詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

ヤッホー!「馬場裕之の産地直送クッキング」【ねぎは鍋】

2020年02月08日 | 犯罪
https://gyao.yahoo.co.jp/episode/%E3%83%A4%E3%83%83%E3%83%9B%E3%83%BC%EF%BC%81%E3%80%8C%E9%A6%AC%E5%A0%B4%E8%A3%95%E4%B9%8B%E3%81%AE%E7%94%A3%E5%9C%B0%E7%9B%B4%E9%80%81%E3%82%AF%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%80%8D%E3%80%90%E3%81%AD%E3%81%8E%E3%81%AF%E9%8D%8B%E3%80%91/5dad4663-423b-4440-bb15-16bdebec095f

クリスマスの思い出

2020年02月08日 | 
クリスマスプレゼントは
まだ誰からももらったことがない

いつも人ごみに紛れるように
俯いて歩いてるというのに
どうしてだか誰かに見つかってしまう

東京でも札幌でも
つい最近も名古屋で

札幌では高校時代の友達の誰もに
「あの娘が好きだ」と吹聴してた娘から
声をかけられた

ボタンのとれた
よれよれの黒いコートに潜り込みたかった
その娘の笑顔がまぶしすぎた
「元気?」と聞かれたって
ぼくが元気だったことなんて皆無だ

風呂なんかいつ入ったのか覚えてないし
食べ物といえばインスタントラーメンばっかり
飢えた狼みたいに
あてもなく街をうろついていただけ

クリスマスにはそんな思い出しかない
クリスマスなんかくそくらえ!
クリスマスケーキに顔を突っ込んで
窒息したくなるような思い出ばっかり


●木下昌明の映画の部屋 第263回・片渕須直監督『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

2020年02月08日 | 映画
すずが生きた戦争

 今年の正月映画として再公開されたアニメ『この世界の片隅に』にひかれた。これは、こうの史代原作・片渕須直監督による作品で、2年前に大ヒットした。それを今度「さらにいくつもの」を付して129分の旧版をさらに39分ふくらませ、新版として公開。わたしは試写会の一日めに駆けつけ、長いとは思わずにみた。終わると狭い会場が拍手で沸いたのには驚かされた。

 内容は、広島市の外れ、海苔業を営んでいた一家の18歳になる娘すずが、乗り物で2時間ほど離れた呉市の(見ず知らずの)北條周作という男の家に嫁ぎ、そこで成長する――といっても第二次大戦下の敗戦に向かう困難な時代の物語である。

 その時代、呉市は日本海軍の基地の街で、巨大戦艦の大和や武蔵などが集結する東洋一の軍港だった。それが山の中腹にある北條家から一望できた。夫の周作はすずより四つ年上で、海軍の下級文官として基地に勤務している。すずはしゅうと夫婦や義姉とその娘に囲まれ、毎日の家事に追われている。

 興味深い点は、そのすずの特異性。彼女は子どものころから絵が好きで、性格もおっとりして、絵を描いていると周りがみえなくなり、みんなにからかわれたりもする。その彼女の絵から街の戦時下の風俗が切りとられていく。それがほのぼのとしていい。

 また、呉港もどこにでもある港のようにのどかだ。すずが畑でぷーっとたんぽぽの丸い綿毛を吹くと落下傘のようにふんわりと飛んでいく。その綿毛の向こうに港の軍艦の訓練がみえるといった具合で、勇壮なはずの軍艦も自然の営みのなかで切りとられている。それがこのアニメの特徴の一つだ。そういう表現がうまいと思った。

 しかし、そうであっても、この港はアジア侵略の拠点である。ということが観客であるわたしの意識にのぼってくる。そのちぐはぐな感じが何ともいえない味わいとなる。戦争も遠くで行われている間は平和そのものにみえる。

 これはあくまで、主人公すずの視野からみえる世界である。だからアニメが比重をおいているのは、食べることが中心となる生活のもろもろ。彼女が嫁いだ翌朝には、もう共同井戸からの水くみが待っている。すずの日々は配給所の行列に並び、段々畑での野菜づくり、道端で食用となる野草をつみ、食事の献立で悩み、カマドでたきぎをくべる等々。当時の結婚は、同時に嫁ぎ先の使用人となることだった。それら昔々の物資の乏しい時代の家事労働が丹念に描きこまれている。それもユーモラスで柔らかなタッチで、わたしは笑いながらも郷愁を覚えた。

 また、風景描写も一つ一つきちんと描かれていた。すずの働く段々畑は、石垣を連ねて作られている。それは日本の狭く貧しい土地の典型を表している。

 こんな場面がある。軍港からラッパが鳴り響くと、山から港へ雪崩れるような家々の全景がとらえられる。「美しい」これにうっとりする。が、次の瞬間、山の上から米軍機が襲来してきて、すずは段々畑を逃げまどう。平和と思えた風景が一変する。この一瞬の転換が鮮やか。それによってすずの街は戦場のどまん中と思い知らされる。

