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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

石神井高校の校門前ビラまき

2011年03月15日 | 日記
3月13日(日)朝、石神井高校の校門前でビラまきを行った。天候は晴天かつ温暖で、まるで入学式のような気候だった。
日曜日の卒業式は珍しいが、これは12日に予定されていた式が、東北関東巨大地震で1日延期になったからである。わたくしは校門前ビラまきは4回目だが、日曜なので父親の参加が多いように思った。

この学校の、とくに女子はパーティドレスや振り袖・袴などドレスアップした生徒が多かった。そういう生徒は、ほぼ全員「卒業式」と書いた2m以上ある立て看板の前で、親や友人、他人の親に頼んで記念撮影をしていた。天候もよかったので校門周辺は華やいだ空気に包まれた。これまでわたしが参加した光が丘高校や練馬高校ではドレス姿の生徒はほとんどみかけなかったので、校風というものがやはりあることを実感した。

配ったビラは、練馬教育問題交流会の黄色のビラと都教委・包囲首都圏ネットワークのピンクのビラの2種類だった。黄色のビラには「「国歌斉唱」で立つのも『自由』、座るのも『自由』、「君が代」を歌うのも『自由』、歌わないのも『自由』です。ぜひ憲法で保障されている『自由』をきちんと使ってください」と書かれている。
ピンクのビラは、表面で「君が代」の歴史、2003年の10.23通達以降の処分などを説明し、裏面に今年2月1日の「歌わない自由 少数者の居場所を残せ」という池澤夏樹氏の朝日の記事と、「戦前の国旗国歌でよいのか」という80歳の方の朝日ヘの投書(2月4日)が載っていた。
3月10日には、04年に処分を受けた168人の処分取消しが東京高裁で申し渡された(ほかにアイムの組合員2人にも同様の判決)。通達そのものの違法性が認定されていないのは大いに不満だが、それでも少しよかった。早く確定してほしいものだ。

ビラの受け取りは非常によく、保護者はもちろん卒業生や在校生もほぼ全員受け取ってくれた。こちらがスーツ、ネクタイ姿であるせいもあり、保護者のなかには「ありがとうございます」「3年間お世話になりました」と声をかけてくれた人が何人もいた。
自転車通学の生徒もいたが、それほど猛スピードで入ってくる生徒は少なく、前カゴに楽にビラを入れることができたし、入れようとすると止まってくれる生徒もかなりいた。
校門から10mほど入ったところで教員が一人で交通整理をしていたが、「自転車はこちら」などと指示を出すだけで、わたくしたちへの声掛けはまったくなかった。また警官が通りかかることもなく、気づいた範囲では公安の姿も見られなかった。
まいたビラは4人で325枚、わたくしが参加した4回のなかで最高の枚数だった。わたくしはこの高校は初めてだが、いっしょにまいた人の話では、毎年受け取りがよいとのことだ。
この高校は、少なくとも校門には日の丸がなく、その点でも気分がよかった。

石神井高校は1940年創立、西武新宿線武蔵関から7分の場所にある。ウィキペディアによれば、古在由秀(天文学者)、小塩節(ドイツ文学者 四修)、海老沢敏(音楽学者)、阿部謹也(歴史学者)など1950年前後の卒業生に有名な人が多いようだ。最近の卒業生では井川遥、本橋由香らがいる。

さて、卒業式が延期になったのは東北関東大地震のせいだった。やや長めの付録として地震体験当日の記録を書いておく。

3月11日夜、山手通り初台付近。歩道は通勤客が夏祭りの夜のように人があふれていた。車道は車が数珠つなぎで、歩くより遅いほどのスピードでのろのろ運転、遠くに新宿西口高層ビルがみえる。
勤務先を出て、「腹がへっては戦ができず」と、まず夕食をとり、歩き始めたは8時過ぎだった。山手通りを北上したが、歩道はまるで夏の夜祭の神社の参道のように人があふれていた。なかには会社から支給されたと思われるヘルメットをかぶっている人もいる。一方車道は車の長蛇の列。1キロほど歩いたところで中野行のバスが見えたので、しめしめとバス停で待ってみた。バス停には10人ほどしか並んでいなかったが、先頭の2人しか乗れなかった。仕方なくふたたび歩き始めたが、オペラシティでトイレに行ったり、途中で水を飲み休憩をとったのに3度くらい同じバス(写真中央)を追い越した。つまり車も人ものスピードはあまり変わらない状態ということだった。
オペラシティでは、宿泊するつもりなのか座り込んでいる人をちらほら見かけた。コンビニやうどん屋、カレー屋などは人がいっぱいで、いつもは見られない光景が見られた。
1時間ほど歩き、地下鉄中井の駅に下りていく乗降客を発見し、地下鉄の運転が再開したことを知った。ところが都庁前で線路に人が立ち入ったとかで15分ほど電車が来ない。やっと来た電車は満員だった。
光が丘の駅に着くと、改札口を出たところでたくさん出迎えの人が待っていた。なんだろうと思ったら、外には駐車している車が多数。どうやら東武線沿線通勤客の家族が出迎えに来ていたようだ。
ニュースは東京電力福島原発の「暴走」とメルトダウン事故を繰り返し報じている。
昨年12月新潟の柏崎刈羽原発反対地元三団体(原発反対守る会連合・柏崎原発反対同盟・柏崎地区労)の方のお話を聞いた。東京電力柏崎刈羽は07年7月に新潟県中越沖地震に直撃され、「地震列島日本の原発は危険だ」と主張されていたが、まさにそのとおりであることが不幸にして実証された。
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