「浅野教授の文春裁判を支援する会」の会報(「浅野支援会通信」No4 2007年4月30日号)で山口正紀さんの意見書・要旨を読んだ。
そのなかで、ロス疑惑を例にとった週刊文春の「疑惑報道」記事作成手法が解説されており、鋭い分析なので紹介したい。雑誌の「疑惑」報道をながめる際、「メキキになるためのワザ」として活用できる。
ロス疑惑報道とは、週刊文春が1984年1月19日号から「疑惑の銃弾」のタイトルで連載を開始し、テレビ、週刊誌、全国紙が追随してすさまじい犯人視報道を繰り広げたが、三浦和義氏がマスコミ相手に400件以上本人訴訟を起こし実質的に100%近く勝訴した人権侵害報道のことである。
1 匿名・仮名の伝聞情報で、「疑惑」を事実らしく印象づける
「疑惑の銃弾」には実にさまざまな人物が登場し、この事件に関し「証言」する。しかし、注意深く記事を読むと「○○=仮名」「三浦氏をよく知る知人」「かつての友人」「元従業員」「○○関係者」「ある人」などやイニシャルの人物がほとんどである。
山口さんは、上記のような人物の発言、情報源が明らかでない記述、間接的な伝聞情報にマーカーを付けてその部分を削除して記事を読み直したところ、「疑惑」ストーリーはほとんど意味をなさなくなり、たまに実名で出てくる人物がいても「疑惑の本体」については何も語っておらず、「疑惑」そのものが消えてしまったそうである。
読者の多くは、情報源を明示しない報道に慣らされており、「仮名・匿名」情報や「伝聞情報」でも「事実」と信じる傾向があり、週刊文春はそれにつけこむ手法をとっている。一方で、疑惑の「対象」には実名で報道することが多い。
裁判なら証人は宣誓を求められ、偽証罪に問われることもあるが、文春では仮名・匿名の人物の一方的「証言」が延々と続き、「事実」であるかのように扱い、「実名」で書いた当事者を「疑惑の人物」として仕立て上げる。
2 伝聞情報を権威づけるための「公的機関」情報の恣意的利用
文春「疑惑報道」は、伝聞情報を権威づけるために直接「疑惑の本体」に言及する内容でなくても、なんらかの関係があるような文脈で「公的機関」や「捜査機関」の情報を紹介したり引用する。たとえばロス市警や生命保険会社、警視庁、検察庁の情報である。一般の読者は、こうした公的機関、捜査機関の「関連情報」を、「疑惑」を裏づける情報と受けとめる。だが、それらの「権威づけ」情報も、それのみを独立して読むと、ほとんど意味をなさないものがほとんどだ。あくまでも匿名・伝聞情報とセットで、なんとなく記事全体が「事実」と印象づけられるよう、組みこまれているのである。
3 「悪意」をもった人物の一方的主張を鵜呑みにした記述
匿名・仮名で「証言」する人物のなかには、標的とする人物に対し、最初から何らかの「悪意」「私怨」を抱いているとしか思えない人物が含まれることがある。たとえば「使いこみ」などを理由に退職させられた「元社員」、遺族の「実家」の人々などである。
ある人に「私怨」「悪意」を抱いた人物が、恨みをはらすためにメディアを利用しようとすることがある。文春「疑惑報道」はしばしば、そういう人物の話を鵜呑みにし、あるいは半ば「私怨」の存在を知りつつ、意図的に「疑惑報道」を繰り広げてきた。
4 形式的でアンフェアな「本人取材」
「文春取材班から取材を申し込まれたのは、連載開始直前の電話による申し込み、ただ1回。私が『初めから悪意を持った取材には、会っても意味がないでしょう』と言うと、文春記者は『じゃ、取材拒否ですね』といとも簡単に引き下がり、わずか1~2分で電話を切った」三浦氏は著書でこう述べているそうだ(『情報の銃弾』日本評論社 1989.3)。じつにアンフェアな「相手は取材を拒否した」と書くための、形式だけの「取材申し込み」といわざるをえない。
銃撃事件で逆転無罪を言い渡した高裁判決には
「本件は、ロス疑惑銃撃事件として、激しい報道合戦が繰り広げられた。マスコミ報道が先行し、これが引き金となって警察の捜査に発展した。こうした場面では、報道の根拠としている証拠が、反対尋問の批判に耐えて高い証明力を保持できるかどうかの検討が十分でないまま、総じて嫌疑をかける側にまわる傾向を避けがたい」と指摘しているそうである。
このようなテクニックを駆使した「疑惑」報道は、「死を招く女」シリーズ(2001年6月)、「大分・聖嶽遺跡捏造疑惑」(2001年1月)など枚挙にいとまがなく、もちろん2005年11月24日号に掲載された浅野健一同志社大教授への疑惑報道も同じ構造になっている。
たしかにこれまで目にした「疑惑」報道を思い起こすと、多数の匿名・仮名の「関係者」発言、公的機関情報、そして当人は「取材拒否のため取材できず」というパターンで成立しているものが多かった。
今後は匿名・仮名の発言を一度削除して読んだり、公的機関情報をそれだけ独立して読むといった「メキキのワザ」を活用しながら読むように心がけたい。
☆浅野教授疑惑報道が「伝聞情報ばかりで、情報源は幽霊のよう」ということは、昨年6月の「励ます会」でも聞いていた。しかし、そのときは進行中の事件であることもあり、「そういう見方もある」というくらいにしか思わなかった。
今回この意見書・要旨を読み、山口さんが「疑惑の銃弾」報道でマーカーまで引いて検証されたことを知り、そういう「実験」をすでに一度されているので、今回もすぐに応用できたのだと合点がいった。