 では、旧版でカットされ、新版で復元された箇所はどこか。それはすずと同世代の白木リンという遊郭の女との交流場面。タイトルに新たに「さらにいくつもの」と付した意味もこれで理解できる。旧版では、すずが道に迷って遊郭の道端で途方にくれているところをリンが道案内してくれる。そこで終わっているが、新版では、その後もすずがリンに会いにいって、紙切れに描いた自分の絵を上げる。絵は果物や菓子ばかり。いかに人々がおいしいものに執着していたかがわかる。また、リンや同じ店のテルの貧しさゆえに売られてきた悲惨な境遇ものぞきみえて、当時の社会状況もうかがえた。すずとの別れ際、「こんな所にさいさいくるもんじゃないよ」というリンの言葉が心にしみる。

 こんな話題とは別に印象に残ったものに、主人公すずの声がある。それも「ほいでも」とか「はてさて弱ったねぇ」とか、やさしい抑揚のある広島弁。それはのんという女優が演じていた。これがよかった。

 こうの史代の原作マンガも読んでみた。これがまたおもしろく、片渕監督のアニメは動画らしく、原作をいろいろ省略したり引きのばしたりしているものの、全体として原作によりそって展開しているとわかった。そこで原作の末尾にある「おもな参考文献」欄をみると、こうのは呉や広島とその時代について多くの資料にあたっていて、これはマンガの手法を使った一種のドキュメントではないかと思った。何年何月の年月が入っていて、連日のように米軍機が襲来する日は、日にちばかりか時間まで記入されていて、呉全体が海軍基地となり、戦場と化している。当然、アニメもそうだが、アニメのほうは動画らしく空襲のすさまじさを描いている。一面灰と化した港町一帯の光景にはあぜん。このころには、すでに日本の誇れる大和や武蔵は海のもくずと化し、巡洋艦の青葉も半ば沈没した姿をさらし、海軍の末路を暗示していた。


*すずを演じたのんさん

 わたしはそれらの光景に、別のイメージを重ねた。それはわたしの父の若き日のこと。父は石川県の寒村から当時花形だった海軍の軍人になるべく呉海兵団に入団した。わたしはアニメが呉港の全景を展望したとき、ここが父のあこがれの地だったのか、と感慨深くみた。いまでも飛行帽をかぶった父の写真が目に焼きついている。その意味では、すずの世界と父の世界と(つながらないものがわたしのなかでつながって)二重写しにみえてきたのかもしれない。すずにとっての「片隅」の世界は、当時の戦争の中枢部であった。原爆を落とされた広島も第五師団の司令部があった陸軍の街で、同じく軍都だった。

 こうの史代は広島出身である。しかしここでは原爆を外側から描いている。主人公のすずも広島出身である。それなのにすずは、もくもくと昇っていく原子雲を「何じゃ?カナトコ雲かな?」とながめている。すずにとって原爆は、どこかから飛んできて庭の木にひっかかったガラスのない窓ワクだけの戸としてとらえられている。その発想も斬新で、この映画のすごさは日常的感覚を土台にしていることだ。

 すずが敗戦の日、玉音放送を聴いたあと虚脱感に陥った人々を前に「最後のひとりになるまで戦うんじゃなかったかね」と声をはりあげ、段々畑で突っぷして号泣する場面。これにも胸うたれた。それはすずが好戦的だったからでなく、むしろ好戦的な人々に引きずられ、そういう風潮になじまされて、それをよかれと思ってきたこと、戦争下の抑圧を耐えてきた彼女の張りつめた糸がぷっつり切れたこと――戦争はずっとつづくと思えたのに目の前に穴があいてしまったこと――それは新たな出発を意味していたが、すずの意識はそこまでいっていなかった。ただ時代の断絶が衝撃となってすずに襲いかかってきたのだ。

 そして敗戦後、戦災孤児をすず夫婦が広島から連れ帰るラスト。何か特別なことではなしに、シラミのたかった浮浪児をおぶっていく。自分の子ではないのに育てようとする。それが当時は自然なことであり、生きることであったのだろう。そこからすずの戦後もはじまった――この感じがよかった。しみじみいい映画だと思った。

※全国順次公開中

[追記]これは『月刊東京』1月号より転載したものです。転載にあたって大幅にカットしました。

世に倦む日日 @yoniumuhibiより

2020年02月08日 | 犯罪
中国はすごい。最先端科学技術大国。核酸検査(簡易キット含めたPCR検査)に代わる、新たな技法としてCT検査を開発した。数分間で検査結果が出る技術。昨日、会見で発表。中国らしい。常に画像解析(AIパターン認識)を使ってマニュアルをオートマの処理にして行く。http://j.people.com.cn/n3/2020/0206/c95952-9654876.html …

