詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

比喩

2008年08月12日 | 日記
すべての言葉は
言い訳と隠蔽のためにあるのかもしれない

すべての青空が
神々の
錯乱と錯覚のなれの果てであるように
すべての星々が
あの世には持っていけなかった
守銭奴どもの贋金であるように

すべての森々が
傷ついた生命を隠すためにあり
すべての島々が
死した生命の埋葬のためにあるように

すべての生き物が
かつての偉大なものたちの
哀しみの産物であり
すべての人々が
誰もが同じ
涙の結晶を抱いて生きているように

ふるさと小樽 (プロレタリアート文学と失われた革命の都)

2008年08月12日 | 日記
まるで 遠い遠い
思い出せそうでいて
思い出せない記憶みたいに
雨に暮れゆく港町が好きだった

雨に濡れそぼった野良犬が一匹
頼りない街灯の下を
とぼとぼと歩いていったあとには
波間でのたうつ街の灯影と
街灯をひとつひとつ消してゆく雨脚の激しさ

僕の祖父母が
北海道開拓のために
明治時代中ごろ上陸した港町小樽
小林多喜二や伊藤整の本を片手に
その頃を夢想しながら
大好きな詩人左川ちか(川崎洋の妹)の詩を
海に向かって暗誦しながら歩いた街

日本のプロレタリア文学と
失われた革命の都ー小樽
多喜二の「1928年3月15日」のほとばしるような人間群像たちよ!

その頃貧民街だった手宮で
今でもその面影を残しているのは
僅かに 観光名所の運河と
野原にぽつんとある鉄道博物館ばかりだけ
小さなストーブ作りの町工場や
夕暮れ時の港で紫煙をくゆらしながら
夕飯のオカズを釣っている工員ばかりだけ

そういえば
原田康子にも 佐多稲子にも
小林多喜二の伝記物語や
多喜二の母への訪問記があったっけ

日本人がこのままいつまでも
奴隷のまま幸せになれないうちは
プロレタリアート文学と革命の都
小樽の街は決して
忘れ去られることはないだろう


  注:現在ネットで読める多喜二の本はーhttp://www.aozora.gr.jp/index_pages/person156.html
  小林多喜二についてはーhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E5%A4%9A%E5%96%9C%E4%BA%8C