先端技術とその周辺

ITなどの先端技術サーベイとそれを支える諸問題について思う事をつづっています。

「 IIJ、ドン・キホーテと呼ばれても」意地でインターネットに参入

2020年05月25日 08時16分54秒 | 日記

2019年日経電子版で連載した「ネット興亡記」で、インターネットイニシアティブ(IIJ)創業者の鈴木幸一氏の苦悩話が掲載されていた。なかなか面白いので、メモって見た。

IIJはなじみのない企業であるが、インターネットの中枢を握る、インターネットバックボーンを抑えている唯一の民間企業である。Wikipediaも解説を引用する::::::

国内外の主要なインターネットエクスチェンジとのピアリングも積極的に推進し、電信電話系ではないIP通信専業のISP事業者としては国内最大規模の主要都市間を接続するインターネットバックボーンを独自に構築している。また、アジア太平洋地域の国際バックボーンであるA-Boneの構築にも関与するなど、インターネット接続環境の整備にインフラ面で大きな貢献を果たした(1995年に株式会社アジア・インターネット・ホールディングを設立。2005年に吸収合併)。

主要な顧客層は官公庁と法人で、11,000社以上を抱える。特に、高度・大規模なシステムインテグレーションを必要とする大企業に対するシェアは圧倒的で、各業界トップ10企業の半数から、セクターによっては大半の主要企業を顧客とする。

IIJ自体が村井純・吉村伸を始めとするWIDEプロジェクトのメンバーが中心となって設立された企業である関係から、現在もWIDEプロジェクトやEPCglobalを始め、インターネットに関する研究・調査・実証実験・標準化等の活動に積極的に参画している。ISP事業者の中では、研究投資の比率は比較的高い方である。

 

 

日経の「ネット興亡記」に戻る::::::::::::::::::::::::::::::

 

商用インターネットの事業化を認めようとしない政府との苦闘を語る。会社はつくったものの何も出来ない「空白の1年3カ月」。鈴木氏は思い切った行動に出た。

この国のインターネットはいったい誰がどうやって始めたのだろうか。その起源をたどれば、ある男が経験した苦悩の物語があった。

鈴木幸一の個人オフィスに2人の知人が訪ねてきたのは1992年の夏のことだった。ひとりは慶応義塾大学助教授(当時)の村井純。84年に大学を結ぶネットワーク「JUNET」を築き、現在では「日本のインターネットの父」と呼ばれる。もうひとりはアスキー部長の深瀬弘恭だった。

「今こそ日本にインターネットを広げる時です。やりましょう」

2人は鈴木に、日本で初となる商用インターネット接続事業会社の設立を持ちかけた。2人が来訪するまで昼寝していたという鈴木は面食らうが「インターネット」と聞くと、熱い思いがこみ上げてきた。鈴木は当時、46歳。脱サラして個人で経営コンサルタントをしていたが、インターネットには並々ならぬ関心があった。

 「インターネットは20世紀最後の技術革新。(それまでは電算機と言われた)コンピューターと通信が同じ技術基盤の上で動く。どんなものができるか、想像するとすごいものになるなと。世の中の仕組みを変えてしまうようなことが起きると思っていました」

 

 

 

■21世紀の覇権を占う技術

3人はそのまま居酒屋に場所を変えて気炎を上げた。村井と深瀬が「今こそ日本にインターネットを」と力説する理由が、鈴木には理解できた。冷戦が終わったばかりの当時、米国がいち早く動いていたからだ。

 「日本が戦後に製造業で稀有(けう)な経済復興を遂げると、米国は(製造業では)ついてこれなくなった。だが同時に金融や通信のプラットフォームを米国が独占することで21世紀に再び世界の覇権を握るという意識で議論もし、政策も打ち出していた。単なる新しい道具、おもちゃとして考えた(日本という)国のインターネットに対する態度とは全く違うものだった」

鈴木は「誰もやらないのはまずい」と思い立ち、この年の12月にインターネットイニシアティブ(IIJ)を設立した。だがそれは、苦難の始まりだった。

村井と深瀬は「東京電力から10億円単位の出資を受ける話をつけている」と言っていたが、東電幹部に聞くと「そんな約束はしていない」。集まった資本金は1800万円。100年をかけて築かれた電話にとって代わる通信インフラを担うには、話にならない額だ。

大企業に出資を持ちかけても相手にされなかった。新日本製鉄(当時)の幹部には「インターネットが事業で使われるようなことになれば、全裸で逆立ちして銀座を歩いてみせますよ」とまで言われた。

 「『面白そうだけど使えないんじゃないか』という意味でした。あの頃は天井に届くほどの分厚い提案書を書いた。でも、彼らが生きてきた世界とは違っていた。これほど無理解かと思いましたが、僕も片意地を張って始めちゃった」

 「それでも絶対に変わらなかったのが、これが世界の覇権にかかわる技術なんだという思いです。もう、バカみたいに、ドン・キホーテみたいに、でもやろうと。錯乱と言えば錯乱ですね」

