詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
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「地域通貨」&手垢にまみれた「ふつう」や「差別」という言葉を歴史的に考察する

2011年10月04日 | 歴史
◆被災地瓦礫を受け入れる地域には、原発地方自治体補助金以上を国からであるべきだ!
原発よりもはるかに安全である上に、これらは加害者東電・政府の尻拭いでもあるのだから。
それと、EUでの経済危機や米国&中国内乱状態、東北復興報道や反原発報道(ネットだけだけど)を見聞きするたびに思うのは・・童話作家故エンデの提唱した「地域通貨」こそが救世主と思う!
東北切捨てで、東北が日本一貧しい地域となってしまうことだろう。それはEU内のギリシャ・アイスランド・スペイン・ポルトガル・イタリア等や中国内陸部やアメリカのいくつかの州も同様だ。
これらの地域でこそ「地域通貨」や、以前何度か提案した「時間貯蓄ボランティア銀行」「技能アップ訓練施設」は試みられるべきと思う。

「差別」や、日本人の大好きな「ふつう」を理解するためには、社会や個々の意識や、歴史にまで遡って考えなければならない。

たとえば長州閥によって、明治以降意図的に作られた「天皇制」(天皇をお飾りして実権を官僚が握るという点では戦後天皇制も同様)というピラミッド構造では、差別される側(先住民、被差別民、台湾・朝鮮等の植民地)という谷底が深ければ深いほど、それに逆比例して天皇の偉大さがさらに増すことになる。

王権や宗教は、いつの時代も差別を必要とするというより、それら自身が発生の時以来持つ存在証明なのではと思う。(以前の王権との違いや他とは違う宗教性を際立たせなけらばならない)

同じような意味で、王権が乱立して並立してきたばかりではなく・・王権を持たない地域さえもつい最近まで存在(王権など持たなかったこの北海道・東北・樺太・千島列島の先住アイヌ民族)、西日本の天皇王権、関東の武士王権、東北の先住民的王権、明治初期までの琉球王権、王権が目まぐるしく興亡対立した九州の王権、黒潮洗う地域出雲・熊野・津島等の天皇王権以前のスサノオ・大国主命等の王権・・等という、世界史的にも類をみないこの列島の豊穣さや多様さではないのだろうか?

新潟以北の東北では差別がないにも推理を掻き立てられる・・この列島では、民族的にも宗教にも様々なものが乱立し平行的に存在していたので、全国一律の差別化が不可能だった。

東北を支配した西日本天皇王権や関東武士王権も、あまりにも強い先住民文化の前になす術もなかった。

そのような多様性を前にして、差別のシステムを取り入れようといういう試みの「天皇制」の次が、「ふつうではない」という・・差異に目くじらをたてての差別だったではと思う。
「出る釘は打たれる」という諺にもある考えだが、ただそれはつい最近のことかもしれないなと思う。(明治期でも江戸時代でも日本人の天才奇人変人への嗜好はかなり強い。天才を生み出す風土だったと言っても過言じゃない)

僕の子供時代はにも、身体障害や精神障害の子がクラスに何人かいて・・たいして自分とは違いがないなと思ったものだった。
むしろ、個性的な人間が大好きだったので、平均点周辺に分布する多数派は、面白くともなんともなかった。

狂ったような天才肌や、一芸に秀でた「ふつう」じゃない人間の方がはるかに面白かった。
そのように、日本人もまたかってのようへと、とんでもない嘘ばかりを押し付ける教育・マスコミによって曇らされた発想を、転換すべき時代じゃないんだろうか?