おお、『翔んで埼玉』が地上波で初放送。フジで今夜9時。面白いですよ。お勧めします。日本版『ジョーカー』。自虐とお笑いの革命ファンタジー。日本人は革命をこう描く。https://tv.yahoo.co.jp/program/68153413/ …

外国人を全員それぞれの国に引き取らせて、日本政府、このクルーズ船を専用の病院船にする気かな。大規模海上隔離病棟。国内に施設のキャパがないですからね。これから、深圳・広州・上海・北京から緊急帰国する日本人が多くなる。検査は必要だし隔離も必要。国内も検査を増やせば感染者が増える。

インバウンド需要を回復させたいのなら簡単だ。私に任せて欲しい。徴用工問題で妥協して文喜相の基金案に合意すればいい。半導体三品目の禁輸を解いて韓国をホワイト国に戻せばいい。そうすれば、韓国人観光客が毎月35万人増える。中国人観光客の落ち込みをカバーできる。https://www.asahi.com/articles/ASN1K5DL4N1JULFA03J.html …

一方、香港に停泊の「ワールドドリーム号」、こちらは感染者数が増えませんね。横浜のクルーズ船と差が出ている。香港の船の方は、乗員1000人分についてはどうやら検体検査を済ませている。こちらの方はスーパースプレッダーがいなかったんだろうか。https://bnonews.com/index.php/2020/02/the-latest-coronavirus-cases/ …

この政府発表とマスコミ報道、本当に悪質だと思う。何人を検査したか明らかにしていない。新規の検査対象人数を出していない。日本政府的な隠蔽手法。また「二週間後」が延びた。未検査の残りの乗客の不安とストレスが増すだけじゃないか。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200208-00050134-yom-soci …

しばき隊に訊きたいが、これはヘイトじゃないのか。札幌のラーメン屋とどう違うんだ。都庁前で小池百合子糾弾のデモやらないのか。それとも合理的措置として納得して容認か。ニュースが出て1日経ったが、主要活動家はダンマリのようだが。公式見解はどうなんだ。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55372280X00C20A2000000/ …

予想どおり、米軍が動く事態に。報道は、米国政府の方から要請があったということにしているが、それは違う。逆だ。日本政府が米国に依頼している。最初からそのつもりだったから、全員検査にしなかったのだ。他の国籍の外国人も同じ回収方式にするんだろうか。https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20200208-00000001-jnn-pol …

浦島充佳もそうだが、医者の立場からは「この感染症はたいしたことない」という結論になる。毒性が弱いからその見方は間違いではない。だけど、NW9で出てきた那須の家族のような差別やいじめの問題があるでしょう。だから、希望者には検査を受けさせないといけないんだよ。https://bzfd.it/3blyvdZ

「無能で怠慢な日本 - ウィルス分離で豪州の後塵、検査キット開発で米国に落後」をアップしました。https://critic20.exblog.jp/30704835/

この件の質疑は、カメラが入った生中継の一対一のディベートだから、突っ込めば論破できると思うんだよ。これは安倍晋三事務所の話だから、内閣官房は助太刀できない。安倍晋三が自分の口で法律論をディベートしなきゃいけない。契約だという論法を持ってきたなら渡りに舟、カモネギだと思うけれど。

ゲバラ 別れの手紙の数々から

2020年02月08日 | 歴史
「フィデル・カストロ宛」   フィデル。

いま私は、さまざまのことを思い出している――マリア・アントニアの家ではじめて君に会った時のこと、君が遠征に参加するように私にすすめた時のこと、そして準備の時のあの緊張のすべてを。

 ある日われわれは、死んだら誰に知らせたらいいのかと尋ねられたことがある。その時われわれ全員は死の現実的な可能性に衝撃をうけた。あとになってわれ われは、革命のなかでは(それが真の革命である限り)人は勝利するか死ぬかなのだ、ということを知った。勝利にいたる途上で多くの同志が倒れた。

 いまではすべてにあまり劇的な調子を感じることはないが、それはわれわれが成熟したためだ。だが、いまも生と死は繰返されているのだ。キューバ革命が私 に課した任務を私はキューバ国内においては果してしまったように思う。だから私は君や同志や君の人民――それはすでに私のものでもある――に別れを告げ る。

 私は党指導部における私の地位、閣僚の職、少佐の階級、キューバ市民としての条件を公式に放棄する。法的には私をキューバに結びつけるものは何もない。ただ、任命書を破り棄てるようにはあっさりとは棄てることができない違う性格の絆があるだけなのだ。