■証明不能の難題

鈴木に立ちはだかったもうひとつの壁が役所だった。インターネット接続事業を始めるには国の認可が必要だが、監督官庁の郵政省(現総務省)の幹部は「通信は公益事業」と言い、鈴木にこう言い放った。

「IIJが絶対に潰れないという証明をしてください」

あっけに取られる鈴木に「例えば3年間、全く契約を取れないということもあり得るでしょう」と言う。それでも倒産せずにサービスを続けられる証明をしてみろというのだった。

まさに証明のしようがない「悪魔の証明」――。鈴木の目に、郵政省は認可する考えなど毛頭ないように映った。

 「日本はちゃんとした良い国なんだと思います。ちゃんとした仕組みがあり、だからそれを壊せない。でも、許せないと思いました」

 

インターネットという技術革新とともに人生を歩んだ

インターネットという技術革新とともに人生を歩んだ

 

IIJは事業を始められないまま時間を浪費していく。資金はすぐに底をつき、鈴木は金策に走るが、次第に社員への給与の支払いにも窮するようになった。IIJのオフィスは解体されることが決まっていた廃屋のようなビルに入っていた。ブラインドを買う金もないため、社員が席に日傘を持参していたほどだ。

 「まるでお化け屋敷。(食費を切り詰めるため)会社で飯ごうで米を炊くバカがいて、大家さんにも怒られました。でも、僕も給料をちゃんと払えと言われれば『確かに』と言うしかない。だから(他の階の空き部屋に)卓球台を持ってきて、給料日が近づくとそこに逃げこんだ。社員は『また(社長が)いない』と」

 「社員はそんな食っていけるかどうかも分からないような技術を勉強していた変わり者たちですが、みんなトップのエンジニアだった。みんな若くて協調性はゼロだけど熱いパッションを持っている。会議でよくケンカになってペットボトルを投げるので、会議室には持ち込み禁止にしました」

鈴木はついに覚悟を決めた。友人のツテで郵政省幹部と新年会を開いてもらうと、その場で「このままの状況が続くなら郵政省を提訴する」と迫ったのだ。すると後日、郵政省から「条件は3億円の財務基盤を示すこと」という連絡が入った。

■ヤマト運輸トップからの手紙

さっそく銀行を回った鈴木。突破口になったのが住友銀行(当時)だった。役員が20分だけ会ってくれるという。熱弁を振るう鈴木に、その役員が最後に、インターネットのユーザーはどれほど増えそうかと聞いた。当時は研究者を中心に1000人ほどだが、10年後には最低でも3000万人になると言う鈴木。その役員がこう言った。

「ほう、3万倍か。そこまでのホラはなかなか聞けないな」

すると、こう付け加えた。「私は正直、インターネットのことは分からないけど、あなたの顔は失敗する顔じゃないね」。1億円の融資保証を約束すると言う。これに他行も続き、鈴木は「3億円の保証」をかき集めた。「悪魔の証明」が解けた瞬間だった。

ちなみに鈴木の「ホラ」は外れた。10年後の日本のネット人口は7700万人を超えていたからだ。

 

米ナスダック上場から6年後の2005年12月、東証マザーズに上場した

米ナスダック上場から6年後の2005年12月、東証マザーズに上場した

 

そして1994年2月28日、ついにIIJに認可が下りた。なじみのバーで一杯ひっかけてから、鈴木はオフィスに向かった。

 「みんな喜びを忘れるくらいへたっていたよ。毎日会社に来てもやることがないから。でも『やっとできるよ』と」

 「僕も破産間近だったけど、(役所は)IIJが何を言っても無関心。これは訴訟しかないなと思いました。唯一応援してくれたのが会ったこともない人だった。ヤマト運輸(元社長)の小倉(昌男)さん。『君は役所とケンカしているそうだね。がんばれ』という内容の手紙が来た。あれはうれしかったねぇ」

激しく役所と対立しながらも宅配便を生み出した小倉は、分野は違えど国を相手に信念を曲げずに戦う鈴木の気骨を買ったのだろう。この国にインターネットをもたらした鈴木は73歳になった今もIIJ会長として陣頭指揮をとる。鈴木にとってインターネットとはなんだったのか。

 「なんでこれで人生を潰しちゃったのかな、とね。僕は本来、本を読むのが好きだったのに。本当にこの世界が僕にあっているのかどうか……。でも、ついついはまっちゃった。空間と時間の概念を根本的に変えたインターネットという技術革新は、やっぱり面白い」


ポストスマホは「音声」が主役?? しかしやはりスマホが主役!!

2020年05月25日 07時38分53秒 | 日記
 
LINE

2017年の記事ではあるが、CNetJapanにポストスマホは音声という、LINEの創業者の見解記事が出ていた。  当時は、スマートスピーカーが流行り始めており、音声コマンドでインターネットなどが簡単にできると言う事で、さらにAIを導入して、音声コマンドをより広範に高精度で行ったらというのがこの会談の結論。しかし、2020年は、TV 会議の復活で、スマホで、TV 会議飲み会。もしか、したら、日本人の50%はZOOMを使ってはいないだろうか? そして言えるのはポストスマホはスマホではなかろうか?しかしSY¥スマホはスマホではなくなる? ではどう変わる?それをとらえたものは、次の成功者だろう!


