
コロナ一色だった大型連休明けの国会審議に、突如割り込んだのが検察庁法改正案だ。
東京高検の黒川弘務検事長の定年を延長する閣議決定を受けて、自民党が検察庁法改正案の審議を5月8日に強行したからだ。
立憲民主などの主要野党は委員会審議をボイコット。これをきっかけにツイッターで抗議デモが始まり、あっという間に500万件をこえる書き込みが殺到する、極めて異例の事態となった。
勢いづいた野党は安倍晋三首相を「火事場泥棒」などと批判するが、自民党は今国会での同法案の成立に突き進む構えを崩していない。ただ、ネット世論の激化も絡み、与党内からも採決強行に反対する声が出始めており、今後の展開に不透明感が増してきた。
広がる法案反対への賛同者
コロナショックでいったんは沈静化していた黒川氏の定年延長問題が再燃したのは、5月8日の衆院内閣委員会がきっかけだった。国家公務員や検察官の定年を段階的に65歳まで引き上げるための関連法改正案審議を開始したが、主要野党が求めた森雅子法相の出席を自民党が拒否。主要野党が審議を欠席する中、自民・公明と日本維新の会が審議を進めたことで攻防が激化した。
これにすぐ反応したのがインターネットだった。週明けにかけて「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグをつけた投稿がツイッター上にあふれ、なおも拡大している。普段は政治的発信を控えている俳優や漫画家らも参戦し、例のない規模でのネット大炎上となった。
10日朝に「このコロナ禍の混乱の中、集中すべきは人の命。どうみても民主主義とはかけ離れた法案を強引に決めることは、日本にとって悲劇です」と投稿したのは演出家の宮本亜門氏。さらに女優の小泉今日子さんらも続き、参加者と賛同者の幅広さがこの問題への関心の強さと批判の奥深さを浮き彫りにした。
これを受け、11日に衆参両院の予算委員会で行われた集中審議では、立憲民主の枝野幸男代表が「違法があれば総理大臣すら逮捕できる検察庁の幹部人事を、内閣が恣意的にコントロールできるという大問題。どさくさ紛れに火事場泥棒のように決められることではない」と安倍首相を痛罵した。
これに対し、安倍首相はこれまで通り答弁メモを棒読みし、「今国会で法案を成立させる必要がある」と反論したうえで、「法案審議については国会が決めること」とかわした。
続く共産党の宮本徹氏の「三権分立を揺るがす独裁者の発想だ」との批判に、安倍首相は「内閣の恣意的な人事が今後、行われるといったご懸念はまったく当たらない」と反論。宮本氏が「ツイッターで著名人を含めて市民、国民が意思表示した。これをどう受け止めているのか」と質しても、安倍首相は「先ほど答弁した通りであります」と語るのみだった。
参院では立憲民主の福山哲郎幹事長が、政府が国家公務員法改正案と一本化して提出した検察庁法改正案の分離審議を求めたが、安倍首相は「政府としてはすでに法案として提出している。国会でしっかり議論をしていただきたい」と繰り返した。
岸田、二階両氏は丁寧な審議を求める
国会内外での批判の高まりを無視するかのように、自民党の森山裕国会対策委員長は11日、「(検察庁法改正案などは)今週中に参議院に送付したい」となお強気の姿勢を維持した。自民党は「14日の衆院内閣委で可決、15日の衆院本会議で可決・参院送付を目指す」(国対幹部)というスケジュールを描いており、そこには「14日はコロナでの自粛解除の条件が示されるから、検察庁法改正案への国民の関心は薄れるはず」(同)との読みもにじむ。
ただ、自民党の岸田文雄政調会長は11日、「これだけ国民の関心が高まっているわけだから、政府は国民に対する説明責任を果たさなければいけない」と発言している。二階俊博幹事長も「どさくさに紛れているつもりはまったくない。時間が足りなければ、国会の人たちが知恵を出すことになるので、心配することはまったくない」とあえて丁寧な審議を促した。
さらに石破茂元幹事長は11日夜の民放BS番組で、抗議のツイートの爆発的拡大について、「国民主権というものが『勝手は許さないよ』と圧力をかけている。私たちはそれに応える義務がある」と、自民党の採決強行方針を批判した。
一方、日本弁護士連合会も11日、副会長らが記者会見し、「政権が検察人事に強く介入することを許し、検察官全体に委縮効果をもたらす」などと語り、日弁連としては異例の2度目の反対声明を出した。
この問題は、政府が1月末に定年による退任が確実視されていた黒川氏の定年延長を閣議決定したことが発端だ。今回の検察庁法改正案の施行は2022年4月からで、黒川氏の定年問題と直接関係するわけではない。しかし、「脱法行為」と批判された黒川氏の定年延長を「政治的、法的に事後追認させる狙いがある」(法曹関係者)との指摘もある。
しかも、法案には同時に、内閣や法相の判断で個別に検察官の定年を延長できる規定が新たに盛り込まれている。だからこそ主要野党や一部マスコミが「検察の独立性を侵す」と批判するわけで、これまでのところ、安倍首相や法相が「なぜ今、法改正する必要があるのかをまったく説明できていない」(同)のが実態だ。
公明や維新からは不安の声も
安倍首相は、黒川氏の定年延長閣議決定後に、これまでの政府見解との違いを指摘されると、突然「法解釈を変更した」と発言。これを受けて、法務省や人事院などが「慌ててつじつま合わせに走る」(立憲民主幹部)というドタバタ劇もあった。しかも、検察内部からも「検察への国民の不信を招く」(有力検事正)などの意見が出るなど、現場からの反発も目立った。
自民党は今のところ、安倍首相の意向も踏まえ、「なんとしてでも今国会で成立させる」(自民国対)としており、結果的に会期内成立の可能性は高いとみられている。ただ、公明党や維新には「強行採決に協力して、自民批判の巻き添えになるのはごめんだ」(維新幹部)との不安も出始めている。
しかも、自民党は公選法違反での検察捜査が続いている河井克行前法相と夫人の案里参院議員という火種も抱えている。逮捕された政策秘書らの裁判が進み、「捜査の進展次第では近い将来、河井夫妻の逮捕の可能性もある」(司法関係者)とされる。ただ、「議員逮捕は検察首脳の決断次第」(同)なのも事実で、だからこそ「官邸の守護神」と評される黒川氏の動向が注目されている。
そこで、政権批判の回避策として政界でささやかれ始めたのが「首相は黒川検事総長を断念せざるをえないのでは」(閣僚経験者)との見方だ。稲田伸夫・現検事総長が65歳の定年に達するのは2021年8月14日。稲田氏が慣例とされる在任2年(2020年7月)での退任を拒否すれば、8月初めまで半年間延長された黒川氏の定年を再延長しない限り、黒川検事総長の道は閉ざされる。今国会で強引に改正法を成立させても、「結果的に黒川検事総長がなくなれば、安倍政権への批判は『ぱっと消える』」(自民長老)というわけだ。
もちろん、「いまだにアベノマスクにこだわる首相が、簡単に黒川検事総長をあきらめるわけがない」(自民若手)との声も少なくない。ただ、安倍首相の任期は2021年9月末。それまでの衆院解散か任期満了選挙が取りざたされる中で、「あえて黒川検事総長を誕生させれば、選挙での自民党への逆風を強めるだけ」という自民党内の不安も拡大している。
緊急事態宣言の5月末解除に向けて神経を尖らせる安倍首相にとって、「これ以上黒川問題に深入りすれば、コロナ以外での政権の火種になる」(自民長老)のは間違いない。それだけに、「(安倍首相の)心の中は千々に乱れている」(周辺)との見方が広がっている。