14番スポットのタラップを降り
ファイナル記念ゲートをくぐれば、CAさんから2つの記念品を受け取る
そのラストフライト搭乗記念品がコレ
橋 幸夫、吉永小百合 さんのデュエット「そこは青い空だった」の
8cm CD と、山形空港で撮られた B727-200 のサービス版写真が同封
この歌、以前から一番だけなら歌えた私です(笑
もう一つの袋には
なんと、B727 のエンジン タービンブレードが
マニアならこれがかなりの高額品ということはわかるはず
(撮影後に判明、 CDとタービンブレードの袋が逆になっていました)
ブレードがなにか加工してあるわけではないが、マニア心をくすぐるアイテム
下画像は、同封されていた説明書き
以前にもプラモの紹介で上げたことがありますが、1機で二度オイシイ
機体の左右を初搭乗時とラストフライト時の塗装に仕上げた B727-200
今回は少しだけ大きめな画像で~
昨年に一部を改良しました
経年変化で黄ばんでしまった、主翼付け根のウォークウェイは
自作のデカールで張り替え
胴体の窓は筒抜けだったものを
木工ボンドを爪楊枝でチョイ付けしてガラス風に埋めてみました
オマケは、ANA制服コレクションのフィギュアーを
B727 が運用された1964年~1990年までの制服を集めてみました
右から年代順に並んでます (海洋堂さん の製作で、なかなかの仕上がり)
ラストフライト時に、CAさんにお願いしたキャビネ版がコレ
「表に直接サインをもらってもよいですか?」とわざわざ聞いてくれるなんて
全日空に最後はこの機体だけが在籍し、忙しくラストフライトまで運用しつづけた機体
ANA B727-200 JA8355 ( 名古屋空港にて撮影 )
このラストフライトの機長を務めた、石川機長
その息子さんと、このブログをとおして
一昨年に知り合うことができたのは、何かのめぐり合わせ!?
昨年秋には念願だった
息子さんのお店 SUGAR SHACK にも訪問することができ
流れる soul な曲に癒されながら
社内発行 非売品の素晴らしい写真集「Boeing 727 The Glorious Heritage」を
拝見させていただくこともできました
また、貴重な石川機長の飛行日誌を拝見するチャンスも
内容は個人情報もあるので、ここには出せませんが
ラストフライト終了時点での、石川機長の総飛行時間は 約17,000 時間
その後はB747の訓練に入った様子もわかりました
ANAにとっても1964年に-100型を導入以来
社の歴史を築いた B727 の引退は大きな出来事だったようで
社内で盛大な お別れ会 も行われ
機体に社員が沢山の労いメッセージを描く様子も公表された
(機体はその後、大韓航空へ売却)
社内報「ぜんにっくう 90/ 5」は B727特集でした
昔に所蔵していた航空雑誌に載っていた、全日空の広告ページから B2 関連を幾つか
国際線への本格運行の予告広告もあり、まさに変革の歴史を共にした機体だったんだ
最後に、石川等志雄 機長が
社内誌 「ぜんにっくう」や 私が当時所属していたクラブ誌に寄稿していただいたコメントから一部を
B2は26年間の四半世紀にわたり、我々を育て全日空を大きくしてくれました
いつの時代でも、どの分野でも新旧交代の瞬間は必ずやってきます
今のようにコンピューターに制御された操縦システムではなく
パイロットの腕で飛ばすことのできた最後のジェット機でもありました
立派に任務を果たしてくれた B2に感謝の気持ちを込めて別れを告げたいと思います
「ボーイング 727 ありがとう」
SUGAR SHACK のブログを見ると、先週が 石川機長の ご命日だったそうで
航空自衛隊 時代から飛行経験を重ねての ANA 入社
まさに飛行機人生を全うされた石川機長
あらためてご冥福をお祈りさせていただきます
ファイナル記念ゲートをくぐれば、CAさんから2つの記念品を受け取る
そのラストフライト搭乗記念品がコレ
橋 幸夫、吉永小百合 さんのデュエット「そこは青い空だった」の
8cm CD と、山形空港で撮られた B727-200 のサービス版写真が同封
この歌、以前から一番だけなら歌えた私です(笑
もう一つの袋には
なんと、B727 のエンジン タービンブレードが
マニアならこれがかなりの高額品ということはわかるはず
(撮影後に判明、 CDとタービンブレードの袋が逆になっていました)
ブレードがなにか加工してあるわけではないが、マニア心をくすぐるアイテム
下画像は、同封されていた説明書き
以前にもプラモの紹介で上げたことがありますが、1機で二度オイシイ
機体の左右を初搭乗時とラストフライト時の塗装に仕上げた B727-200
今回は少しだけ大きめな画像で~
昨年に一部を改良しました
経年変化で黄ばんでしまった、主翼付け根のウォークウェイは
自作のデカールで張り替え
胴体の窓は筒抜けだったものを
木工ボンドを爪楊枝でチョイ付けしてガラス風に埋めてみました
オマケは、ANA制服コレクションのフィギュアーを
B727 が運用された1964年~1990年までの制服を集めてみました
右から年代順に並んでます (海洋堂さん の製作で、なかなかの仕上がり)
ラストフライト時に、CAさんにお願いしたキャビネ版がコレ
「表に直接サインをもらってもよいですか?」とわざわざ聞いてくれるなんて
全日空に最後はこの機体だけが在籍し、忙しくラストフライトまで運用しつづけた機体
ANA B727-200 JA8355 ( 名古屋空港にて撮影 )
このラストフライトの機長を務めた、石川機長
その息子さんと、このブログをとおして
一昨年に知り合うことができたのは、何かのめぐり合わせ!?