2011年の東日本大震災をきっかけに生まれたメッセージアプリ「LINE」は、長年にわたり電話とメールが主流だった日本のコミュニケーションスタイルを、わずか数年でガラリと変えた。そして2017年、LINEはAIと音声によって再び人々のコミュニケーションに革命を起こそうとしている。

 上場しても「スピードは落ちてない」

――LINEが生まれてから間もなく6年が経とうとしています。現状をどのように評価していますか。

舛田氏 : おかげさまで数億人に利用していただけるコミュニケーションサービスになり、プラットフォームとしてゲームやスタンプなどの事業も生まれました。また、ニュース事業では王者ヤフーの背中が見えるところまで成長できましたし、そのほかの事業も順調に成長しています。これを一言で表すなら「幸運」だなと。努力はしてきましたが、会社全体として運が良かったと思います。

 ただ、我々の経験から痛いほど分かっているのは、こういった幸運はサボればなくなる、変化をし続けなければなくなるということです。ですので、社内で「成長してよかったね」という空気が流れている期間があったかというと、恐らくこの6年間一度もなかったと思います。もちろん、(目標の達成や上場など)イベントごとにみんなで喜びましたが、そのあとみんなの顔を見るとすぐに戦闘モードになっているんですね。経営陣ではなく自分たち自身で、気が緩まないようにしている。次の10年目、20年目に向けて、そこは変わってはいけない精神だと思っています。

――2016年7月には上場も果たしました。社内外で変化や影響はありましたか。

出澤氏 : 変化という意味では、まだ我々が一番弱小な勢力ではありますが、世界的なプレーヤーと同じフィールドで戦える準備ができたと。非常に強いグローバルな企業と戦っていくには、ありとあらゆるリソースが我々には足りない状況でしたが、上場することで資金を調達して、新たな人材が入りやすい状況になってきましたし、日米同時に上場したことでグローバルな企業からもいろいろなオファーをいただけるようになりました。そこが一番大きなメリットというか、我々が得たものだと思います。社内の雰囲気についても舛田が言った通り、みんな高い目標を持っていて、ユーザーに価値を提供したいという思いが強いので、そこまで変わらないですね。

ニューヨークでの上場の様子
ニューヨークでの上場の様子

――上場するとスピード感が失われるのではないかという懸念もありましたが。

出澤氏 : それはないんじゃないかなと思います。往々にしてスピードが遅くなるのは、組織が肥大化する中で、縦割りになったり、官僚主義的になったりすることだと思います。そこは非常に工夫をしていて、まず役職の階層を薄くするために、経営陣、ミドルマネジメント、一般従業員の3レイヤーくらいに分けています。また、プロジェクト単位でチームビルドして、プロジェクトが終わったら解散するというフレキシビリティを担保する組織設計をしているので、スピードが落ちたとは思っていません。逆に、上場準備中のほうがプロセス上の問題で動けないこともあったので、そこから解放されてこの1~3月はサービスのリリースが続いていますし、動きも早くなっているように感じますね。

撤退する事業には「次がある」

――現状、伸びている事業と苦戦している事業をそれぞれ教えてください。

出澤氏 : 2016年に伸びたのはニュースですね。(公式アカウントを開設してニュースを配信できる)アカウントメディアに参画いただけるメディアが増えて、ニュースソースが多様化したことと、LINEに追加したニュースタブがかなりうまくいっていて、ユーザーからも非常に好評です。また、「LINE Pay」は1000万アカウントを超えましたし、「LINEモバイル」はリアル店舗も順調に立ち上がっています。

2月にLINEアプリを大幅刷新して「ニュース」タブを新設
2月にLINEアプリを大幅刷新して「ニュース」タブを新設

舛田氏 : 上手くいかなかった事業はもう整理をしています。我々は判断が早い会社なので、この方向じゃないなと思ったら閉じるようにしています。ただ、注意してみていただくと分かると思うのですが、閉じたサービスの中で何もアクションをしなかったものはないんです。たとえば、フードデリバリーサービスの「LINE WOW」を閉じましたが、その領域を諦めたわけではなく、次に出前館という業界ナンバーワンの会社の筆頭株主になりました。また、過去には「LINE KIDS動画」というサービスがありましたが、そのチームが次に進んだのが「LINE LIVE」です。

 実は終了するプロジェクトには、その理由と次のアクションが社内では走っているんです。1つ1つチャレンジして検証を進めるのが我々のやり方で、大きくどーんということはそこまでないですね。たとえば、LINEモバイルも最初から全国に店を開いたらいいじゃないかというお声もいただきましたが、やはり大事なのはそのサービスがユーザーニーズと合致しているかどうかです。合致していることが確認できれば、いつも通りアクセルを踏みますし、そのアプローチが違うならまた次のアプローチに切り替えるというのが、我々のある種ものを作っていく時のルールになっていますね。

