子供時代
どの町に引っ越しても どの町でも
ぼくの一家が一番貧乏だった
山奥の開拓地から出てきた
読み書きもやっとの両親には
まともな仕事など見つかるはずもなかった
両親共働きだったので
運動会の日でも
学校の近くの父の仕事場の横にゴザを広げて
泥まみれ汗まみれの父と向かい合って
『貧乏人はこうなのかもしれないな』と思いながら
仕事前の早朝に
母の作ってくれた弁当を開きながら
何も話すこともない親子だった
ずっとぼくはその原因を
毎晩外を飲み歩く親父のせいだと思っていた
母が亡くなった葬式での
従兄弟たちの話しでは
重い腎臓病の祖母の薬代を
毎月ぼくの母が送っていたのだという
六人姉妹の中でただ一人
どの町に引っ越しても どの町でも
ぼくの一家が一番貧乏だった
山奥の開拓地から出てきた
読み書きもやっとの両親には
まともな仕事など見つかるはずもなかった
両親共働きだったので
運動会の日でも
学校の近くの父の仕事場の横にゴザを広げて
泥まみれ汗まみれの父と向かい合って
『貧乏人はこうなのかもしれないな』と思いながら
仕事前の早朝に
母の作ってくれた弁当を開きながら
何も話すこともない親子だった
ずっとぼくはその原因を
毎晩外を飲み歩く親父のせいだと思っていた
母が亡くなった葬式での
従兄弟たちの話しでは
重い腎臓病の祖母の薬代を
毎月ぼくの母が送っていたのだという
六人姉妹の中でただ一人