播州、姫路の浜手育ち ♪日々の出来事をつぶやいています

まあブログですから、覚え書きみたいなもの

はがゆい思い

2009年10月22日 | 親・母(2014.12.23.84歳)父(2020.1.5.92歳))逝去

 

 口を開くたびに

  「しんどい」「すぐに疲れる」というばあさん。

 私はもう 「そうやね しんどいね 疲れるね」と相槌をうつしかない。

 「もっと元気なばあさんも世の中にはいるけれど、年相応だと思うよ。」では

 まだ納得しないのです。

 じいさんがばあさんのそれを聞かされたとき、

 「年をとったら 誰でももしんどくなる。 しんどくなったら寝る」

 さすが、じいさん悟ってらっしゃる。

 

 だんだんやる気力が失せて、若い頃出来ていたことが出来なくなる。

 私は自分の親を見てきたから、

 私はばあさん年頃になったら、そういうものなんだと悟ることができるかな。

 ばあさんの親は早くにな亡くなっているから

 身近にそういう例を感じられなかったのか、

 それとも、出来てたことが出来なくなった事を受け入れられないのか。

 

 しかし自分の親ながら

 毎度毎度言われるとこっちもくたびれます。

 「知ってる? わたしもそれなりに年がいって更年期でしんどいのやけど」

 そんなことをばあさんに言っても、今となっては通じているのかどうかも

 定かではないけど、一応言ってみる。

 

 ばあさんの行動で、私のトラウマになってることの一つに、

 「じっと立って見ている」行為。

 元気な頃は、台所に立っていようものなら

 それはすべて私に対するクレーム。

  米の洗い方が悪いだとか、

  計量カップの置き位置が違うとか、

  ふきんを次々新しいを出してくるとか、

  魚を煮るときの煮汁の量が多いとか、

 

 何かしらの文句を言わずに済ませられない。

 私の台所になるのはいつの日なのかと 私こそ、はがゆい思い。

 

 それがですね 最近の「じっと立って見ている」のは

 ほんとに立って見ているだけ。じっとしているのは、次の行動に

 すぐ移せないからだけ。

 わかってるのだけど、じっと立っていられたら、

 また何か文句あるんかいなと身構えてしまう。

 聞き流せばいいものの いちいち面倒くさいとおもってしまう私。

 そして、現にじっと立っていられると、 広くない台所。はっきり言って邪魔。

 「あっちに行って」は、やはりもうかまってもらいたいだけのばあさんに

 なってきているから、禁句。

 そこに座っててと椅子を指す。そうしたら初めて台所には今のところ

 用事はないんだと気がつくみたいで仕方なしに

 自分の部屋にもどる。

 

 私は、自分がばあさんになる道筋を見せてもらっているのだと思うと

 ありがたいこと。

 そして いつもの究極の結論。

 今のところ、介護が要るわけでないんだから。

 子育ての忙しい時期は、うるさく言われながらも

 手伝ってもらったのだから。

    毎度 私の思いはそこで落ち着く。

 

  

コメント
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