詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

後藤新平(関東大震災後復興総指揮)、中曽根以降の日本、家船(えぶね)

2011年09月01日 | 大震災・原発事故
歴史についての以前のブログ記事をいくつか再アップしたい。
◆『後藤新平と「隅田川の橋」(大震災後橋を架けまくったーその後「予算がない」という官僚・政治家が出現してもその橋への道路を作らざるを得なくなるので・・)はー「ここ」
◆『驚くべき中曽根以降の国民共有財産強奪と自然・人間破壊』はー「ここ」 の道路を作らざるを得なくなるので・・)
◆『家船(えぶね)についての以前の書き込みを再度アップ』はー「ここ」

今日は関東大震災の日なので大震災と差別についての以前の日記をー

2011年09月01日 | 物語
(1)「比嘉春潮ー沖縄の歳月、自伝的回想録から」日本図書センター読了。
タイトルの本はー
著者が明治16年に生誕してからの約百年間の実に貴重な日本・沖縄の歴史的な証言だ。
明治後の沖縄と戦前日本を理解するキーマンのような位置にいた人の貴重な回想録だ。
出版社生活が長かったので、その頃の文学者のほとんどや、伊波普ユウ・柳田國男・折口信夫等の民族学者のほとんどや歴史学者のかなりの人々との交流も興味深い。
沖縄知事の秘書官的立場だったので、そこで後の警保局長・内務大臣になったエリート内務官僚に貸しがあったので(沖縄の辻と呼ばれる遊郭&社交場&宴会場で妓を紹介)その裏側にも詳しい。

特に興味深かったのは、関東大震災の後に、彼を含めて訛のきつい沖縄人の多くが、暴行を加えられたり、何度も殺されそうになったというエピソードだ。
反体制的と見なされたほとんど労働運動家や社会主義者のほとんどもまた拘束されて、大杉栄一家や亀戸の労働組合員等が軍隊に銃殺されたりした。
相当数の沖縄人や日本人でも言語障害のある人々や漂泊民的人々が、自警団の検問の際に「君が代」がうまく歌えずに、殺されたとも書かれている。

この頃東京で、浮浪者一歩手前の生活をしていた・・日本を代表する詩人の山之口獏や宮沢賢治もまた、そのような目にあったり、目撃したのではないかと想像できる。

(2)「間道ー見世物とテキヤ」坂入尚文(新宿書房2006年)という本は本当に面白い。芸大中退の著者の最初の見世物小屋がなんと、北海道・・

この国最大のタブー「聖と賤、差別と被差別」構造の秘密とは?
昨日やっと読了した「白の民俗学」のテーマを要約すると上記か。
けれども、それが沖縄やアイヌや日本海沿岸に共通するどころか・・
北陸・関東以北の被差別に特に多い白山信仰や、それとは反対に信州以西に多いシャクジ神・ミシャグジ神・宿神・魔多羅神等というより始原に近い信仰へとも遡りうるものだと感じた。

そして、このような日本史上最大の謎に初めて気がついたのが、昨日日記に書いたロシアの天才的民族学者ネフスキーだったのではと思う。
「海上の道」という最晩年の傑作を書いた柳田國男や折口信夫もまた当然、彼の話しや著作から当然気がついていながら・・天皇制や被差別という、この国最大のタブーの前で、身がすくんでしまったのかもしれない。

「四天王寺の鷹」にも、権力争いに負けた物部氏の半分は諏訪神社や信州以北へと敗走し、残りは四天王寺の奴隷(ここから今流行の雅楽の東儀氏が出てきた)にされ・・
というように負けた側の人々が次々と、寺社・天皇等の奴隷的身分に落とされ、それがまた近世には被差別等へという歴史の流れなのではないかと思う。

「白の民俗学」前田速夫(河出書房新社、2006年)から、差別についての柳田國男の慧眼を一部分だけ紹介したい。
《関東地方はエタの氏神は、例の浅草新谷町を始めとして、多くは白山神社を祇れり。
此点はすこぶる興味ある事実にして、他の特殊にもこの神を崇祇する例少なからず。
讃州木田郡下高岡村の白山相人は極めて卑賤なる陰陽師にて白山に仕ふ。生計の為に箕のを作る。
奥州地方の「モリコ」又は、「イタコ」と名づくる一種の巫女は口寄せを為すに、白山明神の名を唱へて祈る。
また甲州に昔日神筋と称する特殊ありしがごとき、何れも遇合には非ざるべし》(所謂特殊の種類」 柳田國男(大正二年『国家学会雑誌』より) 》

沖浦氏のサンカの起源への説明(徳川末期の凶天明等の大飢饉)が最も説得力があるのではと思った。
そして日本史上、最も似たものとしては北海道のアイヌではないかと思った。
サンカが関東以北で存在しないという理由もまた、古代以来の被差別というマージナル(境界)がなかったせいではと思う。

来る者は・・ライ病者だろうとなんだろうと拒まないという自由でアナーキーな漂泊民サンカ。
そして、現在とっくに幻の民となってしまったサンカが、僕らの関心を集めるのもまた
古代以来の生活の智恵や文化が、生きるために必要な時代になったからではないかと思う。
貧富差拡大の二極分解社会を生きる現代の智恵は、とっくに失われたサンカにあるのではとも思える。

この本を読んで何故サンカに魅せられてきたかという理由がやっとわかった。
それは一言で言うとー
「自由でアナーキーな漂泊民」だったからではないかと思う。
それを支えたものは、彼等の技術(夏の川魚漁や冬の竹細工等)だったのではと思う。
ライ病者を唯一暖かく受け入れた人々だったという事も特筆すべき特徴だったのかも。
ライ病者がその境内に多かった・・物部守屋の霊を祭った日本最古の仏教施設「四天王寺」(聖徳太子=秦河勝建立)と同様に、最も日本史では美しいエピソードの一つではないかと思う。
広島三次盆地にある日本唯一の「サンカ民俗資料館」を是非訪れてみたいものだ。

久しぶりに花火を満喫。縁日や寅さんや日本特産品・工芸品フェスティバルを!

2011年09月01日 | 物語
今日はテレビで隅田川花火大会を満喫だった。花火が大好きだった・・日本中を放浪して歩いた画家で貼り絵作家の故山下清さん連想を。

世界中の国々や地方で、この日本の花火や、日本特産品・伝統工芸品や、屋台や寅さんのような香具師・職人を紹介して歩いてはとそうかな思う。

ただこれは、他の官庁同様に利権第一の腐敗堕落した外務省では無理なので、新設『復興・災救・海外援助・原発管理省』に任せた方がいい。

日本にしかない紙くずを入れるとトイレットペーパーができる機械等の宣伝をかねてもいい。
原発や車・電気製品ばかりではなく、もっともっと世界の環境のために貢献できる素晴らしい機械や道具があることを宣伝しなければならない。
環境のためや、エコロジーのためのそれらこそ、人類や日本の未来を切り開く物たちだからだ。