http://www.labornetjp.org/news/2020/hon157
毎木曜掲載・第157回(2020/5/7)
フランスで起きていることは世界的な現象
『さらば偽造された大統領-マクロンとフランスの特権ブルジョワジー』(ホアン・ブランコ Juan Branco 著 杉村昌昭・出岡良彦・川端聡子訳 岩波書店 2020年4月10日発行)/評者:根岸恵子
「この世界では、能力は二の次だ」。本書は、エマニュエル・マクロンという地方のブルジョワ出身者が、なぜフランス大統領にまで短い期間で成り上がったのか。そして、彼を担ぎあげた富裕層の金と権力の亡者が、いかに彼を利用したかを暴いている。この本を通して見えてくるのは、大統領になるには能力は必要ない、強欲なネットワークがそれをさせるのであるということだ。フランスではマスコミの90%が富裕層によって支配されている。一人の見栄えの良い端正な男性を大統領の資質と人格を備えていると称賛すればいいのである。
作者のホアン・ブランコは「ウィキリークス」創始者ジュリアン・アサンジの国際弁護団の弁護士であると同時に、ジャーナリストでもある。父親はポルトガル人の映画監督で母親はスペイン人。ホアンはフランスで生まれ、パリで育った。パリ政治学院、パリ高等師範学校で学び、彼自身もグランゼコールの出身でエリートだが、だからこそ、権力からの誘惑を受けながら、それを拒否し批判する目が養えたともいえる。またマクロン政権に絡む人材ネットワークをつぶさに見ることができる立場にあった。
フランスには「自由・平等・博愛」などはない。能力や知識があっても庶民がグランゼコールという最高学府に行けるチャンスは限りなく低い。それは、家柄、血筋、コネが幅を利かせる幼少期からの階級差別的な学校が存在するからだ。そういう学校に行けるのはたいてい富裕層の子供。彼らは実社会とかけ離れたところで成長し、政界や経済界の要職に就く。寡頭制的な支配層はこうして生まれ、彼らは日々あくせく働いて税金を納めている民のことなど考えることはない。この本の中にはくねりくねられた寡頭支配者たちの人間関係が、よくここまで調べ上げたというほど書かれている。マクロンの妻、ブリジット・マクロンがパリの最も裕福で差別的な学校で教師をしていたことは、マクロンを富裕層の人脈につなげることに貢献した。それはマクロンの持つ野心と欲望にうまく合致するものだっただろう。
*マクロンに反対する「黄色いベスト運動」(2019年3月、撮影=飛幡祐規)
マクロンがなぜ、特権階級以外のすべてに人に増税を課し、特権階級に有利な政策を推進したのか。ベルナール・アルノーは実業家でLVMHとクリスチャン・ディオールのCEOとして有名だが、彼はフランスでは1位、そして世界4位の大富豪だ。彼の資産は2016年から2018年の間に300億ユーロから700億ユーロに増えたのは、惜しみなく国の財源を会社に入れてくれた政治家がいたからだ。こうした癒着関係をなぜジャーナリズムが取り上げないのか。それはマスコミそのものを彼らが支配しているからだ。健全だったマスコミを買収したのは、もちろんうるさい奴らを黙らせるためだ。メディアは本来の機能を果たさず、悪事の隠ぺいに加担するのだ。その内幕をホアンは暴いていく。そしてその事実に何度も吐き気を感じた。
「彼らは腐敗したのではない。腐敗そのものだ」と、ホアンは言う。フランスはまったく脆弱になったと訴える。ホアンは機能不全に陥っているフランスの民主主義を憂いているのだ。本書を通してずっと彼はそう叫んでいるような気がした。
この本の原題は『crépuscule』という。意味は「黄昏」。訳者の杉村昌昭氏は素っ気なく曖昧なので内容に鑑みて『さらば偽造された大統領―マクロンとフランスの特権ブルジョワジー』にしたのだという。まさに内容を表している。ホアンはマクロン政権がすでに斜陽に傾きつつあることを本書で語っている。そして最後に「立ち上がれ」と私たちを鼓舞する。そうなのだ。私たちは何を待っているのだろう。立ち上がるのは今しかない。