昨年秋には念願だった
息子さんのお店 SUGAR SHACK にも訪問することができ
流れる soul な曲に癒されながら
社内発行 非売品の素晴らしい写真集「Boeing 727 The Glorious Heritage」を
拝見させていただくこともできました
また、貴重な石川機長の飛行日誌を拝見するチャンスも
内容は個人情報もあるので、ここには出せませんが
ラストフライト終了時点での、石川機長の総飛行時間は 約17,000 時間
その後はB747の訓練に入った様子もわかりました
ANAにとっても1964年に-100型を導入以来
社の歴史を築いた B727 の引退は大きな出来事だったようで
社内で盛大な お別れ会 も行われ
機体に社員が沢山の労いメッセージを描く様子も公表された
(機体はその後、大韓航空へ売却)
社内報「ぜんにっくう 90/ 5」は B727特集でした
昔に所蔵していた航空雑誌に載っていた、全日空の広告ページから B2 関連を幾つか
国際線への本格運行の予告広告もあり、まさに変革の歴史を共にした機体だったんだ
最後に、石川等志雄 機長が
社内誌 「ぜんにっくう」や 私が当時所属していたクラブ誌に寄稿していただいたコメントから一部を
B2は26年間の四半世紀にわたり、我々を育て全日空を大きくしてくれました
いつの時代でも、どの分野でも新旧交代の瞬間は必ずやってきます
今のようにコンピューターに制御された操縦システムではなく
パイロットの腕で飛ばすことのできた最後のジェット機でもありました
立派に任務を果たしてくれた B2に感謝の気持ちを込めて別れを告げたいと思います
「ボーイング 727 ありがとう」
SUGAR SHACK のブログを見ると、先週が 石川機長の ご命日だったそうで
航空自衛隊 時代から飛行経験を重ねての ANA 入社
まさに飛行機人生を全うされた石川機長
あらためてご冥福をお祈りさせていただきます
全日空のトリトンブルー塗装は、セブンツーセブンが一番似合いますね。
YSにはイマイチだった様な・・
信州でも夏日になり汗ばむくらいになってきました。
ラストフライトの座席は、往路が25A、復路が22Cで後方席でした。
チケットはアルバムに貼り付けていたのですが
今見返すと、チケットには喫煙マークがついていてビックリしました。
フィギュアーは画像のモノはコンプリートしてますが
ローソンの缶コーヒーのモノは一部欠落。
その後販売された、ANAお仕事フィギュアーはまったく持ってなくて
時々無性に欲しくなったりします(笑
でも、この歳だと無理して手に入れてもね~。
まぁ、コレクション売るのは方法だけ家族に教えておいて
自分がいなくなってから処分してもらうのが理想なんですが
我が家も、「全部処分してからイッテよね!」と強く言われております、トホホ・・・。
この時期にこの気温、マスクがエチケットの一部になった今
コレからが思いやられます。
はつたかさん にトリトンブルーと言われるまで気にもしなかったのですが
ANAのトリトンブルー塗装も長くなりましたね。
モヒカンはトライスターが一番似合った気がしますが
B767以降の機体には似合わない感じで、やはりトリトンは万能なカラーリングかな。
そろそろ変革も欲しいですが、今回の経済的影響も長続きしそうなので
暫くは無理かな。
自分が機内清掃のバイトしていたころはB2とB3をやっていました。
毎日飛行機に触れるのがうれしくて。
ドアを開閉しただけで一丁前になった感じがしていました。
トリトンブルーは最初はL10でしたよね。すごく新鮮でした。
Twitterはチェックしてますので、ますます元気に御活躍中のようでなにより。
バイクのモデルもなかなかイイ感じ、完成画像楽しみにしてます。
いつかまた一緒に飲める日がくることを願ってます。
PAISUKEさん はANAでバイトしてましたか。
私はJALでした。
給料がバイトよりも臨時職員の方が良かったので選択しましたが
正社員よりも高額だったので、仕事中に色々と言われたりもしました。
親方日の丸の古い時代の話しですがね。
私も毎日飛行機に触れるし、眺められるのは最高の日々でした。