――各事業の進捗も聞かせてください。LINEモバイルは、3月から全国の店舗展開やテレビCMを開始しました。“コミュニケーション”に続き、“通信”の領域もシェアを獲りにいくフェーズに入ったということでしょうか。

LINEモバイルではIoTを見据えていると舛田氏
LINEモバイルではIoTを見据えていると舛田氏

舛田氏 : 「なぜ、LINEがモバイル事業なのか」というご質問をいまだにいただきますが、我々はスマートフォンで生まれたサービスで、スマートフォンによって成長してきました。ただ、日本におけるスマートフォンの比率は徐々に増えてはいるものの、まだまだ低い。私どもとしては、スマホユーザーが増えていけさえすれば、ユーザーに価値のある体験を提供できると思っています。

 もう少し広い視点でみると、我々は「Closing the distance」というミッションを掲げていて、“人ともの”をつなぐと言っているんです。IoTの領域ですね。ここを考えると、当然そこはWi-Fiだけでは普及しきらないですし、そもそもWi-Fiが家に飛んでいるかどうかも分からないという方も非常にたくさんいる。その中で、IoT領域においてどのような形でLTEを普及させていくか。そういった観点から、LINEにとってモバイル事業は非常に重要な位置づけだと思っています。

――続いて、モバイル決済サービスの「LINE Pay」について。日本で資金移動業者が送金サービスを提供するには、送り手と受け取り手の双方が免許証などで本人確認をしなければならず、友人間などで気軽に送金するには適していません。この状況をどう考えますか

舛田氏 : まず、我々が考えているのは、スマートフォン上のウォレット(財布)になることです。そのためには、ユーザーのお金とつながっていなければいけませんので、クレジットカードやプリペイドカード、銀行などとの連携や整備に時間をかけてきました。入金があれば出口が必要ですので、2016年の後半からはコンビニと協力して、いろいろなところで(プリペイド形式の)「LINE Pay カード」によるオフライン決済を可能にしました。

「LINE Pay カード」
「LINE Pay カード」

 個人間送金もそうした手段の1つだと思っています。個人間送金だけで何かをしようという考えはまったくないんですが、ウォレット機能の1つとして個人間送金や個人と法人間の送金なども視野に入れています。本人確認についても、「ここまでの使い方については認証が必要ですよ。ただ、この使い方については認証は少し軽くできるんじゃないか」といったことを、まさに我々の中で日々検討を進めているところですので、どんどん使いやすい形に変わっていくと思います。サービスのどこでつまづいたか、どこでアクティブになったかという、ユーザーの利用データもかなりの量が溜まってきているので、そこからいろいろな展開を考えています。

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ポストスマホは「音声」--LINE流の攻め方

――3月に発表したクラウドAIプラットフォーム「Clova」についても詳しく聞かせて下さい。AI事業への本格参入を決めた狙いは。

出澤氏 : LINEはスマートフォンで大きくなった会社ですが、スマートフォンの“次”を真剣に考えるタイミングにきていると思っています。IoTによってあらゆるものがインターネットにつながり、ディープラーニングから始まるAIも進化しています。その中で、ポストスマホの世界でいうと、次は“音声”がひとつの大きなテーマになるという確信があって、PCのOSやスマートフォンのアプリストアよりも非常に大きいエコシステムが生まれると思っています。それは、「Amazon Echo」や「Google Home」など海外のトレンドを見ていても分かります。

 そこに対して我々もチャレンジするということです。音声の領域では、これまでのインターネットよりも生活に溶け込んでいく、日常生活で普通に会話をする感覚でものとつながります。そういう世界では、ローカルな感覚や言語、コンテンツが重要になりますが、我々は(世界各国でメッセージサービスを展開することで)そこに強みを持っています。社内で議論して、次に挑戦する領域として相応しいだろうと判断し、現在は舛田と慎(同社取締役の慎ジュンホ氏)がリードしてプロジェクトを進めています。

ポストスマホは“音声”が大きなテーマになると出澤氏
ポストスマホは“音声”が大きなテーマになると出澤氏

舛田氏 : 恐らくスマートフォンが1人1台の世界になったからこそ、そこですべてを完結させることが難しくなってくると思うんです。実際、下を向いてスマホをずっと見続けることは生理的に不自然ですよね。情報とインターフェースの関係を考えていくと、ディスプレイやタッチ操作に縛られている世界の次に行く必要があると思います。(音声認識について)すごく原始的なことだと思うんです。声であるとかモーションであるとか、視覚も含めて、そういったところがデバイスとうまくリンクして、いろいろな情報やサービス、コンテンツなどを呼び出せる。そこで重要になるのがコミュニケーションです。

