詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

革命家ゲバラの言葉と手紙からー

2010年09月18日 | 歴史
んな出口の見えない時代だからこそ、偉大な革命家ゲバラの言葉や手紙を読み返したくなるのかもしれない。

真実について
僕を導くものは、
真実への情熱だけだ。
…あらゆる問題について、
僕はこの点から考える。(チェ・ゲバラ)

◆ゲバラ別れの手紙の数々から
「フィデル・カストロ宛」   フィデル。
いま私は、さまざまのことを思い出している――マリア・アントニアの家ではじめて君に会った時のこと、君が遠征に参加するように私にすすめた時のこと、そして準備の時のあの緊張のすべてを。

 ある日われわれは、死んだら誰に知らせたらいいのかと尋ねられたことがある。その時われわれ全員は死の現実的な可能性に衝撃をうけた。あとになってわれわれは、革命のなかでは(それが真の革命である限り)人は勝利するか死ぬかなのだ、ということを知った。勝利にいたる途上で多くの同志が倒れた。

 いまではすべてにあまり劇的な調子を感じることはないが、それはわれわれが成熟したためだ。だが、いまも生と死は繰返されているのだ。キューバ革命が私に課した任務を私はキューバ国内においては果してしまったように思う。だから私は君や同志や君の人民――それはすでに私のものでもある――に別れを告げる。

 私は党指導部における私の地位、閣僚の職、少佐の階級、キューバ市民としての条件を公式に放棄する。法的には私をキューバに結びつけるものは何もない。ただ、任命書を破り棄てるようにはあっさりとは棄てることができない違う性格の絆があるだけなのだ。

 過去をふり返ってみて、私は自分が革命の勝利を不動のものとするために十分に誠実に献身的に働いてきたと信じている。私に何らかの誤りがあるとすれば、それはただ、シエラ・マエストラの初期の段階において十分に君を信頼していなかったことと、君の指導者ならびに革命家としての能力を十分に理解していなかったことだけである。

 私は偉大な日々を生きてきた。君の傍で力リブ海の危機の輝かしく悲劇的な日々をわが人民の一員として生きたことを私は誇りとしていた。

 あの日々の君ほど輝かしい政治家はほとんどいない。私は躊躇することなく君に従い、君の思考方法に自分を同一化したこと、君と同じ方法で危機と原則を理解し評価したことを誇りに思っている。

 世界の他の土地に私のささやかな努力を求める大衆がいる。キューバの指導者としての責任から君には許されないことが私にはできる。別れの時が来たのだ。

 私が喜びと悲しみの混じり合った気持でキューバを離れるのだということを知って欲しい。私はここに建設者としての私の最も純粋な希望と、私が愛するもののうちの最愛のものを残して……そして、私を息子のように受け入れてくれた人民と別れていくのだ。このことは私の心を深く切り裂く。私は新しい戦場に、君が私に教えてくれた信念、わが人民の革命精神、最も神聖な義務を果そうとする感情を携えていく。そして、どこであろうと帝国主義と戦うのだ。戦いが私の心のすべての傷を十分に慰め癒すのだ。

 もう一度言うが、キューバに関して私はいっさいの責任から解放された。だが、キューバは私にとってひとつの模範だ。私がどこか異国の空の下で最後の時を迎えたら、私の最後の思いはキューバの人民、そして特に君に向かうだろう。君の教えと模範に感謝する。私は私の行動において最後までそれに忠実でありたいと思う。私はこれまでわれわれの革命の外交政策に常に従ってきた。これからもそうしたいと思っている。どこにいようとも私はキューバの革命家としての責任を自覚しているだろう。そして、そのように行動するだろう。私は私の子供や妻に何も残しておかないが、それは別に心残りのことではない。そのほうが私には望ましいのだ。国家が生活と教育に十分なことをしてくれる以上、私はそのほかに何も望まない。

 君とわれわれの人民に語りたいことはたくさんあるが、それはもう必要のないことなのだろう。言葉は私が望むことを表現しえない。これ以上紙をよごすまでのこともないだろう。勝利に向かって常に前進せよ。祖国か死か。革命的情熱をもって君を抱擁する。    
         チェ

懐かしいゲバラの感動的な決別の手紙。「とりわけ、世界のどこかである不正が誰かに対して犯されたならば、それがどんなものであれ、それを心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それが一人の革命家のもっとも美しい資質なのだ。」の部分は宮澤賢治にも通じるものがある。