ホアンは「日本語版序文」の中で、「フランスがマクロン体制という不条理な権力に支配されていることを日本に理解してもらわねばならないだろうか?」と自問する。そして「理解してもらわなければならない。なぜならフランスで起きている現象は、世界的な現象でもあるからだ」と帰結する。
さて、わたしたちの社会はどうだ。報道の自由度が安倍政権以降下がり続け、政権擁護の報道に傾いてはいないか。不透明なことばかりで、それを追求するジャーナリズムがないのではないか。こうした疑問や疑念を常に持ち続けなければ、権力は当たり前のようにすべてを隠してしまうだろう。日本の政界を見れば、血筋、血縁、縁故による寡頭的な政治が長く続いているではないか。そして東大学閥で占められる官僚制度のエリート偏重を見ても、この国も限りがなく不条理に満ちているのではないか。官僚と政界、経済界の癒着を暴くジャーナリズムがあるだろうか。
今年3月に書評『裏切りの大統領マクロンへ』(フランソワ・リュファン著 飛幡祐規訳 新潮社)を当サイトに書いた(参照)。リュファンは民衆側に立ちマクロンの危うさと欺瞞を告発した。ホアンはマクロン政権の内側からこの政権の寡頭制と貪欲さを暴露した。ともにマクロン政権に巣くう権力と資本の汚い関係を描いている。両書ともに読んでいただければ、民主主義がこんなにも踏みにじられ、本来民衆に帰属するはずの富や福祉が収奪されていることに気づかされる。そして、幸いなのは、リュファンもホアンもともにこの腐敗しきった政権に起上がった「黄色いベスト」運動に光明を見ているのである。それこそが、フランス民衆の力であるに違いない。
*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子、杜海樹、ほかです。
毎木曜掲載・第157回(2020/5/7)
フランスで起きていることは世界的な現象
『さらば偽造された大統領-マクロンとフランスの特権ブルジョワジー』(ホアン・ブランコ Juan Branco 著 杉村昌昭・出岡良彦・川端聡子訳 岩波書店 2020年4月10日発行)/評者:根岸恵子
「この世界では、能力は二の次だ」。本書は、エマニュエル・マクロンという地方のブルジョワ出身者が、なぜフランス大統領にまで短い期間で成り上がったのか。そして、彼を担ぎあげた富裕層の金と権力の亡者が、いかに彼を利用したかを暴いている。この本を通して見えてくるのは、大統領になるには能力は必要ない、強欲なネットワークがそれをさせるのであるということだ。フランスではマスコミの90%が富裕層によって支配されている。一人の見栄えの良い端正な男性を大統領の資質と人格を備えていると称賛すればいいのである。
作者のホアン・ブランコは「ウィキリークス」創始者ジュリアン・アサンジの国際弁護団の弁護士であると同時に、ジャーナリストでもある。父親はポルトガル人の映画監督で母親はスペイン人。ホアンはフランスで生まれ、パリで育った。パリ政治学院、パリ高等師範学校で学び、彼自身もグランゼコールの出身でエリートだが、だからこそ、権力からの誘惑を受けながら、それを拒否し批判する目が養えたともいえる。またマクロン政権に絡む人材ネットワークをつぶさに見ることができる立場にあった。