 音声でやり取りするには、コミュニケーションがなければいけませんので、そこはLINEを提供してきた我々の得意分野なんだろうと。そして、音声で検索をしてレコメンドして返すところも、グループのNAVERが10年以上やり続けてきた、ある種のコアテクノロジです。この2つのコアテクノロジと、我々が日本と韓国で大量に保有しているデータを活用して、どのようにAIに学習をさせていくか。たとえば、コマースで取れるデータは確かにマネタイゼーションでいうと金の卵ですが、人はただものを買うだけではありません。環境に溶け合う状態を作り出すにはもっと幅広いデータが必要なのです。データの量と種類に関しては、恐らく我々が日韓ともに1位ですので、非常に強みは出てくると思います。

 そして、もう1つのコンテンツとサービスですが、音声デバイスとして、どういう体験がいいのかという答えはまだ誰も見つけられていません。これを見つけ出すには、クラウド側のAIとつながるサービスやコンテンツが一体でないといけない。我々は、キラーサービスとして日本ではLINE、韓国ではNAVERを持っていますので、音声デバイスが普及していく中で、グッドケースを作り出せるのではないかと思います。ただ、我々はデバイスのプロではありませんので、ソニーやLG、タカラトミー、そして“俺の嫁”(バーチャルホームロボット「Gatebox」)を開発するウィンクルなどの企業とコラボレーションすることで、デバイスからアウトプットまでのユーザー体験を一気通貫で提供できると思います。

バーチャルホームロボット「Gatebox」を買収することを発表
バーチャルホームロボット「Gatebox」を買収することを発表

――お二人は「Amazon Echo」や「Google Home」を実際に使われたのでしょうか。また、その感想も聞かせてください。

出澤氏 : 当然ながら使ってはいて、やはりこの領域はくるよねという感想です。また、英語の認識精度をAmazon EchoとGoogle Homeで使い比べたりしています。ただ、それと同時に使い続ける必然性がなければいけないとも感じていて、そこをちゃんと見つけたいと思っています。

舛田氏 : (使ってみて)私もありだなと思うのですが、やはりまだ正解ではないと思います。音声でできることって少ないんです。非常に便利なんですが、(スマートフォンに比べて)求めるアウトプットに対する情報量が当然少なくなるんですね。音声だからこそのキラーサービスやコンテンツが必要で、大体思いつくのが、リマインダや音楽、占い、ニュース、天気予報、あとはスマートホームなどの用途ですね。この辺りは、音声デバイスのかなり表面的な部分だと思っています。音声スピーカ「Amazon Echo」(左)と「Google Home」(右)

 なので実は私、いま非常に楽しいんです。これまではスマートフォンを中心に、LINEと連携させたらこうなるよね、ということを考えてきたんですが、音声デバイスはゼロイチで考えられます。たとえば、リビングだったら、ベッドルームだったらどういう使い方なのか。もし、スピーカではなくウェアラブルデバイスのような形だったら、音声はどこまで助けてくれるんだろうということを模索しています。

 結局、音声デバイスってただのコマンドマシーンなんですよ。要求すれば答えてくれますが、それ以上でもそれ以下でもない。これをもっともっとアクティブにしていくには、デバイス側からの発話が必要です。つまり、ルールベースとコマンドがハイブリッドでなければいけないんです。なので、Clovaはハイブリッド型で設計していて、ここが差別化のポイントになると思います。

Clovaはハイブリッド型で設計している
Clovaはハイブリッド型で設計している

 心地よい距離でパートナーとしてそばに置いておきたいと思われるには、コミュニケーションが重要ですし、そこには表現力も必要になると思います。もしかしたら、いろいろな“人格”があるべきなのかもしれません。実は(音声認識は)ここの戦いなんじゃないかと思っています。搭載されているレコメンデーションの精度については、どれだけデータを学習させ続けるかということなので、最終的には各社それほど変わらなくなっていくはずです。

――夏に発売するAI搭載スピーカ「WAVE」では何ができるのでしょう。

舛田氏 : 日韓で少し違ってきます。NAVER側が持っているサービスは韓国版WAVEにつながりますし、日本ではLINEが提供するサービスの一部がつながります。(メッセージアプリの)LINEは当然、使えるようにします。あとは音楽やニュースなど、まさにベーシックなサービスですね。WAVEに関していうとショーケースというか、まずはIoTデバイスのプロトタイプとして開発しています。なので、夏に発売するWAVEは、かなりオーソドックスなものになると思います。これをベースに、さまざまなパートナーと、それぞれのデバイスに必要なコンテンツやサービスを出していくマイルストーンになります。恐らく、2018年ごろからいろいろなデバイスが出てくると思います。

AI搭載スピーカ「WAVE」
AI搭載スピーカ「WAVE」

――WAVEはいくらで販売するのでしょうか。

出澤氏 : 良い質問ですね(笑)。

舛田氏 : (最新の)iPhoneのような値段ではないですよ。そこまで手が届かないものにはしません。ただ、いままさにどういうビジネスモデルにすべきかを考えているところです。


