関東大震災・・この日本史上最低最悪の汚点の日を、「防災の日」として災害救助訓練などに明け暮れるのには大反対だ。
「防災の日」と呼ぶよりも、日本民衆最大の愚行の日として「関東大震災の日」と呼ぶのが相応しい。
表題に共通するのは、植民地にされたばかりの朝鮮半島での軍・警察で弾圧を担当した官僚・公務員たちの際限の無い人間としての堕落・残虐性であり、それは下記に記したようにアメリカでの先住民や黒人奴隷の虐殺や差別にも共通する要素が大きいし、侵略戦争立国アメリカの一貫した歴史ではないのかと思う。
関東大震災忌には、何故日本の民衆が、警察・軍隊等の国家の暴力装置からのデマで、自警団等が多くの罪のない人々(植民地にされて日本に流浪せざるを得なかった朝鮮半島の人々や中国人やどもりや訛りのきつい沖縄人等)を撲殺しまくったり監獄へとぶち込んたり、軍隊・警察等が僕の敬愛する大杉栄一家や労働運動家をなぶり殺し虐殺(実行犯憲兵大尉甘粕はその後すぐに釈放されて満州の夜の帝王に)したのかを・・しみじみと反省し、それを二度と繰り返すまいと決意する日でありたい。
関東大震災については、女性史研究家でアナーキー詩人高群逸枝の自伝で読んだエピソードが忘れ難い・・訛りがきつので朝鮮半島の人と間違われて暴行され、刑務所へと連行された琉球人の知人を救いだすシーンが忘れらない。
自警団の検問・襲撃を受けたのは植民地にされたばかりの朝鮮人だけではなくて、中国人や、言葉の不自由な人々や、訛のきつい琉球等の人々も多かったという。
この日本歴史最大の汚点はまた、先住インディアンの土地を奪い、女子供も虐殺した騎兵隊が英雄視され、先住インディアンを地上から抹殺するためによ・・彼らの食料・衣類・テント材料の数千万頭も原野を埋め尽くしていたバッファローを、ただただインディアン抹殺のために嬉々としてアメリカ人たちの原罪意識と同様なのではと思う。(現在ののバッファローはカナダから連れてきた子孫だという)。
罪の意識が強い悪人の子孫どもは、それゆえに報復されるのでは・・という過度の恐怖感にとらわれて、いわれのない差別意識やさらなる誹謗中傷や犯罪的行為をエスカレートさせてきた。
それがアメリカでは、きちんと決めたインディアンとのすべての条約を恥知らずにも破り、先住インディアンからすべての土地・財産を奪っては、リザベーションという強制収容所的な不毛の土地に閉じ込め(最近はウラン産出でまたその土地を奪ったり深刻なウラン残土で被爆被害が)。さらにはインディアンの子供たちから伝統文化・言葉を奪うために強制的に家族から引き離して、奴隷としての教育を特殊な学校で強制的に教育をだった。(オーストラリアでも同様で、アボリジニの断種手術や性的奴隷化。タスマニア島ではそれでもあきたずに皆殺しに)
そんなアングロサクソンの先住民政策に比べると、日本のアイヌ民族政策はまだましだったともいえるが、日本文化・文明の源流というべきアイヌ民族の文化・言葉を奪った罪は永遠に消えることはないだろう。ロシアの先住民政策とはなんという違いなのかと嘆息せざるをえない。
関東大震災直後に、憲兵・警察に虐殺された大杉栄一家や労働運動家を含めて、約六千人~一万人が虐殺されたというが、唯一の救いは、自警団等に追われた人々をかくまった人々の存在くらいだろうか。
宮澤賢治には関東大震災や祖国を失って流浪する朝鮮人についての詩があるというのに・・関東大震災に遭遇して死ぬ目にあったであろう琉球の詩人山之口獏には、どうしてそのような詩がないのだろうか・・同じように関東大震災がその詩作の出発点というべき敬愛する金子光晴にもまた。
凶暴な国家権力への恐怖感だったのだろうか・・
◆関東大震災について簡潔明瞭で詳細な記録は「関東大震災」(今井清一)はー
「ここ」(「評論研究」ページの中ほど)