《白糠がアイヌ人の多い町だとは複数の見世物屋やテキヤから聞いていた。・・
私の店にも、澄んだ、目の大きな小学生の姉と三、四歳の弟が三日間、一日に幾度もやって来た。そんな時もいつの間にか二人は楽しそうに飴細工を見ている。
私は三日目の日中、とうとう一本ずつの飴細工をやってしまった。以前に室蘭の高市で苦い思いをしていたからだ。
室蘭は大都会・・
「なんだい、今日はお祭りだよ。せっかくの一年一回、今日は暇人と貧乏人しかいないのか、お兄さんだって焼酎代くらい稼がなくっちゃ今夜はどうすればいいんだ、頼む教えてちょうだい」などと啖呵をかませていた。
ところがこの時、ひとりの少女が目に涙を一杯ためている。そしてこのように言った。
「おじさん貧乏人って馬鹿にしているっしょ、あたいは買いたくても買えないの馬鹿にしてるっしょ」
白糠の二人に飴細工をやったのは、この時の苦い思い出が残っていたからだった。》(「間道ー見世物とテキヤ」より)
「間道ー見世物とテキヤ」(坂入尚文)は、去年読んだ本の中でも、故郷北海道に関しての本の中でも、ベスト3に入れたい本。
特に後半の、テキヤ(飴細工)になっての・・テキヤ仲間や各地の親分衆や極道との付き合いは、誰か映画にでもしてくれんもんだべか。僕が転々とした北海道の故郷も観られるし。
泣いて、笑って、歯軋りして、頷いて一気に読了した。
すっかり・・北見を舞台の「プリズンホテル」(浅田次郎の抱腹絶倒の傑作!)みたいな廃墟や、釧路や小樽や夕張のかっての廃墟に帰りたくなってしまったな・・
5年振りくらいに、今日読み返した「琉球共和国ー汝、花を武器とせよ!」の中で、著者の竹中労人自身が「三馬鹿トリオ」の一人と書いてたのが大田竜という思想家だった。
詳しくは「アイヌ民族関連報道クリップ」ー
「ここ」
部分的に引用するとー
《思想家故太田竜氏の「革命」一代 「妄想家か、辺境の擁護者か」
太田竜氏
5月19日に78歳で亡くなった思想家・太田竜氏は、その振幅の大きい活動で人々を戸惑わせてきた。新左翼の革命理論家から、「ユダヤの支配」を糾弾し、「爬虫(はちゅう)類的異星人が地球を支配している」と説いた陰謀論者へ。変転を突き動かしたものは「妄想」か、それとも「辺境」への視点だったのだろうか。
10代から左翼運動に身を投じた太田氏は1957年、革命的共産主義者同盟結成に参加する。中核派、革マル派などの前身である。その後、第4インターナショナル日本支部委員長に、さらに分派し、それも脱退した。創設した組織を次々と割っては新組織を立ち上げ、主張はそのたびに過激に先鋭になった。
70年頃からは琉球、アイヌといった「辺境」に着目し独自の革命論を追究し始めた。三菱重工ビル爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線にも思想的影響を与え(詳しくは戦後最高のドキメンタリー作家松下竜一「狼煙をみよ」参照をー)、70年代半ばに、マルクス主義は「帝国主義美化の反革命的思想体系である」として決別。80年代には自然食やエコロジー運動に傾倒し、参院選や都知事選に出馬。90年代以降の著作は、陰謀論や国粋主義の立場のもので占められていた。
めまぐるしい思想遍歴。太田氏とともにアイヌ像損壊事件で指名手配されたこともある元日本赤軍の足立正生氏は「あいつほど、組織を作っては壊し、決別を繰り返してきたやつはいない」と振り返る。教育学者の五十嵐良雄氏も突然「おまえは反革命だ。今後一切の関係を絶つ」と絶縁された。しかし五十嵐氏は「琉球もアイヌも、存在はしているが問題として認識されていなかった。彼は問題を発見する天才だった」と太田氏をなお評価する。
一方、陰謀論やオカルトに詳しい作家の唐沢俊一氏は「常に新しいことを言わねばならぬという強迫観念があったのでは」とみる。新左翼時代から、誰も取り上げない問題を理論化し先端を切り開いてきた自負が強く、過激さを追求していった結果が「陰謀論」だったというのだ。第4インター時代の元同志も、立川米軍基地襲撃など極端に過激な方針を指揮した太田氏は、当時から「壮大なる妄想家」だったと回想する。
代表的著作に『辺境最深部に向って退却せよ!』がある。見方を変えれば、正統マルクス主義から「辺境」をめざし、さらに動物実験反対、家畜制度全廃論など、常に代弁者のいない弱者へと寄り添おうとした点で、軌跡は一貫していたとも言える。
70年代から交友を続けた新右翼の鈴木邦男氏は「日本の左翼を作った人で、しかもそこに満足せず、変化し続けた。中途半端な僕のずるさをしかられているみたいで恥ずかしい」としのんだ。(樋口大二)》
◆漢字文明圏(中国、アジアの華僑、日本、朝鮮半島)の中心に、江戸時代までは独立国としてアジア交易の中心だった沖縄を再び独立共和国(日本列島先住民のアイヌ民族と沖縄にはその資格がある)として考えるべき時代なのではと思う。
恐らくここにしか、アメリカの属国的境遇や、将来の中国の属国的立場からの脱出口はないのではと思う。