LINE、国民的アプリには、2人の男の敗北の歴史があった。

2020年05月25日 07時38分37秒 | 日記

日経電子版が昨年連載していた「ネット興亡記」に、LINEの物語があった。なかなか面白いので、メモった。今や国民的アプリとなったメッセージサービスLINEには、2人の男の敗北の歴史があったという。

LINEの軍師と言われるCSMO(最高戦略マーケティング責任者)の舛田淳。LINE誕生に深くかかわった舛田は、高校を中退し、バイクのエンジン工場などで働いていたが「違う世界を見たい」と一念発起して早稲田大学に進んだ。

 

そこで出会ったのが1学年上の山田進太郎だった。後のメルカリ創業者である。いち早く自力でインターネットのサービスを作っていた山田の姿に衝撃を受けた。

 「進太郎さんはサークル活動にもインターネットとパソコンを持ち込んで『早稲田大学のデジタル化』を進めていた。『(先に)やられちゃったな』と思いました。憧れと少しの悔しさがありました」

放送作家の卵として働きながらも次第にインターネットの世界にのめり込むようになった舛田。会社を転々としていた時に、中国・検索最大手百度(バイドゥ)の創業者、李彦宏から誘われた。日本進出を狙う百度。検索の王者として君臨する米グーグルに「四つ相撲は無理でも一刺しできるのではないか」と考えた舛田は27歳で百度に移った。だが、そこでグーグルの威力を思い知ることになる。

 「やっぱりグーグルはすごいのひと言です。世界中から天才たちが集まり、最高の環境でひとつのミッションに従ってやっている。ちょっとやそっとじゃ歯が立たない。『全体で勝てないなら局地戦だ』と画像検索に力を入れたり色々なことをやりましたが、結局は『これは勝てない』と。もう、勝負をする前に負けている状態でした」

打ちのめされた舛田は百度を後にする。そこに声をかけたのが韓国の検索最大手ネイバーの日本法人社長、森川亮だった。ネイバーは2000年に日本に進出したがグーグルに蹴散らされるように05年に撤退。だが森川によると再上陸を計画していると言う。

 「百度とネイバーが違うのは、ネイバーが一度負けているということです。負けた反省点に立っていたことに共感できました。しかも、口で言うだけでなく実践しようとしていました」

日本で勝つには「本国からエースが来ないとダメだ」と言う舛田に対し、森川は検索の絶対的エースが韓国から来ると力説した。それがシン・ジュンホだった。舛田に会ったシンは「僕は成功するまで韓国には帰らない」と言う。その言葉に、心が動いた。

 「この人とならもう一回チャレンジできるんじゃないかと、スイッチが入りました。それにやっぱり心残りでした。こんなに負けきったことはないとまで思わされていましたから」

08年10月、ネイバージャパンに入社した舛田に、森川とシンは「あなたの仕事は(グーグルに)勝つために必要なことすべてです」と言う。とはいえ、グーグルの壁は高く厚い。どうすれば今度こそ、その壁を破れるか――。舛田はひとつの会社に出合うことになる。かつて「ヒルズ族」の象徴のように語られたライブドアだ。

■ライブドアにラブコール

 

舛田氏は最高戦略マーケティング責任者としてLINEをけん引する

舛田氏は最高戦略マーケティング責任者としてLINEをけん引する

 

社長の堀江貴文らが証券取引法違反の疑いで逮捕されてから3年近く。旧知のライブドア幹部から売却の入札にかけられている事実を聞いたが、「最初は『ないわ』と思いました」。だが、よくよく調べると腕利きのエンジニアたちがそっくりそのまま残っていることに気づいた。

 「最初に聞いた時は冗談かと思って『いやいや』と(お茶を濁した)。でも、会社のデータを夜中に1人で見ながら『おおっ!』と思いました。キーマンたちがそのまま残っている。これは意外でしたね。すぐに森川とシンに『買いましょう』と提案すると、『いきましょう』と返ってきました」

ただ、実はライブドア首脳陣の思いは違った。モバイル部門を率いていた出沢剛が社長に就任し、黒字化を果たしていたのだが、出沢には秘めた野望があったのだ。

 (出沢)「実はネイバーと一緒になるというのは我々が望んだ形ではなかったのです。あの事件の後、つらい時期を乗り越えてきた強い絆で結ばれたメンバーで次の勝負をしたいと思っていました。我々としてはMBO(経営陣による買収)をして独立したかった。だから本当は(ネイバーによる買収は)がっかり。『夢破れて……』という感じが正直、あったのです」

そこで舛田が提案したのが「5つの約束」だった。ライブドアのブランド、雇用、経営体制、経営ポリシーを維持し、成長を支援する。要するにネイバーが買収しても独立を守るという意味だった。

 (舛田)「最初は(旧知のライブドア幹部に)入札に参加してくれと言われて手を挙げたのに、その後には我々がラブコールを送っていた。出沢からも聞きました。『本当は嫌だった。本当は独立したかった』と。だから、これは妻にも言ったことがないんですが、(ライブドア側には)『僕たちが幸せにします』と言いました」

