ニューズウィークが、日韓関係のイザカイは構造的なものだから、それを前提とした国家間関係を築くべきであろうという在日韓国人の評論家の記事を載せていた。勝者問題も、結局日本は勝手に終結宣言をして、逆に韓国に馬鹿にされている。日本政府はもっと賢くなるべきであろう。
<100年の歴史を振り返れば分かる。のは、地政学的変化の反映でもあった>
徴用工、慰安婦、旭日旗、レーダー照射......。「互いを利してこそ日韓の国力は強まる」という元CIA諜報員の提言から、両国をよく知る在日韓国人の政治学者による分析、韓国人専門家がインタビューで語った問題解決の糸口、対立悪化に対する中国の本音まで、果てしなく争う日韓関係への「処方箋」を探る。
1991年に日韓で従軍慰安婦問題が噴出したのは偶然ではない。
1945年の第二次大戦終結後、冷戦で分断された朝鮮半島では南でも北でも軍事独裁体制が続いた。韓国では北朝鮮に備えることが、戦後同じ資本主義陣営になった「日帝」への恨みに優先され、その結果、存在していたはずの慰安婦問題は封印された。植民地支配に対する日本の賠償問題が1965年に日韓請求権協定によって「解決」されたのも、同じ理由からだ。
元慰安婦が韓国で名乗り出て日韓で社会問題化した1991年は、ソ連崩壊の年である。北の後ろ盾だったソ連による地政学的圧力の減少が、韓国の日本に対する敵意を解き放った側面は否定できない。
戦後50年に至らず、まだまだ戦争や植民地支配の記憶が生々しかった日本では「謝罪」の気分が支配的だったから、1993年に日本政府が慰安婦問題について事実関係に曖昧さを残しながら、河野談話で「取りあえず」強制性を認め謝罪したのは必然の結果だった。この後、慰安婦問題がくすぶりつつも、2002年のサッカー・ワールドカップ共催や日本における韓流ブームが象徴する「雪解け」「和解」の状態が続いたのは、この時の謝罪の効果だ。しかし、それも長くは続かなかった。
韓国で反日感情が再噴出するのは、2011年に憲法裁判所が「慰安婦問題解決に努力していない」と自国政府を叱責する違憲判決を下したことが直接のきっかけだ。「加害者と被害者の関係は1000年たっても変わらない」(朴槿恵〔パク・クネ〕元大統領)という韓国人の意識と、戦後70年を超えて戦争や植民地支配の記憶が薄れつつある日本人の意識の乖離が相互不信の根底にはある。
しかし「朝鮮半島アイデンティティー」を呼び覚ましつつある韓国が北朝鮮との統一に引き寄せられ、日本やアメリカから離れ始めるという地政学的な変化もまた、両国の関係悪化と無縁ではない。
トンネルの出口が見えないどころか、不信のスパイラルは急速に悪化する一方で、日韓は構造的不仲を前提とすべき時を迎えている。覚悟が必要だ。