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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

焼肉ドラゴン

2011年03月21日 | 観劇など
新国立劇場小劇場で鄭義信(チョン・ウィシン)の「焼肉ドラゴン」をみた。この芝居は2008年の初演が紀伊國屋演劇賞を受賞、そのほか読売演劇大賞、朝日舞台芸術賞、鶴屋南北戯曲賞、芸術選奨文部科学大臣賞などこの年の演劇関係の主な賞を総なめにした作品だ。

小劇場に入ると低い舞台の上のホルモン焼き屋「焼肉ドラゴン」では、すでに婚約前祝の宴会が始まっている。正面のカウンターには客が1人、上手の座敷では3人、チャンゴとアコーディオンの伴奏で「ブルーライト横浜」などを歌っている。

下手には4軒のトタン屋根の家が奥に向かって建ち並ぶ。窓からは黄色い灯りが漏れている。伊丹空港に接した在日の集住地区だ。
飛行機の爆音のあと桜の花びらが天から舞い散ると幕開きだ。下手の家の屋根に上った長男が「ぼくはこの町に住む人が嫌いでした」とモノローグを始める。

HPに出ているあらすじは次のとおりである。
万国博覧会が催された1970(昭和45)年、関西地方都市。
高度経済成長に浮かれる時代の片隅で、焼肉屋「焼肉ドラゴン」の赤提灯が今夜も灯る。
店主・金龍吉は、太平洋戦争で左腕を失ったが、それを苦にするふうでもなく、流れていく水のように、いつも自分の人生を淡々と受けとめてきた。
家族は、先妻との間にもうけた二人の娘と、後妻・英順とその連れ子、そして、英順との間にやっと授かった一人息子・・・・・・ちょっとちぐはぐな家族と、滑稽な客たちで、今夜も「焼肉ドラゴン」は賑々しい。ささいなことで泣いたり、いがみあったり、笑いあったり・・・・・・。
そんななか、「焼肉ドラゴン」にも、しだいに時代の波が押し寄せてきて・・・・・・。

シナリオの構成が巧みである。
3人の娘の結婚と離婚、いじめにあった中学生の長男の飛び降り自殺、近所に住む在日の人びとのドラマが、春の桜、夏の万博見物、冬のクリスマスイブの宴会など、四季の風景の移り変わりのなかで繰り広げられる。エンディングで店は強制立退きにあい一家はバラバラになる。共和国へ「帰還」する長女夫妻、韓国に引っ越す次女夫妻、東京に転勤する三女夫妻、そして取り壊しを受けた焼肉ドラゴンの夫婦はリヤカーに荷物を積んでこの町を出ていく。
屋根の上で、今は亡き長男が「ほんまはあの町の人が好きでした」と語る。
「ヨボ(あんた)行きましょか」「あいよお母ちゃん、出発」、これが最後のセリフだ。

メインテーマは、在日一世の父の生き方である。戦争が終わり故郷・済州島へ帰ろうとしたが、船に乗ろうとしたその日次女が熱を出し乗れなかった。全財産を積んだ船は沈没。その後1948年の四・三事件で故郷の父母も妹も殺され、村そのものが消滅した。
「故郷は近いが遠い、ものすごく遠い」「それがわしの人生、運命」と嘆きは深い。
そして、伊丹空港間際で「醤油屋の佐藤さんから店の土地を買うた」。本当は国有地なので土地の売買などできるはずはないのだが。
再婚した妻には連れ子がおり3人の子どものため働きに働き、男の子が生まれて、さらに働きに働いた。「わしらはここしかない」。子どももずっと日本で暮らすのだからと、長男を朝鮮学校でなく名門私立中学に進学させた。しかしその子はイジメで自殺し、家は立ち退きにあった。子どもたちはそれぞれの道に旅立ち、しかもこの芝居では、二世の次女は朝鮮語をしゃべることも聞くこともできないという設定になっている。取り壊し後の土地をみて、父は「つぶしたら案外狭い。27年この狭い場所で笑ったり泣いたり」とつぶやく。
そんな目にあっても老いた父は舞い散る桜をみて「ええ心もちや、こんな日は明日が信じられる。明日はもっとええ日になる」と未来を語る。
日本人とも、韓国に住む韓国人とも違う、在日コリアンの「特殊」な生き方が心の奥深いところからわかったような気がした。

働きに働いたというところで、昨年2月昭和のくらし博物館在日のくらし ポッタリひとつで海を越えて」でみた桑名の鋳物工場経営者・李秀渕さんのことを思い出した。また故郷済州島に帰りたくても帰れないというところでは、「ディア・ピョンヤン(ヤン・ヨンヒ監督 2005年)の父のことを思い出した。戦後のあの時代を日本で過ごした在日の人たちは、これほどドラマチックではないにせよ、それぞれどこか金龍吉と似た人生を過ごしたのではないだろうか。

役者では、父アボジの申哲振(シン・チョルジン)と母オモニの高秀喜(コ・スヒ)が圧倒的な存在感を示していた。アボジとオモニという言葉そのままの存在感である。
静花の元・婚約者役の朴帥泳(パク・スヨン)のひょうきんな演技、三女役・朱仁英(チュ・インヨン)の元気いっぱいの演技も特筆すべきものだった。クリスマスイブの夜、男たちが取っ組み合いのケンカをするなか、ビールのコップやケーキがこわれないようひょいひょいと取り上げ華麗に飛び回る演技は笑わせた。
作・演出の鄭義信(チョン・ウィシン)は姫路城の濠端(ほりばた)で生まれ育った在日二世(母方では三世)である。『血と骨』『月はどっちに出ている』の脚本を書いた人だ。『血と骨』より20年ほど後の時代だが、朝鮮人の集住地区の雰囲気を、舞台なのでより身近に感じることができた。またこの芝居で、客や三女はすぐチャンゴやアコーディオンに合わせて踊りだすが、『月はどっちに出ている』の明治記念館での披露宴の場面を思い出した。
なおアコーディオンの演奏は、こまつ座でよくピアノを弾いていた朴勝哲(パク・スンチョル)、チャンゴは東京裁判三部作で舞台下のピットでパーカッションを担当した山田貴之だった。なつかしい人に再会した思いがした。

場内の照明が点くとスタンディングオベイの人、人、人。演劇でこういう光景は珍しい。味わい深い演劇だった。

08年の韓国初演の際、韓国のアーティストがつくった看板
☆地震から1週間が過ぎた。一時通勤電車は間引きのため満員だったが、それ以上に乗降客が少なくなったようでいまはすいている。書店をはじめ店は早々に閉店し、スーパーから米やパンが姿を消し、空の棚が並び照明を落としているので、暗い雰囲気だ。
テレビ・ラジオは震災関連の報道番組が1週間続いたが、それにしても報道記者たちは政府広報の代理人のようだった。たまたま先週、日本外国特派員協会で行われた原子力資料情報室記者会見をユーストリームでみた。元東芝で原子炉や建屋の設計者や元放射線医学総合研究所主任研究官が答えていたが、海外のジャーナリストたちはもっと有益で意味のある質問をしていた。
アジア太平洋戦争開戦から70年たったというのに、日本のマスコミは当時と何の変わりもない。
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