 「その時はお酒も入っていたので『何がダメなんですか。僕たちが絶対に幸せにする自信があります』と。もう、全力で口説いていましたね。そこまで言ったのは、大事なのは一緒にチャレンジするメンバー(社員)だと思ったから。お金でハコは買えるけど、それじゃ魂が残らないから」

■「もう限界です」

 

 出沢氏(右)が社長を務めていたライブドアはNHNジャパン(現LINE)に買収された(2010年、左は森川氏)


出沢氏(右)が社長を務めていたライブドアはNHNジャパン(現LINE)に買収された(2010年、左は森川氏)

 

こうして10年にネイバーはライブドアを買収した。だが、グーグルの壁が崩れる気配はいっこうにしない。

 (出沢)「まるで壁に卵を投げつけているようでした。その壁が倒れる気配はないけど、投げ続けないといけないんだと……。みんなが疲れていくのが手に取るように分かる。プレッシャーと徒労感。組織がどんどん暗くなっていきました」

 (舛田)「正直、途方に暮れていました。ある時、幹部から『もう限界です』と言われました。それを聞いた時には、もう限界がそばに来ていると強く感じました。すべてが暗闇です

 「韓国ネイバー創業者のイ・ヘジンからは『孫の代までかかってもいい』と言われましたが、それって優しくもあり厳しい言葉です。リングを下りることを許さないと。でも、現実にはリングに登っても、登っても、勝てない。勝たせてあげられない。チームを率いてきた自分たちが責任を取らないといけないと思いました。心が折れそうになっていました。もう、自分は辞めた方がいいんじゃないかと」

当時、社内のごく少人数で調査していたのが、メッセージアプリだった。いくつかある開発案件の中でも優先度は3~4番目。そんなときに日本を悲劇が襲った。東日本大震災である。ここで舛田やシンは「親しい人に限られた閉ざされたコミュニケーション」の重要性に気づく。これがLINE誕生につながるのだが、そこには大きな決断が伴っていた。検索でいつかグーグルを超えてやろうという悲願との決別だった。

 (舛田)「それまではグーグルと同じ土俵で、オープンなインターネットの中で戦おうとしていた。LINEはその真逆でクローズド(閉ざされている)。つまり、検索できないものです。グーグルに恋い焦がれてリスペクトし続け、チャレンジする相手だと思い続けていたのに、そうじゃない戦略を選んだのです」

 「私たちは検索のために集まった。だから検索のチームからは『あの人たちは何をやっているんだ』と思われていたようです。社内に不満はあったと思いますよ」

 

「スタンプ」は偶然の産物だった(人気キャラ「ムーン」の初期デザイン、LINE提供)

「スタンプ」は偶然の産物だった(人気キャラ「ムーン」の初期デザイン、LINE提供)

 

こうして生まれたLINEは瞬く間にユーザーを獲得していった。起爆剤となったのが、かわいらしいイラストの「スタンプ」だ。日本の絵文字文化を踏まえたと紹介されることが多いが、実は偶然の産物だったと言う。

 (舛田)「デザイナーがたまたますごく大きなイラストのデータを送ってきたのですが、それが面白かった。インパクトがあったんです。デザインチームでピクセル単位で検証したところ、日本人らしいなと。それは何かと言えば、イエスかノーが明確な欧米系の言語に対して日本人はある種のあいまいさを持っている。それをスタンプが表しているんじゃないかと。でも、それって知らない人同士では成り立たない。知っている者同士(のLINE)だからできること。スタンプは偶然の産物から確信に変わりました」

■「LINE or Not」

LINEが次に目指したのが、メッセージツールを核としつつ様々なコンテンツをつないでいくプラットフォーム化だった。そもそも「LINE」の名に込められた意図は、色々なコンテンツやサービスを線(LINE)でつなぐということだった。ここで登場したのがライブドアの「残党」たちだ。

 (舛田)「LINEをメッセンジャーだけで終わらせるつもりはなかった。なぜなら我々はもともと、検索をやりたかった。(検索を中心に)ポータルサイトのように色々なものをつないでいくサービスを目指していました。でも、そうなると圧倒的にリソースが足りない。採用しても人が追いつかない。その時、私は答えを出せずにいた」

ここで動いたのがライブドアをまとめる出沢だった。「LINE or Not」を宣言する。LINEか否か……。選択すべきはLINEだという意味だ。それは実質的に自ら再建したライブドアを捨てる決断だった。

 (出沢)「僕が入社した(ライブドアの前身の)オン・ザ・エッヂ時代にコーポレートミッションがあった。『世界中の人たちが僕たちが作ったサービスを知らず知らずのうちに使ってくれるといいよね』。もう、堀江さんも忘れていると思いますが、私が『インターネットっていいな』と思ったのはそこでした。ごく少人数の若くて何も持たない人たちが世の中に力を与えたり、世界中の人たちの人生をちょっとだけ変えたりする」

