9月14日(日)秋晴れの午後、渋谷の109前に10以上の神輿が繰り出した。普段は若者が多い場所だが、この祭りの日は法被姿の商店主や町会の有力者、バギーを引いた家族連れなど、いつもと異なる人々で街が一変した。
年に一度の金王八幡の例大祭である。参加したのは道玄坂町会、栄和町会(東急本店に向かう通りの町会)、渋谷中央街、円山町会など地元商店街がある町会のほか、渋谷二丁目町会、渋谷三丁目町会、渋谷富士見、鶯谷睦といった遠方の町会の神輿も参加していた。というのも金王八幡があるのは駅東口の渋谷警察のさらに東側なのである。本来地元は宮益坂側なのだが、宮益坂町会の祭礼は御嶽神社で18日(木)、神宮通2丁目町会はNHK近くの北谷稲荷で21日(日)、隠田表参道町会は隠田神社で7日(日)と地域ごとに細かく分かれている。
しかし氏子の地理的範囲は金王八幡が最大なようで、道玄坂や南平台だけでなく、渋谷1・2・3丁目、高樹町を含み、南青山の紀伊国屋あたりまで広がっているとのことだ。どの町会にも神輿があるわけではない。たとえば渋谷1丁目は、2丁目と町会が分かれたときに神輿は2丁目に譲ったそうだ。
金王八幡は、寛治六年(1092年)渋谷家の祖、河崎基家により渋谷城内に創建された。その子重家の時、渋谷の姓を賜り、これが渋谷の地名の起こりと言われる。重家の子、金王丸は源義朝・頼朝に仕え、神社の名前になった(東京都神社庁のHPより)。
祭りのほうは、町会代表のあいさつ、総代のあいさつ、宮司のお祓いなどのほか桑原敏武・渋谷区長のあいさつがあった。昨年4月の選挙で2期目の区長だ。間近に迫った衆議院選のため松本文明議員(渋谷・中野の東京7区選出)、来年夏の都議選を控える村上英子都議(自民、小倉基・元区長の長女)と大津ひろ子都議(民主)も顔をみせていた。もちろん伊藤たけし区議ほか区議はたくさん来ていた。選挙も一種の祭りだ。先日はハチ公前広場に自民党総裁選候補の御一行さまが演説していた。
神輿を持つ町会は結構多いが、これほどの数が一堂にそろうと迫力がある。最後は連合渡御で道玄坂を一列になって登って行った。手ぬぐいを締め、法被と細い股引き、地下足袋姿の担ぎ手のスタイルはイナセである。女性もちらほら混じっていた。
☆日頃は東急資本対地元商店街の暗闘もある地域のようだが、この日ばかりは祝いの日。どこかの町のようにケガ人が出る荒っぽい祭りではなく、また酔っ払ってフラつく神輿でもなく、平和で整然とした祭りの街だった。
年に一度の金王八幡の例大祭である。参加したのは道玄坂町会、栄和町会(東急本店に向かう通りの町会)、渋谷中央街、円山町会など地元商店街がある町会のほか、渋谷二丁目町会、渋谷三丁目町会、渋谷富士見、鶯谷睦といった遠方の町会の神輿も参加していた。というのも金王八幡があるのは駅東口の渋谷警察のさらに東側なのである。本来地元は宮益坂側なのだが、宮益坂町会の祭礼は御嶽神社で18日(木)、神宮通2丁目町会はNHK近くの北谷稲荷で21日(日)、隠田表参道町会は隠田神社で7日(日)と地域ごとに細かく分かれている。
しかし氏子の地理的範囲は金王八幡が最大なようで、道玄坂や南平台だけでなく、渋谷1・2・3丁目、高樹町を含み、南青山の紀伊国屋あたりまで広がっているとのことだ。どの町会にも神輿があるわけではない。たとえば渋谷1丁目は、2丁目と町会が分かれたときに神輿は2丁目に譲ったそうだ。
金王八幡は、寛治六年(1092年)渋谷家の祖、河崎基家により渋谷城内に創建された。その子重家の時、渋谷の姓を賜り、これが渋谷の地名の起こりと言われる。重家の子、金王丸は源義朝・頼朝に仕え、神社の名前になった(東京都神社庁のHPより)。
祭りのほうは、町会代表のあいさつ、総代のあいさつ、宮司のお祓いなどのほか桑原敏武・渋谷区長のあいさつがあった。昨年4月の選挙で2期目の区長だ。間近に迫った衆議院選のため松本文明議員(渋谷・中野の東京7区選出)、来年夏の都議選を控える村上英子都議(自民、小倉基・元区長の長女)と大津ひろ子都議(民主)も顔をみせていた。もちろん伊藤たけし区議ほか区議はたくさん来ていた。選挙も一種の祭りだ。先日はハチ公前広場に自民党総裁選候補の御一行さまが演説していた。
神輿を持つ町会は結構多いが、これほどの数が一堂にそろうと迫力がある。最後は連合渡御で道玄坂を一列になって登って行った。手ぬぐいを締め、法被と細い股引き、地下足袋姿の担ぎ手のスタイルはイナセである。女性もちらほら混じっていた。
☆日頃は東急資本対地元商店街の暗闘もある地域のようだが、この日ばかりは祝いの日。どこかの町のようにケガ人が出る荒っぽい祭りではなく、また酔っ払ってフラつく神輿でもなく、平和で整然とした祭りの街だった。