ちさえすれば,その瞬間から消費者として一人前に扱われてきた多くの「私」という存在は,「私」ではなく「あなた」が私に合わせて変わってくれることを経験してきました。「私」は決して変わらず「あなた」が変わることを求め期待する社会,そんな社会に入っていることを象徴する「そんなの関係ねぇ!」「でもそんなの関係ねぇ!」であるような気が・・・考えすぎでしょうか(「グタグタ言ってないで楽しめよ,無粋だっ!」て,ハイ,聞こえました)。