 「LINEはそうなりつつあった。だったらそれを手伝わない理由はない。根回しとかしません。『みんな分かってるよね。これだけ大きなチャンスがあったら乗らない理由はないよね』と。普通の会社ならゆっくり方向転換するけど、ライブドアで学んだのは、徐々にやっていたら世の中は待ってくれないということです。急ブレーキや急ハンドルを恐れてはいけない」

舛田が示した「5つの約束」を自ら破棄したのだ。これには舛田も思わず「えっ、いいの?」と返したという。ライブドアの力を得てLINEはプラットフォーム戦略を推し進め、国民的アプリの地位を築いていった。

 (出沢)「巡り合わせの不思議です。誰も想像できなかった展開。僕たちはすごくピカピカなチームじゃない。みんな失敗を経験して苦しい思いを味わってきた」

 (舛田)「時代がLINEをつくったんでしょうね。もっと遠くに、もっと早く行くために、もっと違う景色を見るために、仲間が必要だったのです」

ネイバーとライブドア。インターネットの歴史の中で忘れることのできない敗北を経験したふたつの会社が手を取り合ってつくり上げたのがLINEだった。15年に森川が社長を退任すると、シンと舛田は後任社長に出沢を推した。

 

LINEはヤフーとの経営統合の道を選んだ(2019年11月、記者会見で握手する出沢社長(右)とヤフーの親会社Zホールディングスの川辺社長)

LINEはヤフーとの経営統合の道を選んだ(2019年11月、記者会見で握手する出沢社長(右)とヤフーの親会社Zホールディングスの川辺社長)

 

そこまでして作ったLINEは、日本のネットの巨人であるヤフーとの経営統合を選んだ。LINE誕生の立役者となった舛田はこう語る。

 「我々が描く世界に対してのステップとして唯一無二の戦略カードだと思うんです。それに日本は今まさにコロナ禍に直面している。『3.11』に直面してLINEを生み出した時と同じマインドです。戦後の焼け野原から日本が復興した時のように、今まさに世界が新しいものをつくろうとしている。その発想をするのが、インターネットで働いている人間の宿命だと思うんです」

かつての敗者たちはLINEという新しい価値を世に送り出した。次は、どんな景色を我々に見せてくれるのだろうか。


コミュニケーションソフトウェア市場、2026年までに16億500万ドル規模

2020年05月25日 07時17分07秒 | 日記

Research Diveのレポートによると、コミュニケーションソフトウェア市場は今後、15%のペースで成長し、2026年までに16億500万ドル規模に達する見通しだという。新型コロナウイルスのパンデミックを受けて、コミュニケーションソフトウェアが従業員エンゲージメントに不可欠になったことが、同市場の成長に顕著な影響を及ぼしている。

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 従業員が会議やカンファレンス、面接をバーチャルに移行させるなかで、特にウェブ会議プラットフォームの人気が高まっている。しかし、レポートによると、電子メールやエンタープライズ・インスタント・メッセージング・サービスなど、ほかのコミュニケーションソフトウェアの使用も増加しているという。

成長に寄与する要素

 レポートによると、チャンネルや電子メールを読まないで放置するといった従業員の関与度の低さにより、情報が効果的に共有されなくなるが、そのことはコミュニケーションソフトウェア市場に良い影響を及ぼしているという。

 ただし、従業員向けコミュニケーションソフトウェアの導入への投資は、世界的な市場の発展に悪影響を及ぼす可能性もある。

 クラウドは企業に浸透し続けているが、コミュニケーションソフトウェアに関しても同じことが言える。コミュニケーションソフトウェアのクラウドベースのセグメントが最も大きなシェアを獲得すると予測されており、今後、16%のペースで成長して2026年までに7億6900万ドル以上の規模になる見通しだ。

 クラウドベースのシステムが成長するのは、こうしたソフトウェアが柔軟性と互換性を備えており、使いやすいからだ。例えば、クラウドタイプのソフトウェアを使用すれば、管理チームはモバイルデバイス経由でアクセスできるようになる、とレポートは述べた。

中小企業(SME)向け世界市場が急速に成長

 エンドユーザーに目を向けると、SME向けの世界市場は15%を超えるペースで成長し、2026年までに6億8700万ドル規模に達する見通しだ、とレポートは述べている。

 レポートによると、SMEの市場が指数関数的に成長しているのは、世界中のSMEがどこからでも相互に接続して情報を共有できるようにコミュニケーションソフトウェアを利用しているからだという。

 グローバル市場を牽引する地域については、アジア太平洋地域が最も成長すると予測されており、今後ほぼ17%のペースで成長して2026年までに3億2000万ドル以上の規模に達する見通しだ。レポートによると、この地域の組織は競争力を維持するためにコミュニケーションソフトウェアへの投資を増やしているという。

 レポートでは、市場の主要なリーダーもいくつか挙げており、それにはGuideSparkやSociabble、Nudge Rewards Inc.、Guide Sparke、Poppulo、Smarp、The Employee App、Social Chorus Inc.が含まれる。これらの企業は、合併や買収だけでなく、協業やパートナーシップも利用して、全面的に市場シェアを伸ばしている。

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