そのなかで、ロス疑惑を例にとった週刊文春の「疑惑報道」記事作成手法が解説されており、鋭い分析なので紹介したい。雑誌の「疑惑」報道をながめる際、「メキキになるためのワザ」として活用できる。
ロス疑惑報道とは、週刊文春が1984年1月19日号から「疑惑の銃弾」のタイトルで連載を開始し、テレビ、週刊誌、全国紙が追随してすさまじい犯人視報道を繰り広げたが、三浦和義氏がマスコミ相手に400件以上本人訴訟を起こし実質的に100%近く勝訴した人権侵害報道のことである。
1 匿名・仮名の伝聞情報で、「疑惑」を事実らしく印象づける
「疑惑の銃弾」には実にさまざまな人物が登場し、この事件に関し「証言」する。しかし、注意深く記事を読むと「○○=仮名」「三浦氏をよく知る知人」「かつての友人」「元従業員」「○○関係者」「ある人」などやイニシャルの人物がほとんどである。
山口さんは、上記のような人物の発言、情報源が明らかでない記述、間接的な伝聞情報にマーカーを付けてその部分を削除して記事を読み直したところ、「疑惑」ストーリーはほとんど意味をなさなくなり、たまに実名で出てくる人物がいても「疑惑の本体」については何も語っておらず、「疑惑」そのものが消えてしまったそうである。
読者の多くは、情報源を明示しない報道に慣らされており、「仮名・匿名」情報や「伝聞情報」でも「事実」と信じる傾向があり、週刊文春はそれにつけこむ手法をとっている。一方で、疑惑の「対象」には実名で報道することが多い。
裁判なら証人は宣誓を求められ、偽証罪に問われることもあるが、文春では仮名・匿名の人物の一方的「証言」が延々と続き、「事実」であるかのように扱い、「実名」で書いた当事者を「疑惑の人物」として仕立て上げる。
2 伝聞情報を権威づけるための「公的機関」情報の恣意的利用
文春「疑惑報道」は、伝聞情報を権威づけるために直接「疑惑の本体」に言及する内容でなくても、なんらかの関係があるような文脈で「公的機関」や「捜査機関」の情報を紹介したり引用する。たとえばロス市警や生命保険会社、警視庁、検察庁の情報である。一般の読者は、こうした公的機関、捜査機関の「関連情報」を、「疑惑」を裏づける情報と受けとめる。だが、それらの「権威づけ」情報も、それのみを独立して読むと、ほとんど意味をなさないものがほとんどだ。あくまでも匿名・伝聞情報とセットで、なんとなく記事全体が「事実」と印象づけられるよう、組みこまれているのである。
3 「悪意」をもった人物の一方的主張を鵜呑みにした記述
匿名・仮名で「証言」する人物のなかには、標的とする人物に対し、最初から何らかの「悪意」「私怨」を抱いているとしか思えない人物が含まれることがある。たとえば「使いこみ」などを理由に退職させられた「元社員」、遺族の「実家」の人々などである。
ある人に「私怨」「悪意」を抱いた人物が、恨みをはらすためにメディアを利用しようとすることがある。文春「疑惑報道」はしばしば、そういう人物の話を鵜呑みにし、あるいは半ば「私怨」の存在を知りつつ、意図的に「疑惑報道」を繰り広げてきた。
4 形式的でアンフェアな「本人取材」
「文春取材班から取材を申し込まれたのは、連載開始直前の電話による申し込み、ただ1回。私が『初めから悪意を持った取材には、会っても意味がないでしょう』と言うと、文春記者は『じゃ、取材拒否ですね』といとも簡単に引き下がり、わずか1~2分で電話を切った」三浦氏は著書でこう述べているそうだ(『情報の銃弾』日本評論社 1989.3)。じつにアンフェアな「相手は取材を拒否した」と書くための、形式だけの「取材申し込み」といわざるをえない。
銃撃事件で逆転無罪を言い渡した高裁判決には
「本件は、ロス疑惑銃撃事件として、激しい報道合戦が繰り広げられた。マスコミ報道が先行し、これが引き金となって警察の捜査に発展した。こうした場面では、報道の根拠としている証拠が、反対尋問の批判に耐えて高い証明力を保持できるかどうかの検討が十分でないまま、総じて嫌疑をかける側にまわる傾向を避けがたい」と指摘しているそうである。
このようなテクニックを駆使した「疑惑」報道は、「死を招く女」シリーズ(2001年6月)、「大分・聖嶽遺跡捏造疑惑」(2001年1月)など枚挙にいとまがなく、もちろん2005年11月24日号に掲載された浅野健一同志社大教授への疑惑報道も同じ構造になっている。
たしかにこれまで目にした「疑惑」報道を思い起こすと、多数の匿名・仮名の「関係者」発言、公的機関情報、そして当人は「取材拒否のため取材できず」というパターンで成立しているものが多かった。
今後は匿名・仮名の発言を一度削除して読んだり、公的機関情報をそれだけ独立して読むといった「メキキのワザ」を活用しながら読むように心がけたい。
☆浅野教授疑惑報道が「伝聞情報ばかりで、情報源は幽霊のよう」ということは、昨年6月の「励ます会」でも聞いていた。しかし、そのときは進行中の事件であることもあり、「そういう見方もある」というくらいにしか思わなかった。
今回この意見書・要旨を読み、山口さんが「疑惑の銃弾」報道でマーカーまで引いて検証されたことを知り、そういう「実験」をすでに一度されているので、今回もすぐに応用できたのだと合点がいった。