 過去をふり返ってみて、私は自分が革命の勝利を不動のものとするために十分に誠実に献身的に働いてきたと信じている。私に何らかの誤りがあるとすれば、 それはただ、シエラ・マエストラの初期の段階において十分に君を信頼していなかったことと、君の指導者ならびに革命家としての能力を十分に理解していな かったことだけである。

 私は偉大な日々を生きてきた。君の傍で力リブ海の危機の輝かしく悲劇的な日々をわが人民の一員として生きたことを私は誇りとしていた。

 あの日々の君ほど輝かしい政治家はほとんどいない。私は躊躇することなく君に従い、君の思考方法に自分を同一化したこと、君と同じ方法で危機と原則を理解し評価したことを誇りに思っている。

 世界の他の土地に私のささやかな努力を求める大衆がいる。キューバの指導者としての責任から君には許されないことが私にはできる。別れの時が来たのだ。

 私が喜びと悲しみの混じり合った気持でキューバを離れるのだということを知って欲しい。私はここに建設者としての私の最も純粋な希望と、私が愛するもの のうちの最愛のものを残して……そして、私を息子のように受け入れてくれた人民と別れていくのだ。このことは私の心を深く切り裂く。私は新しい戦場に、君 が私に教えてくれた信念、わが人民の革命精神、最も神聖な義務を果そうとする感情を携えていく。そして、どこであろうと帝国主義と戦うのだ。戦いが私の心 のすべての傷を十分に慰め癒すのだ。

 もう一度言うが、キューバに関して私はいっさいの責任から解放された。だが、キューバは私にとってひとつの模範だ。私がどこか異国の空の下で最後の時を 迎えたら、私の最後の思いはキューバの人民、そして特に君に向かうだろう。君の教えと模範に感謝する。私は私の行動において最後までそれに忠実でありたい と思う。私はこれまでわれわれの革命の外交政策に常に従ってきた。これからもそうしたいと思っている。どこにいようとも私はキューバの革命家としての責任 を自覚しているだろう。そして、そのように行動するだろう。私は私の子供や妻に何も残しておかないが、それは別に心残りのことではない。そのほうが私には 望ましいのだ。国家が生活と教育に十分なことをしてくれる以上、私はそのほかに何も望まない。

 君とわれわれの人民に語りたいことはたくさんあるが、それはもう必要のないことなのだろう。言葉は私が望むことを表現しえない。これ以上紙をよごすまでのこともないだろう。勝利に向かって常に前進せよ。祖国か死か。革命的情熱をもって君を抱擁する。    
         チェ

懐かしいゲバラの感動的な決別の手紙です。
「とりわけ、世界のどこかである不正が誰かに対して犯されたならば、それがどんなものであれ、それを心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それが一人の革命家のもっとも美しい資質なのだ。」の部分は宮澤賢治にも通じるものかもしれない。

革命前は女性のほとんどが身を売るしかすべなかった米国植民地キューバの惨状はまた、娘の身売りが日常茶飯事だった数十年前の戦前日本を連想させられる。

革命後の経済封鎖の中、サトウキビと葉巻以外に何ひとつ産業がないなかで・・中南米一素晴らしい最先端の教育や医療や福祉やエコロジー農業を実現してきた自立自尊の精神や倫理観・正義感こそが、現在の日本人に最も欠けているもの、日本人とは対極にあるものに違いない。

キューバ革命は天の利、地の利、人の利、それらが絶妙にかみ合って、大成功を収めた稀有の例外で、極めて稀な奇跡的革命であるのを知っていながら、飽くな き革命の闘志を燃やしつづけ、アフリカ、南米を転戦し、遂にボリビア山中で政府軍に逮捕されます。「右手でパイプをふりながら、チェ・ゲバラ射殺された」 1967年の10月9日、地元の新聞が報道。

情熱のシーラ 第1話 お針子の初恋

2020年02月08日 | ドラマ
https://gyao.yahoo.co.jp/p/00025/v12635/

キャスト
アドリアーナ・ウガルテ エルビラ・ミンゲス ハンナ・ニュー ラウール・アレーバロ ルベン・コルターダ ピーター・ビベス 他
スタッフ
監督 : イニャキ・メルセーロ 脚本 : スサーナ・ロペス

はかなくも強く、ただひたすらに、その時を生きた。(全17話)
お針子として働く一人の少女、シーラ・キローガ。ごく普通の少女だった彼女が、そんな波乱の人生を送ることになるとは、誰も想像をしていなかった……。舞台は、スペイン内戦、第二次世界大戦時のスペインとモロッコ、ポルトガル。愛、陰謀、裏切り、友情……。時代に翻弄されながらもたくましく生きた女性の物語。エキゾチックな映像美と数々の華麗な衣装とともに繰り広げられる魅惑の“ロマンス・ミステリー”