革命前は女性のほとんどが身を売るしかすべなかった米国植民地キューバの惨状はまた、娘の身売りが日常茶飯事だった数十年前の戦前日本を連想させられる。

革命後の経済封鎖の中、サトウキビと葉巻以外に何ひとつ産業がないなかで・・中南米一素晴らしい最先端の教育や医療や福祉やエコロジー農業を実現してきた自立自尊の精神や倫理観・正義感こそが、現在の日本人に最も欠けているもの、日本人とは対極にあるものに違いない。

キューバ革命は天の利、地の利、人の利、それらが絶妙にかみ合って、大成功を収めた稀有の例外で、極めて稀な奇跡的革命であるのを知っていながら、飽くなき革命の闘志を燃やしつづけ、アフリカ、南米を転戦し、遂にボリビア山中で政府軍に逮捕されます。「右手でパイプをふりながら、チェ・ゲバラ射殺された」1967年の10月9日、地元の新聞が報道。

◆ゲバラについてのもう一つの僕の日記『チェ・ゲバラの手紙2ーゲバラとカストロ訣別の前夜』はー「ここ」
◆『ゲバラ日記』についてはー「ここ」

◆◆地震国には原発よりも地熱発電が相応しいと主張したので、父は東電重役になれず、その意志を引き継いだ娘は「東電OL殺人事件」で身も心もずたずたにされて殺されたのだと思う。
証言者のほとんどは、顔も名も不明の暴力団や警察の支配下の者たちだ。最後に出てくるほとんど唯一僕が信用できたサンドイッチマンの証人は、「彼女を見たのは最初で最後」「連れの男はヒモだろうと顔をみたら端正な顔でそうではないなと思った」と言っているのが根拠の一つ。
もう一つの根拠は、冤罪で死刑判決を受けたネパール人のアリバイを証明する証人に、その嘘の証言の代償に紹介された高給の職場が警察官僚天下りのサラ金(佐野氏が訪問後即解散)のビルに東電の子会社があったという事実だった。あまりにもタイミングやつながりが疑問だ。
◆◆世界一の地震国で、食料とともにエネルギー自給(原発燃料のウランも輸入)を目指す日本に、危険すぎる原発は不要と思ったブログはー「ここ」

絶望

2010年09月18日 | Weblog
絶望絶望

絶望よと
いったいなんど
お前に呼びかけただろう

いったい
どっちへと向かうべきかわからない別れ道で
途方にくれながら

蝙蝠が舞い飛ぶ
母の病院へと向かう道に立ち止まっては
三日月を見上げながら

絶望よ
この世の誰よりも
いちばん親しかったぼくの友よ

未来など
信じたことは一度も無かった

絶望だけが
ぼくが憎んで愛した
ただひとりのわが友だち


一輪の花

2010年09月18日 | 
目覚めるたびに
またあちこちに傷が増えている

愛や喜びなど
増えたことなど一度もないのに

人間はこれからもまた
殺しあう運命だろう
人間の欲望には際限がないので

そんな人間たちが
殺し合った後には たぶん
一輪の真紅の花が
うなだれて咲くことだろう

僕が「東電OL殺人事件」にこだわる理由はー

2010年09月18日 | 政治
僕が何故「東電OL事件」にこだわるのかという最大の理由はー
僕もまた某大手自動車企業でそのような部署にいて、そのような経験を何度かしたからだ。

その部署は、政治献金等の裏金や官僚・政治家の接待や、警察コンピューターシステムをタダで寄贈したり。新警察幹部の着任には出迎えと接待を。

その頃は、ブラックリストに載ってる社員首切りには新興宗教や暴力団を使っただった。
その手かざしの宗教へ上司に連れて行かれた時、逃げ出した女子社員の悲鳴が今でも時々夢の中で聞こえて目覚めることもある。

「休日になると男とのセックスを強要させらるのはもうごめんだ!」とわんわんと泣くその女性社員を大勢の、目つきに悪い新興宗教や暴力団員みたい男たちが、無理やり引きずってくるという場面が・・

その頃は、痴呆症で寝たきりの母の介護で頭が一杯だった自分は、早く帰って・・またポータブルトイレからずり落ちて泣いて待ってるかもしれない母のことで頭が一杯だった。
それもまた、今では言い訳に過ぎなかったんだと思う。

事務所入り口や、トイレへの入り口にぽつんりと机を置かれて、仕事を一切与えられない・・企業内ぐるーぷからの社員も多かった。僕の上司の話しでは、「あいつらはアカだ。お前もあいつらに話し掛けたら、アカにみなされるぞ!」だった。

その後すぐに、法務官僚が天下りしてから、首切りはますます過酷さを増していったのだが・・