フランスには「自由・平等・博愛」などはない。能力や知識があっても庶民がグランゼコールという最高学府に行けるチャンスは限りなく低い。それは、家柄、血筋、コネが幅を利かせる幼少期からの階級差別的な学校が存在するからだ。そういう学校に行けるのはたいてい富裕層の子供。彼らは実社会とかけ離れたところで成長し、政界や経済界の要職に就く。寡頭制的な支配層はこうして生まれ、彼らは日々あくせく働いて税金を納めている民のことなど考えることはない。この本の中にはくねりくねられた寡頭支配者たちの人間関係が、よくここまで調べ上げたというほど書かれている。マクロンの妻、ブリジット・マクロンがパリの最も裕福で差別的な学校で教師をしていたことは、マクロンを富裕層の人脈につなげることに貢献した。それはマクロンの持つ野心と欲望にうまく合致するものだっただろう。
*マクロンに反対する「黄色いベスト運動」(2019年3月、撮影=飛幡祐規)
マクロンがなぜ、特権階級以外のすべてに人に増税を課し、特権階級に有利な政策を推進したのか。ベルナール・アルノーは実業家でLVMHとクリスチャン・ディオールのCEOとして有名だが、彼はフランスでは1位、そして世界4位の大富豪だ。彼の資産は2016年から2018年の間に300億ユーロから700億ユーロに増えたのは、惜しみなく国の財源を会社に入れてくれた政治家がいたからだ。こうした癒着関係をなぜジャーナリズムが取り上げないのか。それはマスコミそのものを彼らが支配しているからだ。健全だったマスコミを買収したのは、もちろんうるさい奴らを黙らせるためだ。メディアは本来の機能を果たさず、悪事の隠ぺいに加担するのだ。その内幕をホアンは暴いていく。そしてその事実に何度も吐き気を感じた。
「彼らは腐敗したのではない。腐敗そのものだ」と、ホアンは言う。フランスはまったく脆弱になったと訴える。ホアンは機能不全に陥っているフランスの民主主義を憂いているのだ。本書を通してずっと彼はそう叫んでいるような気がした。
この本の原題は『crépuscule』という。意味は「黄昏」。訳者の杉村昌昭氏は素っ気なく曖昧なので内容に鑑みて『さらば偽造された大統領―マクロンとフランスの特権ブルジョワジー』にしたのだという。まさに内容を表している。ホアンはマクロン政権がすでに斜陽に傾きつつあることを本書で語っている。そして最後に「立ち上がれ」と私たちを鼓舞する。そうなのだ。私たちは何を待っているのだろう。立ち上がるのは今しかない。
ホアンは「日本語版序文」の中で、「フランスがマクロン体制という不条理な権力に支配されていることを日本に理解してもらわねばならないだろうか?」と自問する。そして「理解してもらわなければならない。なぜならフランスで起きている現象は、世界的な現象でもあるからだ」と帰結する。
さて、わたしたちの社会はどうだ。報道の自由度が安倍政権以降下がり続け、政権擁護の報道に傾いてはいないか。不透明なことばかりで、それを追求するジャーナリズムがないのではないか。こうした疑問や疑念を常に持ち続けなければ、権力は当たり前のようにすべてを隠してしまうだろう。日本の政界を見れば、血筋、血縁、縁故による寡頭的な政治が長く続いているではないか。そして東大学閥で占められる官僚制度のエリート偏重を見ても、この国も限りがなく不条理に満ちているのではないか。官僚と政界、経済界の癒着を暴くジャーナリズムがあるだろうか。
今年3月に書評『裏切りの大統領マクロンへ』(フランソワ・リュファン著 飛幡祐規訳 新潮社)を当サイトに書いた(参照)。リュファンは民衆側に立ちマクロンの危うさと欺瞞を告発した。ホアンはマクロン政権の内側からこの政権の寡頭制と貪欲さを暴露した。ともにマクロン政権に巣くう権力と資本の汚い関係を描いている。両書ともに読んでいただければ、民主主義がこんなにも踏みにじられ、本来民衆に帰属するはずの富や福祉が収奪されていることに気づかされる。そして、幸いなのは、リュファンもホアンもともにこの腐敗しきった政権に起上がった「黄色いベスト」運動に光明を見ているのである。それこそが、フランス民衆の力であるに違いない。
*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子、杜海樹、ほかです。